小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

日本に帰るなんて考えたこともなかったけれど

他国へ出てみると、日本の良さが分ったり、ダメさが分ったりする。外に出てる人にしか見えないことは確かにある。逆に外に出てしまった者は、日本での生活実感を日に日に失っていくので、その問題が在住者にどう映るのか(もしくはどう感じにくいのか)がわからなくなっていくものだ。出羽守とか言われちゃってさ、齟齬が生じる。実際、私から見ても20年間給料が上がらず、横ばいと言うことは実質下がってるという経済状況の中で、誰もがだましだましそーっと生きている様にしか見えないし、それに気づいてからも驚くほど長い間なにもしないし本当にいいことひとつもないと思う。その感想はその状態の間じゅう変わらないし、良くなる兆しも見えない。

 

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しかし、最近本帰国した友人たちから話を聞いて、私の中の日本に少し変化が起きている。彼らは3.11をきっかけに日本を脱出した同志たち。「え?まさか帰るのあの人が?」というほどみんなタイが好きだったし、日本バンザイ派でもなく(むしろアンチ)だから彼らの言葉には忖度がない。信頼している。素直に「それはすごい!ちょっと大丈夫かも!」と思えるような話を誰からも少しずつ聞いた。

 

ずっと何もかもがアホ高かった東京も、今やバンコクが追い上げて家賃は並んだ。食費だってバンコクの贅沢品は東京以上に高いし、屋台飯以外は作った方が安くなった。ついに我が家の電気代が2万円になった今月、光熱費も日本とどっこいどっこいだ。ただ日本に私のモタサイはいないし、自転車代わりのタクシーもないし、ネットスーパーもデリバリーもバンコク程のバラエティに富んでないしで、重たい思いして歩くことは増えそうだけど、とにかく何もかもが安いというなら仕方がない。待て日本はごみの分別が難しいぞ・・・なんて、まぁ安いのが良いことなのか悪い事なのか、分別が難しい方がいいのかそうじゃない方がいいのかなんてよく考えなければ、好き嫌いの話でよい(いやそこ大事でわ

 

大きく認識を新たにしたのは、学校だ。

タイで育った大きめの子ども達の多くは、日本語で試験が受けられるほどの日本語力がないため、日本に戻っても公立ではなく、私立やインターに入ることが多いだろう。なので、私の中の「公立の闇」は闇のまま凍結されてるけれど、少なくとも「お金を払って教育を受ける」場においては、かなりアグレッシブなカリキュラムが用意されるようになったらしい。求められる子ども像も従来の兵隊型ではなくなって、人権、自立、自分でものを考える力、などが重視されるようになっているという。都立なのに英語で通学出来て3人目無料!!なんて学校も登場したとか(そりゃ倍率はアレですよ)インターも新規参入してきた学校なら学費がだいぶモデラートだとか。それらの学校で「IB」だって取得可能なわけだから海外への進学はぐんとひらけた。都立私立からの留学なら返済不要の奨学金を受け取る条件にも入れるでしょう。英語環境が増えているということは、同時に帰国子女にも居場所が増えてるということだ。実にありがたい。そしてうらやましい。中学生の子どもを伴って帰国した友人が「日本で高校生活を終えてから海外の大学に出た方が有利」と言ってたのはこのことかと。最初はせっかく覚えた英語のポテンシャル落して日本の高校なんか行ってまた海外に出るってなにめんどくせえ意味WHYだったけど、だいーぶ経った今おぼろげながら理解した。選択肢がだいぶ変わってるんだねぇ。私達が渡タイした当時は、タイの国立大学の学費は日本のそれよりずーっと安くて、それはそれは明るい未来に感じられた。きっとその頃には英語もタイ語も堪能になり、将来の選択肢は増えるだろうと思っていた。しかし外国人としてタイにいる以上、同じ学歴でもタイ人の奨学金制度に入れるわけでもないし、海外へ行きたい外国人の選択肢はさらに少なさそう(想像)でもこのまま今の学校に通っていればとにかくAレベルは取得できるので、それは大きいよ大きいよー。私は何も考えなくていいしそれはすごくいい。

まぁつまり、そんなのどっちがいいかって下世話な話じゃなくってさ、どこで暮らしたってどこでも良くなったらいいわけだし、こうやって日本の教育に新しい風が吹ているってのはとてもいいよ。本当に嬉しい。もし日本に帰らなくてはならない不測の事態(私にとっては)に陥っても、泣かないで帰れるくらいにはなっていてほしいからね!!

 

たださ、日本の暮らしやすさは恐ろしくって、こたつに座ったらもうなにも考えられなくなるうえに、1日にいくつもタスクをこなさなきゃいけなくなるから毎日忙しくてまたなにも考えられなくなるんだよ。それはつまり考えないで走りこたつに入るばかりが快適ということになってしまう。起きたらお手紙を出しにいって1日を終えるこちらのサバイ生活とは、まったく時間の流れが違う。もう私には日本の人の歩く姿が早すぎて見えないと思う。FLASHかと。その暮らしやすさ「考えなくても済む快適さ」という真綿がかなりゆ~っくりと首を締めるので、ほとんどの人が意外と痛まず逝けてしまうだろう。年寄りならもうそれでええやんと思った瞬間に、あぁそうだよ年寄りしかいないのだからなんの問題もないではないか、とそら恐ろしくなるのだ。つまりそれこそが、透明で声のない人々があえいでいても、その他の人びとの生活にはいっさい支障がないという差別の構造そのものなのだから。そうそういうのがイヤだったんだよ。ほんとにそれでいいのかよ!ってところが、まだ私の中には残っているうちはまだまだここにいたい。

 

でも、日本に帰るのも悪くないってことが、わかったのは良かった。これから子ども達と一緒にベストウェイを模索していこうと思う。外国人が海外で生きていくには、並行して永住権やビザについても調べなきゃならない。うちみたいに、すでにマネー使い果たしているのに子沢山だと、事の次第によっては先に永住権のがリアリティあったり、もし奨学金をいただけるなら四の五の言わずにすぐ参りますってことも大あり。つねにフレキシブルにな(子に言っています

 

早いなぁ、渡タイしてきた時は、幼稚園児だったのに。

ほんと未来はすぐそこだー。

 

 

あなたのためを思っている人はない

 

むかしむかし私が小難しい(ウケの悪い)ツイートをした時に、必ず「いいね」して下さる方がいて「わ、今日もいいね下さった」なんて少なからず嬉しく思っていたことがある。「これが分かるって凄いな」(偉そう)その方は個人事業主で社名のアカウントでありながら、けっこう突っ込んだ議論の場でも意思表明の”いいね”をされるので「あれはすごいねぇ」とお友達に言ったら「あぁ、あの人はフォロワーさん全員に”いいね”してるらしいですよ。全然中身読んでないんですって」とピシャリ。冷や水を掛けられた。その友達もどうかと思うけど、遠くでも分かり合えてるだなんてって思っていた自分が、少し悲しく、恥ずかしかった。

 

