さっき思ったより寿命が短いというツイートをした。
他でもない私のである。
今、我が家にはお散歩の途中に立ち寄ったにしては尻の長い、猫様が2匹いる。そこへ娘が犬を飼いたいと言いだした。こういうのは、まったく無理であれば耳にも入ってこないんだけれど、私も自分の人生で犬を飼ったことがないってのは、ちょっと心残りで、ダメよダメよと言いながらその可能性を探っている。
移住者が動物を飼う一番のリスクは、住居の選択が狭まる事だろう。
動物可の物件は多くないしあっても高いし、先人が飼っていた猫のスプレー臭などが残っていることもある。往々にして喫煙者のくせにたばこの匂いが嫌いだったりするのと同じように、私も有機的ななにがしかが入り混じった生活臭は苦手だ。
そうだ。
スペースが必要だ。
音や匂いやうっとうしい態度には、物理的な距離が必要だ。
これは子どもや年寄りと住む時も同じで、お互い触覚から少し離れていてくれると非常に心地よい。幸い私たちは今子どもの学校に合わせて、バンコクの郊外に住んでいるので一軒家を借りることも出来る。このコロナ渦で都心の家賃はダダ下がりしているらしいという噂がこの辺りまで有効かどうかはわからないけど、引っ越しチャンスには違いない。
下の娘の高校卒業まであと7年。
そのあと、夫婦でどこへ住むのだろう。子ども達はどこに行くのだろう。その時、犬がいたらどうするんだろう。そんな事をふんわりシュミレーションしていたら気づいてしまった。
もうそんなに長くない。
元気に動き回れるのなんてせいぜい70半ばまで。子どもをあと7年で追い出したら10年ちょっとしかご褒美タイムはないのだ。10年ってあなた。今まで10年を5回くらいやってきたけど、何もなしえていません・・・
残り寿命にて
・5年に1回引っ越ししてもあと2,3回
・親に会えるのも(喪)ひょっとすると10回ない
・プチ留学だってあと5回は出来ないかもな
・再訪したい国に行けるのもせいぜい1回かそこら
・犬猫飼うならそろそろタイムリミット
・家のローンはもう無理
・これから永住権はもう無理
・3年に1度の地元の本祭りも見れて3回?(どうでもいいながら)
これから引っ越したところに、5年住むとしよう。そうするともう人生の25%が終了したことになる。たった5年住むだけで、人生の1/4ガー
20代はこれから夏休みが50回くらい来るでしょう。
ところが50代には20回しか来ません。
60代なら10回。
当たり前。
だけど16歳の夏休みが生涯一度だけなのと同じく、63歳だって一度だけです。そして大きくなればなっただけ、来年やろう、次にしようが、叶わなくなっていく。
寿命が近くていいことは、しょせん死ぬまでと思えば、がんや歯の治療もとりあえず死ぬまでもてばいい程度にしようと思えるし、英語やタイ語も永遠にイマイチだなぁ~って思いながら死んでいくと思えば、残念だねぇくらいのことだ。
さんざん遊んだんだよね。人生の後半が子育てで慌ただしかったから自分の時間がなかったような気になるけど、無駄に青春は長かったよ。
心残りと言えば、もっと歌って暮らしたかったな。
正直もうバンドやるのは面倒くさいし、有名にもならなくていいので、私はただ歌えればいいだけだ。作詞作曲もいまやめんどくさい。だって私には言いたいことなんて何もない。半身はすでに成仏している。それに世界には素敵な曲が溢れているのだから、その素敵な曲を大事に歌おう。「真剣にやるバンコクカラオケ部」でいい。少数精鋭でやる真剣カラオケ。なんならメンバーで死ぬほど練習して、結婚式の余興に人が足らない時、催しもののサクラなどにお呼びくださいみたいな活動はどうだろう。それだって、たぶん2,3回やったら死ぬ。完成度は高めていきたいと思うが、高度とはいえ消えものは非常に気分が楽でよい。
ここタイランドでは、まだまだ人の命が軽い。お別れもさっぱりしていて、みんななんか適当だ。もしかしたら私たちは、たった一度しかない人生!と思い過ぎなのかもしれない。何かに追い立てられて生きなくても、ただ生きるだけで良ければ、ただ楽しい方へ流れていくだけでいいのかもしれない。人生そのものが消えものなのだ。それでいいのだ!と教えてもらっている気がする。
「あっちゃんは、欲しいもの全部手に入れたね」
と言われたことがある。
ワケありだった夫、出来なかった子ども、それは私がコントロールできる運命ではなかったが、なんと神様は私とそれらを紐づけし今ここにチームがある。
だけど、すべてを手に入れるってどういうことだろう。私は私自身だけで何者かになることをずっと望んでいたし、それには人生が短すぎた。覚悟も努力が足らな過ぎた。コントロールできることの方がまったくうまくいかなかった。そんな人でもちゃんと人生は終わる。しかも調子がいいから、いよいよ残り時間が少なくなった今は、何言ってんの上出来じゃない!すごいじゃない!と素直に思っている。
ほんとう、私は大事な物を全部もってる。他にはもう何もいらなかった。
やり残したこと、成れなかったもの、そんなのも幻想、すべて淡雪のごとしナリ。
遺書かよ。