今、下書きのページを見に行ったら、かなりの数の書きかけがあった。
これ自体、何度も書き書いては消して、何も書けないでいる。
私はいま、何の約束も出来ないからね。何を言っても期待に沿えない。何を言ってもうっすらウソだ。きっとずっとそこに囚われている。
当然だけど、このままではプチ留学は尻つぼみ。いま学校の存続も危ぶまれている次第です。※これに関してはいずれ詳しく。
これからどうしようかなと。
このコロナ禍で同じ思いを抱えている人はけっこういるんじゃないかなと思う。せっかくの機会だし勉強でもしようと思ってみても、使うあてのない技術や言葉を磨くのは1年もあれば充分空しくなる。成功したダイエットもリバウンドしてる頃よ。自分がフワッとしていると、伝えたいことも曖昧で、大好きなツイッターさえノイジーにしか感じない。周りがどんどん何かを失う中で、繋がりが欠損を連鎖させる。こんな世の中で自分だけ無傷でいられるわけがない。徐々に時間だけを浪費するようになり、意味もなく焦る。
で、さっきからこの苛立ちにも似た答えのない感情について考えてる。
失われたわたしというカタチとカタチを失った中身のわたし(そんなもんは幻想だけど)その分離した状態について。実際、今ほど厭世的な時間はない。ほんとのとこ困ることも焦ることも不要だ。でもだからこそ、要不要で生きていた人はとても困るし、誰かの役に立ってることで自分を支えていた人もとても困ってるはず。出羽守として世を憂い、生きてるだけで充分なんだと詠う自称人権屋の私であっても、この「生産性」とか「誰かのお役に立ってこそ」みたいな呪縛から、なかなか自由になれなくて立ち尽くしてるのだ。
今になって痛感している。間違いなく、プチ留学に救われていたのは参加されたあなたではなく、私であった。本当はずいぶん前からわかっていたけど、わたしったら仕方なさそうにやってたよね。反省してる。もっとみんなに感謝を伝えればよかった。
今ね、マンゴーレインが降っています。
これまでこんなに哲学的な時間を過ごしたことはかつてないし、きっとこれもすぐ当たり前になるだろうから、長い長い人生の中ではとても貴重な時を過ごしているのだとも思う。まだ役に立てる私を探して胸苦しい日々は続くと思うけれど、この微妙な苦しさをちゃんと味わってみよう。
あ、いまタイ人がコワーキングスペースで会議を始めた。生産性があってうらやましいwww
私は本当に努力が足らないなぁとつぶやいていたのは、そういうことよ。こういう時って、メンタルのリハビリとおんなじでさ、朝ちゃんと起きて、体操して、勉強して、ご飯作って、淡々とルーティン回すのが絶対健康に近づくんだけど、ほんっとやらないんだよねwww 毎日長男に同じこと言ってる。ダメなとこそっくりな人がそっくりな人に言う説得力のなさよwww
まぁ1日は24時間とも限らないし、過集中学習も、少しずつ毎日学習も出来ない私が、私だけの新しい快適な時間の過ごし方(流し方)がみつかるといいな。見つかりますように(他人事か