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それからなんとなく、社名や店名アカウントの人を観察するようになった。バンコク・ツイ廃チームとお店は、とてもいい関係だなぁっと思っている。ライバル店同士も仲が良さそうだし、covid絡みのSOSも素早く周って相変わらずバンコクって人間関係に理想的なキャパシティなんだと感心している。スクンビットにパ田中ーんを入れていいのかどうかはアレだけど。

 

そんな中、あるツイートが回ってきてかなり引っかかった。

これは私たちツイ廃のリテラシーについての話だ。

文章を紐解く力のおはなし。

 

実は私本体は”南国よろず屋ままか”という媒体の社長で20年。

いちお個人事業主✋

なんで「アジア雑貨ままか」じゃなくて「南国よろず屋」なのかって言うと、あのタイの道端にありますでしょう?掘っ立て小屋みたいな総合店舗。たばことお菓子売りながら、ツアーの紹介もして、ランドリーも受け付けているあれ。毎日の商品アップだけじゃなくて、旅行情報やタイ語教室、突撃オフ会、掲示板オークションなんでもあって、毎日覗くのが楽しみになるサイトを目指してた。

洋服の1枚1枚、雑貨ひとつひつにもドラマがある。少数民族の村の子どもが何キロも歩いてバッグを届けてくれたり、工場で3mにも積まれた生地の上を走ったり、疾走するバイクからみた風景、親切にされて泣いたこと、とても黙ってはいられない。「ananを裏から開かせた女」よろしく私も、誰かが会社でパソコンをonにしたら、私のコラムから1日を始めて欲しい。そんな気持ちで書き続けた。仕事も、政治も、子育ても、何でもここに書く。それらはみんな繋がっているひとつの暮らしだから、分けられない。だから楽しいし、それが南国よろずやままかなのだ!

 

 そんなわたしが「お店と個人のアカウントは分けた方がよい」という進言を見た。

 

本文の中には「もし~だったら」の仮定を元に、SNSが分からないなら無難に使ってローリスク取るべき、とか書いてあった。無難を勧めるだけあって、書いてあることも無難だ。だけどなぜこの方が進言する立場なのか?これをさせたい意味は?お店の個性に関わる大事な選択をなぜ。

 

教えて頂いたリスクなんて言われるまでもない。でもそれを差し引いてなお「あるがまま」に話すことは楽しい。店アカで自分の考えを語れてそれを楽しいと思えるなんてのは、それはもうその人の個性だし適正よ。結局、そんなのが好きなお客さんが残ってくれて、やがて自分にもその人たちにも居心地のいい環境がゆっくりと出来上がっていくんだから。リスクとかイメージダウンとか怖くなったら自分で考えて止めればいいだけ。失敗じゃなくて全てが過程。誰にも叱られない代わりに間違えたと思ったら、自分で修正して進んでいくのがひとり親方の醍醐味だもの。アカウントだって好きに使うわ。

 

  「お店のことを考えて提言している」とある。

そっか。

バンコク中のお店のためを思って・・・って、これさぁ、みんなあれ?っと思わないのかな。

この ”いいね” の数~!

日本語を生業とされている方までが賛同している。”お店を守りたい気持ちが伝わった” ”共感した” ”愛情のこもった発言だ” え!?そうなの!?www リプは私にとって、元ツイ以上の破壊力だった。本気(マジ)??

 

さて 「あなたのためを思って」だけど

 

これは、相手の口を塞ぐ代表的なパワーワードだよ。

あっちゃんの動画もすごくわかりやすい。
元ネタの森山先生のご本をぜひ読んでください。

 

今まで幾度となく言われてきた「あなたのためを思って」という言葉に、モヤりを感じてきたのは私だけではないはず。そう、相手を思って言ってるようで実は、他の選択肢を与えない呪文。「絶対これがいいよ」「私の言う通りにしてれば間違いないそ」と相手に考えることを止めさせて、自分の要求を通そうとするのだ。だから「じゃあ好きにすればいい」その後に「何があっても知らないけどね」と続く、強烈なコントロールが隠れている。「あなたのために言うけど、そんな怖い話しない方がいいよ」とか「怒ると損ですよ。敵と同レベルになっちゃうじゃないすか。あなたにとって損ですよ」とかね。ほんとうは自分がそれを聞きたくないだけなのに、自分の耳を塞がずに、相手の口を塞ぐ。あなたのためを思ってと言っている人に、あなたのためを思っている人はいないんだよね。主さんが、本当は何を求めていたのか私にはわからないんだけど、そもそもあまりそう言うことを意識してなければ、流れで書いただけでそんなつもりはないと仰るだろう。この方どうこうより、この風潮を軽く"いいね"してしまう世の中がツラい。きっと私もいつかどこかできっと言ってるし、そして何度も聞いてきたことだから、自戒も込めコントローリングな自分を反省したいし、今度その言葉を掛けられたときには、オタオタせずスパッと気付きの一撃を打てるようになりたい。

 

しかしつくづく思ったのが、こういう言葉ほど、古式ゆかしい日本人は好きなんだよ。やっぱり「口を塞ぐ言葉」って自制を求めるものだから、”慎ましさ”とか”お行儀”とか”我慢”なんかと癒着しやすい。冷静で賢い意見にも見える。

 

「うーん、どちらにも問題がありますよね」とか

「・・・言い方。そんな言葉つかったら話は聞いてもらえないよ?」

「それ言われちゃったらなんも言えね」

 

あーこういうの毎日見る。言っちゃった!なんて人もいるでしょう。

「まぁ言うてもあれや、そんなんいつも使ってる言葉やん」って言う夫たちの声が聞こえてきそう。その些細な釘サシも、話そうとしている人の口を塞いでいる。こうやって、考えない方が楽な状況が日常には溢れている。ツイッターにも溢れている。

こういう言葉は、支配する側の人間に都合の良いものだから、子どもや奥さん、生徒、部下「見下し」の対象になりやすい人が遭遇しやすい。文字面は”中立”にみえる(もう中立ってだけで正義だと勘違いする人も多い気がするなぁ)そして冷静で正しくみえる。最もいやなのは「問題の本質には言及せず、話をずらす」こと。例えば、本題の議論にたどり着く前に、ひとつハードルを置くの「言い方!」「声が大きすぎ!」「バカって言った?」とか。小さなつまづきを指摘して、それを解決しないと本題に入りませんよって条件を出してくる。それにまた引っ張られたオーディエンスが「失礼だなぁ」「さすがにバカはない」と、つまづきが大事件化し、どんどん相談者は無礼者化する。「人としてダメ。あなた議論以前の問題!」って、たーーーっと本題は流されてしまうのだ。あげく「あなたにも悪い所があったんだから」と斬りつけられ終了。なんとなく、相談や、苦情を言いに行ったのに、叱られたような気分になってトボトボ帰ってくるのは、このずるい言葉のシャワーを浴びてしまったからなんだよね。若い時は、いっぱいあった気がするよ。

 

