小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

私のHero ソミーのこと。

ひとつの死が誰にとってもその大きさや距離や、在り方が違うように、例え家族であっても、友達であっても抱くものが違うのは当たり前だ。ただ、自分にとってそれが非常に近く悲しいと、身近な人には同じ様に悲しんで欲しいと思ってしまう。だけどうっかりドラマチックに話してしまったら悲しみが汚れてしまう。私は私の悲しみを誰にも渡さなくてよいのだ。と、ひと味違った死生観と達観をもつタイの人からまた教わった。私は誰かが大切な人を失ったその時にその人の求める様に寄り添えただろうかと省みている。駆けつけてちょっといい事言ってやろうなんて、出しゃばったことはなかっただろうか。死に絡まった人たちの心情を改めて慮っている。

 

チラシを貼ってもらうために警備員の所へ行ったら「4.5日前に黄色い猫が死んだって聞いたよ」と。その場にいた私と子ども達6人くらいが凍りついた。だからだと思うけど「でもちょっと日にちが違うかも」って話を濁してくれた警備のおじさん。気を取り直して村の事務所に行って村民LINEに画像流して貰ったり、動物病院へ行ったりしたけど、やっぱりさっきの発言が気になってしょうがない。黄色い猫ってこの辺にはあまりいないのだ。凛とタイ人のベルちゃんがもう一度警備員に詳しい話聞いてそのまま現場に行ってみると言うので、我々は二手に分かれた。

最後に黄色い猫を見たその人は「君が飼い主なの?」と真っ直ぐに凛を見て尋ねて、凛がハイって言うとあぁそうなんだって「多分ほとんどこの子だと思うよ」とチラシの写真を見て言ったのだそう。通訳をしてくれたベルがその言葉を最初に受け取って、それを凛に伝える時の事を思うと本当に申し訳ないしありがたいしで苦しくなる。凛もよく受け止めた。最初に発見された時は大きな木の根に横たわっていて、でも次には道を隔てたすぐ向かいの大きな御屋敷の垣根に動かされていたらしい。そこのメーバーンさんが気づいてくれて周りの人と共に片付けてくれたのだろう。聞き込みに行ったのが子どもだけだったからか身体に損傷があったかどうかは伝えられず、ただもう息絶えていたよと。

恐らくは交通事故で、轢いた人が木の根に置いて行ったのかも知れない。その後移動させられたことについては想像が及ばないけど、ただどちらも穏やかな場所でなにか死への悼みが感じられた。動かせたという事は損傷は大きくなかったのかも知れないとか、心臓発作とかなにか急病だったのではないかとか、あの大雨にあたっていないだろうかとか、ずっと考えてしまう。ただ、その場所は我が家からほんの2ソイしか離れておらず彼のお散歩コースだった。彼は迷子ではなかった。遠くに行ってしまって困っていたらどうしようと思っていたからそれは少しホッとしたし「おりが道に迷うわけないやんけ!」ってソムが言ってる気がした。ただおっちょこちょいだぞほんとに。

いや、外飼してた私が全部悪い。何を言っても言い訳だけど、私も外を知らない子だったら室内飼いをしてたよ。ソムは男の子だし懐いてるけどまたどこかへふいっと旅に出るんじゃないかなって来た当初は思ってたんだ。意外と長くなりそうなので去勢して出入り自由にしたというのが始まり。うちの子になって3年半(たったの3年半だったのか!!)引き続き縄張りパトロールに精を出していた。人類と散歩したり、たまに縄張りを案内してくれる時にみせるキラキラした顔が可愛くてしょうがなかった。そう言えばここのところ夜のパトロールが忙しそうだった。朝帰りが増えて、名前を呼んでも近くにいないことが多かった。

ソムの最後の後ろ姿の動画や待ち受け画面ご飯のお皿、見るのも辛くて、もうなんか引越ししたい気持ちになったり、誰にも会いたくないし、だけど通訳してくれたベルんち(カフェ)のガラスに目立つように貼ってくれたチラシが私が見るより先に剥がしてくれてあって、えーなんでそんなことに気がつくんだろうって驚いてる。ほんとに感謝してる。何もかもが呑気にしてた自分に突き刺さるから、誰にもその後を話せないでいるけど、近所の人も何も聞かない。そして見ず知らずの皆さんも、みんなが少しづつこの小さな死に優しく関わってくれたこと、深く深く感謝しています。

ペットの死は子ども達にたくさんの事を学ばせてくれますよねとかクソ喰らえだなと思う。彼は私たちの学びのために生きて死んだわけじゃない。タイ人には教えられてるけど、ソムはそんなの知らないよ。それに彼は私に飼われなどしていなかった。ただ仲良しだったすごく。ソムは私がやっと気付いたので安心しただろうし、凛と一緒にお家にも帰ってきてると思います。

お気遣い心からありがとうございました。