私たち個人事業主は、いつも「より良い社会」について考えている。大袈裟でなく。なぜなら、この不安定な社会の波に揺れる小舟の様な存在だから。天候も祝日も政治も道路工事もなにかも営業に関係があり、影響を受ける。今日こそは凪でありますように。その風の冷たさを強さを一番最初に感じ、いい時、悪い時、変わらず日々同じことを繰り返して息をしている。それは世を映す鏡のようなもの。思わず口から苦しい言葉が溢れることもあるけど、それこそが世の声そのものなのだ。でも声はなかなか届かない。だからだんだん声が大きくなる。なんだか聞いている人は怖いかもしれない。不安を感じて知りたくない人だっている。大丈夫だよ。そしたらしっかりと耳を塞いでも罪じゃない。

 

だけど、口を塞ぐことだけはしないで欲しい。

 

誰にも強制されてはいけない。私達は賢くて、能力があり、対等に敬意ある扱いを受ける権利がある。周囲を気にせず、堂々と「これおかしいです!」と意思表明をし「わたし困っています!」と大きな声で言っていい。

  

あなたが口を塞がれて傷ついてしまったら「私は、そんなことされていい人間じゃない。尊厳ある、賢くて、勇気のある自分だ」ってことを思い出して。

 

今日もポロっと出ては、あなたを閉じ込めるずるい言葉。

さっと分かって、すーっと押し返せるようになりたいね。

 

いいねは意思表明。

大事にエールとして送りたい。

誰かの口を塞いでないか気をつけよう😔

 

 

喜捨のはなし



「歩道橋の上や、道端で、物乞いをしている人がいた時、あつこさんはどうされますか?お子さんになんてお話しされてますか?」と、質問されることがある。

 

こちらへ越してきたばかりの頃はうちの子ども達もまだ小さくて(イメージ1年生と幼稚園)初遭遇はきっと衝撃的だっただろうと思う。怖そうにしたらいけない気がするけど、少し怖いよ・・・って顔をしていたかな。何度か目にするようになってからは「ねぇどうしちゃったの?どうしたらいいの?」と聞いてくるようになった。「どうしちゃったんだろうねぇ、よその国から仕事に来たけど、仕事がなくなっちゃってでも帰れないしって人もいるし、大きなケガをして働けなくなってしまった人もいるよね」「ねぇあの人たちは家族だよ。子どもが小さいよ」「そうだねぇ今日は雨に濡れないといいね」とか、その時々に話をして、なるべく早くに「分からない=怖い」という感情からは放してあげたいと思っていた。お金あげたい、という時にはいくらか渡したりもした。だんだんに「全部は救えない」と言う気づきも生まれる。誰もが生きやすい世界をつくるにはどうしたらいい?君ならどうする?など話し合ってきたけれど、大きな構想では、今すぐ目の前にいるこの人ひとりも救えない。なにが幸せなのか、なにが正解なのか、堂々とお伝えできる回答はない。

 

 

 

私がネパールで買い付けしてた十数年前。偶然の出会いから一般のお宅にあげてもらう機会が何度となくあったのだけれど、首都カトマンズのど真ん中であっても、私と関わるような人たちのお家はどこも裕福ではなかった。でもネパールと言う国は他国と「幸福観」が違うことでも良く知られていて、お金と幸福は必ずしもセットではない(これは別の機会にゆっくり話したいほど、おもろ素晴しい哲学)

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恥ずかしがり屋の子ども達。お寺で。

 

で、ある日、まだ幼い姉弟が私達を家にあげてくれたことがあって、お湯の足らないぬちゃぬちゃのインスタントラーメン(名前はチャウチャウ)とゆで卵を振舞ってくれた。ネパールでは貧富に関わらず、お客さんが来たら自分の芋までも差し出しておもてなしをします。むっちゃ笑顔で(詳しくはままかのカイツケ日記  2004年10月9日カトマンズ←古!!さっきちょっと他人目線で読んだけど衝撃的だった・・・よかったら是非。

同行した桜井が、お別れにチップを10ドル渡そうと言い出し、そして揉めた。

 

私➡私達が訪れて食したものなどの実費は埋めてあげたい。しかし今過剰なチップを得ることで、今後も同じことを他の旅人にしてしまうのではないか。私達がいい人ぶることは未来の彼女たちの安全を脅かすことになる。

 

桜井➡この気持ちに応えたい。長い人生の中でほんのたまにいい事があって、もらったお金で美味しい物をたくさん食べた思い出くらいあったって、いいと思う。

 

今これを読んでいる人も、私の大人な意見に賛成な人が多いんじゃないかな。 

 

結局、真ん中とって500ルピーで手を打ったんだけど、それでも私はあげすぎだと思っていたし、桜井は不足だと思っていた。それからも物乞いとのやり取りやチップが続く。ある程度の経験を積んでいくと自然と桜井の中に「相場」が見えてきて、500ルピーは多すぎた!!と肩を落とすことになったんだけれど。

 

桜井は高校時代のクラスメイトで、当時はぜんぜん仲良くなかったのに同窓会で再会して意気投合。あっという間に2人でメキシコの買い付けに飛んだ。スペイン語堪能、それ以上にふにゃきゃわキャラで大活躍。(ままかのカイツケ日記2002年10月31日オアハカ←メキシコ編は自分で一番好きなカイツケ日記です。よかったら是非 そこにも物乞いのエピソードは満載であった。

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毎朝、カフェにやってくる子ども達

ある日カフェで朝食をとっていると、ハロウィンの飾り缶を持った子ども達が集まってきてね、すると桜井は私に「この子達しつこくないから、冷たくしないでね」とわざわざ言った。インドネパール含む多くのアジアの国々では、しつこい物乞いに強くNo!を言わなければならないシーンが少なくない。それに馴れてしまっている旅人は、そのままの態度で子ども達に声を荒げることがあるのだけど、それにメキシコ人はびっくりしてしまうのだと。子どもにそんなこと、メキシコ人はしない。だから桜井は、子ども達が旅人に近づいていくと気が気じゃなくてドキドキするんだよと言った。万が一にも私がやったらどうしよう、そんなとこ見たくもないしって事で、先に教えてくれてたというわけだ。確かにそう言われて周りを見て見ると、なにがしかの問題が起きているテーブルはなさそうだった。カフェに座っている人たちは、さっと取り出せるようにポッケに小銭やキャンディを入れているし、おしゃべりだけでバイバイする人もいる。それで子ども達が癇癪を起したりもしない。私達も「こんにちは。いい天気ですね」と知らない大人と会話するように、丁寧に接してみるとわちゃわちゃはしゃぎはするものの、別段しつこくはなく、そしてまた笑顔で別のテーブルへ行く。朝の日常的な風景。

メキシコは長きに渡り、ヨーロッパの食材庫として搾取されてきた。生活が奪われて幼い子が生きられないそんな中から「天国に行っちゃえば楽ちん!」という発想が生まれてくる。ガイコツ祭りのコミカルな明るさの中にある闇は、命の儚さだ。

「生きてるうちにたまにはいいことあったっていいじゃない」

もし思いがけない大きめのお小遣いが貰えたら、お腹いっぱい好きな物食べてさ、ああ今日はラッキーだったねって美味しい思い出がいっこ増えたらいいよね!って桜井は思ったんだよね。そう言う人だから、あのネパールの姉弟にちょっとだけ多めに置いていきたかったんだよ。

あの時私は「この甘ちゃんが!」って思ったよねー。でも今は「どうして甘ちゃんじゃいけないんだろう」って思うよ。桜井。

 

「金の行先はマフィアかも知れない」

「甘やかしたらつけ込まれる」

「きちんと断ってこそ防犯」

「自立を妨げちゃいけない」

「詐欺かも知れない」

「キリがない」

 

おおかた、冷静な日本人バックパッカーの意見はこんなとこだろうと思う。

私も、初インドを周ってた時はそんな感覚だった。未知の敵に対する怖さみたいなものもあって、上記のような教訓をしっかり心にとどめて行動。自衛に努めていたと思う。しっかり教えを守って無事にKITAC!! よく出来ました。

 

 

 

時は流れて(だいぶ流れて)わたしはなんと、タンブンの国タイランドに住んでいる。

 

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子どものお坊さん。やっぱりパソコンが気になります。

 

朝の通勤ラッシュ時には、駅に向かう道や連結高架の上で、多くの人がさり気なくタンブンをしている姿を見ることが出来る。タンブンとはお布施のことだ。

 

ある時、若い女性が20バーツ札をきれいに畳んで、物乞いの胸ポケットに入れてあげていた。その迷いなく流れるような所作を、美しいと思い、衝撃を受けた。

 

日本人的な思考からするとあげていいものは「不要なもの」だ。余っているもの、使わないもの。物乞いにあげるお金なら、悪意なく小銭に違いない。ジャラジャラっと彼らの物入れに投入される。

 

小銭ではなく、お札を、きれいに畳んで、と言う選択は相手への敬いだ。さらに、それを胸ポケットに入れてあげたのは、その人の手が不自由だったからかも知れない。

ここまでのふるまいを、ためらいなくさり気なく出来てしまう。それも習慣的に。

私達の屁理屈こねくりまわして及び腰の善行とは、なんだかぜんぜん格が違うんだ。

思わず「よく見て・・・」と心の中で、手を繋いだ我が子につぶやいた。

 

そうやって多くの人が、売ってる物を買ってあげたり、話しかけたり、道を渡らせてあげたり、いろんな日常的のあちこちで関わってて、だからと言ってしつこく干渉しないのもいい。 

  

タンブンは善行。善行は、いずれ自分に返ってくるというもので、結局は自分の為にやってるんだよ、つまりそれだけ強欲なんだよって言う人もいる。後ろにマフィアがついてるとか、あの物乞いは詐欺だよ。実はけっこう元気で家もあってバスに乗って帰っていくんだよ、とか。そうだね、それらはぜんぜんあり得るなと思う。思うんだけど、だからなに?なのだ。帰る所があるならよかったじゃん!!

知ったかぶりの日本人が騙される人を冷笑して「それ見た事か」と繰り出すそんな噂と、タイ人が考えるタンブンはぜんぜん違うレイヤーにあると思うんだ。そのお金がどこへ行こうと、何に変わろうと関係ない。

 

誰の為でもない、自分の為に。

今ここにある自分の気持ちをきれいに畳んで、誰かの胸ポケットに入れる。

母親の病気を治すためとか、試験の合格とか、どれも身勝手なお願いごとのためなのかも知れないけど、そんなの生きていたら当たり前のことだよね。

目の前にいるボロボロの人を人として丁重に扱っているというその所作は、いまここで起きてる事実なんだもの。それに勝るものないでしょ。

 

世界にはその世界の正義がある。生活体験の中から、生まれてくる考え方がある。自分のいる世界の考え方は、自分の身体にいつの間にか沁み込んでいくものだ。

私の子ども達が、こんな風景のある場所で育ってて良かったなと思ってる。

人は残酷だし、自分は無力だけど、街で繰り広げられる笑顔とワイとタンブンの光景は、彼らの原風景になるだろう。羨ましいな。タンブンをする人の為に、美しい風景のために、その人たちは路上にいるわけじゃない。もちろんその通り。だけど目の前のこの現実を見ないわけにもいかない。人々がどう向き合っているのか、見つめる事しか出来ない子ども達が、何を感じて大きくなるか。きっと世界は変わっていくと思う。

 

だから旅先で迷った時は、「日本ではふつう」って言わないで、いったん自分の常識を横に置いてみたらどうでしょう。否定したらもったいないので丸ごと受け取ってみるといいんじゃないかって思う。それから自分に沁み込んだ「常識」を観察して、時に比べながら、その国の人のやり方、考え方を観察して、いっぱい真似して感じて考えてみたらいいと思う。

 

誰もが生きやすい世界を作るには、どうしたらいい?

 

 

 

 

 

※各国のあれこれそれは違う!というご意見もあるかと思いますが、これは私が体験して考えた事を書いています。すべて主観ですのでご了承ください。

 

空をきる、手のひら

 

 

時には自分の尊厳の為に、闘わなくてはならない時がある。

大事なのはタイミング、そしてインプレッションだ。

私達は幼い頃から、好意的で礼儀正しい態度でいるよう躾けられてきた。私ももちろんそうしているし、実際そうでない人と付き合うのはとても面倒くさい。

では、正当な理由があって「止めて下さい」ときっぱり言うのはどうだろう。

自分の中で「事を荒立てるな」という急ブレーキがかかる。もはや、好意的とか礼儀正しいとかそんな事が吹っ飛ぶくらい、強固に「事を荒立てない」は私達の内にある。

別名、華麗にスルー力だ。

 

もちろん、日常的に華麗にスルー力はとても大切。タイに住んでるとほぼ毎日発動される。マイペンライ! 気分よく暮らしていく為には、穏やかな迎合は最優先。

 

 

 

「先生が私と子どもの前ですごく失礼なことを言ったのに、あまりにもびっくりして何も言い返せず帰ってきてしまいました。慰めて欲しい。聞いてください」という旨のツイートを見て上のツイートを書いた。そして思い出していた。

 

怒りについて考える時、わたしはいつも今は亡き、恩師の言葉を思い出す。

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私がまだ20歳になる前だな。

地元の友達が急に連絡をよこして「妊娠した」というのだ。

介護士の専門学校で私達は出会って、恋に堕ちた。実家住まいの彼のところに私はよく遊びに行っていたのだが、その時に知ってしまった。彼には結婚を約束した女がいるのだ。その人は看護師で同じく看護師である彼の母親ととても仲が良い。どうりで歓迎されないわけだ。家族中が私の登場を喜ばしく思っていない。ある日はひどく叱責されたうえに鞄を放り出され追い返された。それでも、彼が私を選ぶというから、がんばって通い続けている。お手伝いもするし、お土産も欠かさない。

そんな話を長々と聞いた。

中学時代は成績も良くて、顔もかわいくって、部活動で全国大会にも出たりしていた彼女。ザ負けず嫌い。その恋も、恋だ愛だというよりはもはや意地だという気がした。もうこれは聞いているだけで、やめなさい案件だった。

 

ひとりでは怖い。

都会の陰にひっそりと佇む古い産婦人科。

器具の、冷たいきらめきを今でも覚えている。

待合室にいるように促された私に聞こえてきた彼女の絶叫、嗚咽。彼女は心からお腹の赤ちゃんを降ろしたくなくて、麻酔の途中でそれを押し返しドクターを蹴りあげ暴れたらしい。錯乱状態の彼女をドクターは抱きしめて鎮まるのを待ち、どうにか眠った彼女の枕元に私を呼んで事情を説明してくれた。「こんな状態ではできません」と。汗びっしょりで眠っている彼女の、髪がへばりついた額をそっと拭いてやった。大きななにかが自分を責めているように感じた。こんな悪事をするからだ、よく見ろと。きれいな顔で眠っている彼女が悲しかった。何時間か眠って目覚めた彼女は、彼に連絡したいという。病院のピンクの電話に体をぶら下げるようにやっと立って、でも明るい声で、うん大丈夫だよって言ってた。彼が迎えに来るって、と嬉しそうにそそくさと着替えだした。

ほどなく小柄で、ほんとにつまんない感じのふつうの男が部屋に入ってきた。「まだフラフラするかも知れないから、気を付けて帰りなさいね」とドクターは優しく、私達は頭を下げて病院を出た。その時さっと、彼の重そうな通勤鞄を当たり前のように彼女が持ったのだ。私は介護の現場でも一番力持ちで、体の弱い彼の事もよくおぶってやるんだって言ってたな。

 

ちょっとお茶でもしませんか。

と、私が言った。喫茶店で、そう忘れもしない高田馬場のルノアールだよ。彼女の気持ち、状態、今後の事、私の意見、そんなことを話したのだと思う。全てにおいて「そうですね、申し訳ない気持ちです。その通りです。ありがとうございます」そう答える彼。その会話の合間に「今日さ、営業行ったら、〇〇で△に会ってさ」「えーうっそー」なんて会話を挟んで。母親の様な眼差しで愛しそうに彼をみつめる彼女を見て、なかかなにうんざりした。

ではと、伝票を持ち、私は席を立った。

 

その日、私は静岡の山の山の中にある大学の保養所で泊りがけのワークショップがあり、そのままの格好で何時間もかけて真っ暗な無人駅に辿り着いた。

「なんで遅れたの」ってみんなに聞かれるんで、お水をガブガブ飲みながら、大好きな教授に「聞いてくださいよー」って事の顛末を話した。たいしたことじゃないんですけどねってな感じで話す私に、

「あっちゃん、立ってごらん」

と先生は言った。

 

「とくに女性たち良く見て。君たちには、自分の尊厳を守るために闘わなくちゃならない時が必ず来るんだ。あっちゃん今日はお疲れ様だったね。今とても大変な気持ちだと思うけど、今度その男に会ったら、横っ面をひっぱたけ。コップの水をぶっかけてもいいけど、いい音立てて横っ面を思いっきりひっぱたくのが一番いいな。ほれ、俺をぶて!早くいっぱつぶってみろ」とでっかい顔を差し出した。

 

ヤーって小さい声出しながら、ピチンって叩いた。

「しっかりしろ!足を踏ん張れ!腰を入れろ!」

 

「野郎どもは分かるんだけどなぁ、女性はちんちんねえからどうやったらわかるかな。剣道やる時もそうなんだけど、ペニスが真っ直ぐ落ちるようなイメージで体の中心を真っ直ぐに捉えるんだよ。架空のペニスをイメージしてください」

「先生、俺のちんこは曲がっています!」

「そうかそれは困ったな」

みたいな会話を交わしながら、そこにいる女子はみんな立って、真剣に身体の中心を意識しながらフォームをつくり始めた。「先生、これ太極拳でいうところの〇〇ですね」なんて言いながら。「耳に当たらないように気を付けてね。鼓膜が破れちゃうから。ばっちりほっぺを仕留めろよ。それがまぁ喧嘩の流儀だな」思えば私は、それまでの人生で思い切り人をぶったことなんてなかったのだ。いざとなると想像以上にとても恐ろしいし、難しい。

 

「よしこい、あっちゃん!!足を踏ん張れ、腰を入れろ!それ!」

 

ペチン!!

 

「ま・・・・・・・そんなもんかな」

岩の様な頑強な顔の先生は、細い目をさらに細めて、笑った。カハハハハ

 

私はここへきてやっと、えーーーーーーーーーんって泣きたくなった。

私は傷ついていた。おおいに傷ついて、とてもとても悲しかった。それに気がついた。

実際には泣けなくて、また我慢しちゃったんだけど。

 

このゼミは社会学で、差別について勉強している。

その後のゼミでも田嶋陽子の怒り方がどうのこうの、なんて話にもなり、女が声を荒げて戦いを挑むと「ヒステリック」とか「感情的」とか「頭悪そう」「面倒くさい」なんて言われることが多々あるよねと。ドラマや小説でも、男が男泣きに泣き、大太刀周りで誰かを殴って助けたらヒーローなのに。ゼミでも、バイト先でも、会議でも、国会でもいい「女性が怒ってかっこいいというモデルがまったくないように思う。私達はとても怒りづらい。怒る前に怒らないでいい方法を自分で探してしまっている。だけど怒るポーズと言うのは、とても大事なのではないか」と私は言った。先生は細い目をちょっと見開いてメモをとってくれていた。「怒る姿がかっこいい女のロールモデル」私の声が先生に届いて報いたのがじんと嬉しかった。

 

 

 

この後、例の彼に会ったのは二人の結婚式だった。苦虫を心に住まわせたままの私は、参加、不参加で揺れに揺れたものの、しっかり晴れ着で参上した。二人が挨拶に来た時、いよいよひっぱたいてやればよかったのだけど、事件のことを親御さん達は知らないだろうし、とかいろいろ考えてしまって、もうできなかった。大事な友達を傷つけた彼をどうしても許せなかったし、意地を押し通して血みどろになった彼女の目が勝利に輝いているのも、私の理解を軽く超えていた。持ちきれない程の醤油や砂糖、鯛の砂糖菓子にバームクーヘン。さすがに当時でもそれはないよというくらい古式ゆかしい引き出物たち。酔客はみな親戚でお父さんもお母さんも幸せそうだったな。

振袖を脱ぎながら、やるせなかった。

そのまま少しずつ疎遠になった。

 

 

やっぱり怒るのは、大事なことなんだよ。

自分の尊厳を守るために、いつでもここ!って瞬間に横っ面めがけて平手をぶちかませ。タイミングが命なんだ。迷ったり、考えたりしたら間に合わない。

 

一生、間に合わないんだ!

 

出来なかったらせめて、相手の腕を掴んでみたらどうだろうね。泣いちゃって言葉にならないかも知れないけど、なにか口から出てくるはずだよ。

 

それも出来なかった、そのここ!って時に

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

って言ってみたらどうだろうね。

相手がハッとするくらいに。

 

いろいろな手を考えながら、私は今日もあのクソな瞬間を思い出し、「最悪な日」を「全力で乗り越えた記念すべき日」にするためのシャドーボクシングを欠かさない。娘には躊躇なく手のひらが空を切り、自分はもちろん大事な誰かを守れる人になってもらいたいと思う。強そうに見えても、みんな意気地なしだからね。

 

わたしも、あなたも、強く、素早く、優しくあれ。

 

 

 

雨と雨のあいだに

今、下書きのページを見に行ったら、かなりの数の書きかけがあった。

これ自体、何度も書き書いては消して、何も書けないでいる。

 

私はいま、何の約束も出来ないからね。何を言っても期待に沿えない。何を言ってもうっすらウソだ。きっとずっとそこに囚われている。

 

当然だけど、このままではプチ留学は尻つぼみ。いま学校の存続も危ぶまれている次第です。※これに関してはいずれ詳しく。

 

これからどうしようかなと。

 

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このコロナ禍で同じ思いを抱えている人はけっこういるんじゃないかなと思う。せっかくの機会だし勉強でもしようと思ってみても、使うあてのない技術や言葉を磨くのは1年もあれば充分空しくなる。成功したダイエットもリバウンドしてる頃よ。自分がフワッとしていると、伝えたいことも曖昧で、大好きなツイッターさえノイジーにしか感じない。周りがどんどん何かを失う中で、繋がりが欠損を連鎖させる。こんな世の中で自分だけ無傷でいられるわけがない。徐々に時間だけを浪費するようになり、意味もなく焦る。

 

で、さっきからこの苛立ちにも似た答えのない感情について考えてる。

失われたわたしというカタチとカタチを失った中身のわたし(そんなもんは幻想だけど)その分離した状態について。実際、今ほど厭世的な時間はない。ほんとのとこ困ることも焦ることも不要だ。でもだからこそ、要不要で生きていた人はとても困るし、誰かの役に立ってることで自分を支えていた人もとても困ってるはず。出羽守として世を憂い、生きてるだけで充分なんだと詠う自称人権屋の私であっても、この「生産性」とか「誰かのお役に立ってこそ」みたいな呪縛から、なかなか自由になれなくて立ち尽くしてるのだ。

今になって痛感している。間違いなく、プチ留学に救われていたのは参加されたあなたではなく、私であった。本当はずいぶん前からわかっていたけど、わたしったら仕方なさそうにやってたよね。反省してる。もっとみんなに感謝を伝えればよかった。

 

今ね、マンゴーレインが降っています。

これまでこんなに哲学的な時間を過ごしたことはかつてないし、きっとこれもすぐ当たり前になるだろうから、長い長い人生の中ではとても貴重な時を過ごしているのだとも思う。まだ役に立てる私を探して胸苦しい日々は続くと思うけれど、この微妙な苦しさをちゃんと味わってみよう。

 

あ、いまタイ人がコワーキングスペースで会議を始めた。生産性があってうらやましいwww

 

私は本当に努力が足らないなぁとつぶやいていたのは、そういうことよ。こういう時って、メンタルのリハビリとおんなじでさ、朝ちゃんと起きて、体操して、勉強して、ご飯作って、淡々とルーティン回すのが絶対健康に近づくんだけど、ほんっとやらないんだよねwww 毎日長男に同じこと言ってる。ダメなとこそっくりな人がそっくりな人に言う説得力のなさよwww

 

まぁ1日は24時間とも限らないし、過集中学習も、少しずつ毎日学習も出来ない私が、私だけの新しい快適な時間の過ごし方(流し方)がみつかるといいな。見つかりますように(他人事か

 

 

 

 

琥珀の日々

 

日々私のタイムラインを華やかに彩っていた、耳なし猫のアンバー。

 

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エリザベスが取れた日


 

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保護された日、病院で。

 

忘れもしない10月15日に、我が家の庭を泣きながら横切っていった彼女。両耳は血だらけで切り口も生々しく、よく見ると拘束された跡や、後頭部に負傷跡のハゲもあります。急いで病院へ連れて行き耳のかんばしくない部分を切除し、ノミダニの駆除をしました。その時に歯の欠損も見つかっています。受付で「一時的なものでいいから適当に名前を」と言われて、娘がその毛色からアンバーと名付けました。検索して2秒くらいで出てきた名前なのにあの子にぴったりです。毛色もさることながら、その瞳は本当にジェラシックパークに出てくるあの蚊を閉じ込めた蜜の色、琥珀そのものでしたから。

 

 

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ソムちゃんのお下がり、お花のドーナツがとびきり似合うよ

 

しばらく我が家の一員となった琥珀姫の最終目的地は、永遠の安息です。

まぁとにかく可愛いし、うちで飼っちゃおうかなって何度も思いました。でも先住猫たちの我慢が日々垣間見られて、なんとも申し訳なく落ち着かなく(´;ω;`)ウッ…。まぁ一緒にいると腹が決まれば、そのうち慣れていっただろうとは思うけど慣れるまではなかなか大変です。多頭飼いはどの子にもストレスですからねぇ。あっちこっちでシャーシャーギャーギャー諍いの声がします。そんな大人猫たちの顔色が冴えない中、アンバーはどんどん元気いっぱい。ソムちゃんにくっついて回ってウザがられていました。

 
 

 

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めっちゃ食べるしめっちゃ強気



 

  

そんなアンバーですがもう我が家にはいません。

一昨日、お家に帰っていきました。

「お家に帰る」つまり、なんとアンバーには飼い主さんがいたのです!

譲渡会から帰ってお風呂に入ってやれやれ座ろうかなーって頃に、会場から電話がかかってきました。その内容に私は思わず大きな声を上げましたよ。今までも、アンバーを欲しいと言ってくれる人はそこそこいましたが、譲渡の審査がけっこう厳しいのでお断りせざるを得ませんでした。「欲しい人がいる」くらいじゃもう私は小躍りしません。しかし耳を疑ったのは「アンバーちゃんの飼い主だという方から連絡がありました」なんですと?!私の間に入って下さってるのは、TNRや里親探しをされているかなさん(@kanamon55)アンバーの里親探しをツイートしたらすぐにフォローしてくれました。彼女が確認の為に相手から送ってもらった写真を見ると、そこには確かにアンバーが!知らない人に甘えて撫でてもらい、エリザベスを付けたアンバーがいます。もう鳥肌が止まりませんでした。

 

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飼い主さんからの画像

 

アンバー、あなたは誰?

アンバーの本名は、たろうと言います。

wwwwwwwwwwwwww

たろう?!と聞いた時、家族みんなで笑ってしまった。「たろうって日本の男児の名前です」って言ったら飼い主のFさんも笑っていました。いまごろ日本語ブームか。そして実家で飼ってた先代チョビのさらに先代の男猫が太郎と言う名だったので、チョビザセカンドと太郎ザセカンドが同居してる!って、私は誰にも通じないほくそ笑みをしてました。

 

アンバー(たろう)の飼い主さんはFさんという若い女性です。

 Fさんはある譲渡グループからお友達と共にアンバーを引き取りました。アンバーの余りに凄惨な虐待の跡を見て、みんなで育てていこうということになったようなのです。それは私達が想像するよりもっとひどい状態でした。男の人のサイズと思われるグローブの跡と、あちこちにワイヤーか輪ゴムのような拘束された跡もあったそうです。私も後頭部の傷跡は初日に気付いていましたが、その後腕をピックの様なもので刺されたらしき跡も発見しています。きっとその拘束をされた状態で様々な拷問を受けていたのでしょう。Fさんはアンバーを病院から自分の職場に引き上げて面倒見ていましたが、ここでアンバーは脱走してしまいます。なんと、逃げ出した拠点は我が家の真裏。同じタウンハウスの一室です。我が家は家番号1/10、Fさんの居場所は1/6。

 

なるほど、アンバーがこの辺りで見かけたことのない子なのも合点がいきます。昼はオフィスですが夜は誰もいない戸締りされた部屋なので、窓から子猫を見かけたこともありませんでした。傷は深く逃げて来たように見えるのに、体はそれほど汚れていないしノミも見られなくて、なにより目に力がありました。ごく至近距離からの脱走で体力が残っていたからでしょう。家にすんなり入ってきたのも間取りがほぼ同じだったからかも知れません。

 

そして思い出したのです。あの日、私がアンバーに「どうしたの?」と声を掛けた時、裏のお家のベランダから体を乗り出した若い女性が、それを見て微笑んでいました。え?あの傷に気付かないのかな?って、なぜ微笑みなのか違和感があったのでよく覚えています。答えが出たいま思えば、それが飼い主のFさんです。彼女は逃げ出したアンバーを2Fから見つけて「いたいた」と思って笑顔だったのかも知れません。探しに降りたけれど、結局見失ってしまったのか、その日アンバーは3回我が家の庭を訪れ、ついに夕方保護しました。しかし、結局その保護は早すぎて、見つけてもらえたかもしれないアンバーを閉じ込めてしまい、お家に帰れなくしてしまいました。首輪がなかったので、完全に異常者に虐待された野良の子だと思い込んでしまったのです。こんなに近くにいるのに、まるで違うユニバースくらい遠くに引き離してしまったのは、なんと私でした。

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人を求めて伸ばされるその手に、人がつけた傷

 

小さなアンバーの、大冒険が終わる

 

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運命の譲渡会

その週半ばまで参加を悩んで悩んだ譲渡会。いろんな猫の猫生が垣間見られて、いろんな事を考えてしまい、本当にパワー持っていかれる譲渡会www。とにかくとても疲れます。もう家で育てちゃえばいいじゃん!と思ったけれど、チョビが腰をぺっちゃんこにしてビクビク家に帰ってきては速攻ベッドの下に隠れて、夜中にそっとご飯を食べに出てくるような生活が続いていて、やっぱもうちょっとやれることはやろうかと思い至りまして(ソムちゃんは惰性で慣れていた)2日開催の所を1日だけでも行けよ!と自分を叱咤し騙しだまし参加したのでした。そして、そのたった1日の譲渡会が運命の日になりました。

 

会場はトンブリーのTang Hua Seng Thonburi。主催のしっかりした譲渡会でカメラマンの方がベストショットをFacebookにあげてくれます。とにかくね、タイ人の野良猫や野良犬への関心の高さがすごい。Fさんが毎日Facebookでアンバーを探していたのも納得です。リアルタイムでどんどん画像があげられていくし、保護猫を見に来た人もどんどん自身のFBに画像をアップしていきます。情報網もスピードもハンパない。いやタイ人がFB好きなのは知ってたけどまじほんと早いwww 2日間開催していると、1日目にこの情報を仕入れた人が本気モードで譲り受けに来るのです。1日目のさびれたショッピングモールのあの雰囲気ではとても決まるとは思えなかったのに、一転して翌日はかなさんのとこの12匹全員!お家が決まってしまいました。

そして、Fさんが見たアンバーはたった1日参加したこの日の画像だったのです。

 

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Facebookに紹介されているアンバー



うわーって。

もしあの日、譲渡会をさぼっていたら、すぐ真裏の家でアンバーはアンバーのまま暮らしていたわけですよ。おそらく一生我が家の姫さまとして。この運命が交わった一瞬の出来事で、アンバーはその翌日にはお家に帰ることが出来たのです。しかも徒歩でwww

 

 

アンバーが教えてくれたこと

 

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お昼寝

 

私がアンバーを保護する時、気になったのは「最後まで面倒みられるかわからないのに手を出していいのか」と言うことでした。自身の責任について、誰に相談することも出来ません。人間界で動物が生きていくそのケースは様々としても「出来る範囲」とか「常識的な」ことと言うのはあるもんだろう。そう思ってあるNPOに相談してみたんです。「残念ながら今猫ちゃんの受け入れはしていないんだけれど、その子を保護してください。ありがとう。ケガの経過がよければその子を元の群れへ返してもOKです。最後にもう一度ありがとう」そんな返事でした。保護した子をリリースしてよい、という選択肢が与えられたことで、私はすっと気が楽になり、大きな気持ちでアンバーを受け入れました。実際に、けがの具合を見ると歯の欠損もあり老後の身体が心配なので、誰かのお家で暮らした方がいいなと判断しましたが、助けたいと思った瞬間に「とにかく助けて。どうにかなるから!」と背中を押してもらえた事は、私に大きな勇気を与えてくれました。助けたい気持ちを当たり前に大事にするところ。どうにかなるさの精神はいい加減とはちょっと違う。0か100かで責任をひとりに背負い込ませないことで助かる命もあるってところが本当に素晴らしい。それはタイランドならではの、困ったらかなり周囲がどうにかしてくれるという魔法でもあるのです。「アンバーみたいに障害のある子は、みんなが協力してくれますからね」とかなさんが励ましてくれていましたが、あの譲渡会でどれだけの人が真剣にフランクに私達を助けようとしてくれたか、しみじみと伝わってきました。

 

譲渡会の猫たちをちょっと覗いてみようと思っただけの多くの人が、アンバーの前に立ち止まっては顔色を変えてせめてと募金をしてくれました。私の下手くそなタイ語の説明書きを読んでポロポロと涙を流してくれたおばちゃん。悔しいな!悔しいな!ってたくさん写真を撮り「必ず家族を見つけてあげる」と言ってくれたお兄ちゃん。何度も何度も何かを確かめるように来てくれたお母さん。こうして思い出しているだけで泣きそうです。ありがとうございました。

 

このトンブリーのショッピングモールで行われた譲渡会では、去勢手術、寄生虫のスポット薬、ワクチンなども無料で提供されました。すべての猫たちが安心して暮らせるようにと、お医者さんや企業が賛同してくれています。近所の猫ちゃんを捕獲して連れてくる人、多頭飼いで手術の負担も大きいご家庭などが長い列を作りました。場所を提供したショッピングモールだってすごい太っ腹です。どうしても手術になるから夕方には尿の匂いも出てくるのに、この世界にはそれより大事なことがあるんだよって信じることが出来ました。もちろんここだって日頃は犬猫禁止のビルです。でもその日はエントランスのドアマンも「どうぞ」と笑顔で、アンバーを正面玄関から通してくれました。優しい世界です。ほんとに。

 

きっと私はこれからも、アンバーを閉じ込めてしまった罪を償うでもなく、困った犬猫が居たら手を出してしまうと思います。でも、どんな出会いにもなんだか奇跡みたいなものが詰まっていて、私たちは流れるように行き交うけれど、結局どれも必然なのだから受けて立つしかないなと今は思えます。

 

そしてこんな大都会バンコクど真ん中にひとり、こつこつと野良猫を助けている人と出会うことが出来ました。彼女は今日も、人間式の生活のために街の隅へおいやられた猫たちの為に、屋根に上がったり暗がりで餌付けをしたりしています。猫には猫のネットワーク。猫助けにもプロがいる。彼女がフォロワーとして降臨したその瞬間と、お手伝いしますよと言ってくれたその瞬間、思わず椅子から立ち上がったこと2回。私はずっと忘れないと思います。

 

皆さんももし困った猫ちゃんを見つけたら、かなさん(@kanamon55)に相談して下さい。(私にとは言わない)

 

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バイバイ、アンバー

 

結果引き取りは叶わなかったけれど、声を掛けて下さった方、#今日のアンバーを楽しみにしてくださっていた方、日々応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。誰かを一目ぼれで撃ちぬいてやろう!とアンバーばっかり必死でアップしてました。めっちゃアンバーだらけですみませんでした。いやぁでもね、犬でも猫でも、たったひとりでいい、名前を呼んで頭を撫でてくれる人がいれば、それだけで幸せになれるのですよ。でもそのたったひとりを探すのが本当に大変。よくわかりました。今もしあなたのおうちに、あなたを慕う小さいの(大きいのも)がいるならば、それは奇跡です。とても深いご縁です。めちゃくそ甘やかしてぐちゃぐちゃにかわいがってあげてください。もうあんまり叱らないでペロペロして(無責任)

 

アンバーはたろうに戻りました。

バイバイ、アンバー。

いっぱいくれたのはアンバーの方だったね。

ありがとうね。

 

 

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絶対幸せになる



 




 

 

 

 

 

 

私がいちばん好きだった夏休みは、何歳のだろう

さっき思ったより寿命が短いというツイートをした。

他でもない私のである。

 

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今、我が家にはお散歩の途中に立ち寄ったにしては尻の長い、猫様が2匹いる。そこへ娘が犬を飼いたいと言いだした。こういうのは、まったく無理であれば耳にも入ってこないんだけれど、私も自分の人生で犬を飼ったことがないってのは、ちょっと心残りで、ダメよダメよと言いながらその可能性を探っている。

 

移住者が動物を飼う一番のリスクは、住居の選択が狭まる事だろう。

動物可の物件は多くないしあっても高いし、先人が飼っていた猫のスプレー臭などが残っていることもある。往々にして喫煙者のくせにたばこの匂いが嫌いだったりするのと同じように、私も有機的ななにがしかが入り混じった生活臭は苦手だ。

 

そうだ。

スペースが必要だ。

 

音や匂いやうっとうしい態度には、物理的な距離が必要だ。

これは子どもや年寄りと住む時も同じで、お互い触覚から少し離れていてくれると非常に心地よい。幸い私たちは今子どもの学校に合わせて、バンコクの郊外に住んでいるので一軒家を借りることも出来る。このコロナ渦で都心の家賃はダダ下がりしているらしいという噂がこの辺りまで有効かどうかはわからないけど、引っ越しチャンスには違いない。

 

下の娘の高校卒業まであと7年。

そのあと、夫婦でどこへ住むのだろう。子ども達はどこに行くのだろう。その時、犬がいたらどうするんだろう。そんな事をふんわりシュミレーションしていたら気づいてしまった。

 

もうそんなに長くない。

 

元気に動き回れるのなんてせいぜい70半ばまで。子どもをあと7年で追い出したら10年ちょっとしかご褒美タイムはないのだ。10年ってあなた。今まで10年を5回くらいやってきたけど、何もなしえていません・・・

 

残り寿命にて

・5年に1回引っ越ししてもあと2,3回

・親に会えるのも(喪)ひょっとすると10回ない

・プチ留学だってあと5回は出来ないかもな

・再訪したい国に行けるのもせいぜい1回かそこら

・犬猫飼うならそろそろタイムリミット

・家のローンはもう無理

・これから永住権はもう無理

・3年に1度の地元の本祭りも見れて3回?(どうでもいいながら)

 

これから引っ越したところに、5年住むとしよう。そうするともう人生の25%が終了したことになる。たった5年住むだけで、人生の1/4ガー 

 

20代はこれから夏休みが50回くらい来るでしょう。

ところが50代には20回しか来ません。

60代なら10回。

当たり前。

だけど16歳の夏休みが生涯一度だけなのと同じく、63歳だって一度だけです。そして大きくなればなっただけ、来年やろう、次にしようが、叶わなくなっていく。

 

 

寿命が近くていいことは、しょせん死ぬまでと思えば、がんや歯の治療もとりあえず死ぬまでもてばいい程度にしようと思えるし、英語やタイ語も永遠にイマイチだなぁ~って思いながら死んでいくと思えば、残念だねぇくらいのことだ。

さんざん遊んだんだよね。人生の後半が子育てで慌ただしかったから自分の時間がなかったような気になるけど、無駄に青春は長かったよ。

 

心残りと言えば、もっと歌って暮らしたかったな。

正直もうバンドやるのは面倒くさいし、有名にもならなくていいので、私はただ歌えればいいだけだ。作詞作曲もいまやめんどくさい。だって私には言いたいことなんて何もない。半身はすでに成仏している。それに世界には素敵な曲が溢れているのだから、その素敵な曲を大事に歌おう。「真剣にやるバンコクカラオケ部」でいい。少数精鋭でやる真剣カラオケ。なんならメンバーで死ぬほど練習して、結婚式の余興に人が足らない時、催しもののサクラなどにお呼びくださいみたいな活動はどうだろう。それだって、たぶん2,3回やったら死ぬ。完成度は高めていきたいと思うが、高度とはいえ消えものは非常に気分が楽でよい。

 

ここタイランドでは、まだまだ人の命が軽い。お別れもさっぱりしていて、みんななんか適当だ。もしかしたら私たちは、たった一度しかない人生!と思い過ぎなのかもしれない。何かに追い立てられて生きなくても、ただ生きるだけで良ければ、ただ楽しい方へ流れていくだけでいいのかもしれない。人生そのものが消えものなのだ。それでいいのだ!と教えてもらっている気がする。

 

「あっちゃんは、欲しいもの全部手に入れたね」

 

と言われたことがある。

ワケありだった夫、出来なかった子ども、それは私がコントロールできる運命ではなかったが、なんと神様は私とそれらを紐づけし今ここにチームがある。

だけど、すべてを手に入れるってどういうことだろう。私は私自身だけで何者かになることをずっと望んでいたし、それには人生が短すぎた。覚悟も努力が足らな過ぎた。コントロールできることの方がまったくうまくいかなかった。そんな人でもちゃんと人生は終わる。しかも調子がいいから、いよいよ残り時間が少なくなった今は、何言ってんの上出来じゃない!すごいじゃない!と素直に思っている。

 

 

 

ほんとう、私は大事な物を全部もってる。他にはもう何もいらなかった。

やり残したこと、成れなかったもの、そんなのも幻想、すべて淡雪のごとしナリ。

 

遺書かよ。