小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

日本に帰るなんて考えたこともなかったけれど

他国へ出てみると、日本の良さが分ったり、ダメさが分ったりする。外に出てる人にしか見えないことは確かにある。逆に外に出てしまった者は、日本での生活実感を日に日に失っていくので、その問題が在住者にどう映るのか(もしくはどう感じにくいのか)がわからなくなっていくものだ。出羽守とか言われちゃってさ、齟齬が生じる。実際、私から見ても20年間給料が上がらず、横ばいと言うことは実質下がってるという経済状況の中で、誰もがだましだましそーっと生きている様にしか見えないし、それに気づいてからも驚くほど長い間なにもしないし本当にいいことひとつもないと思う。その感想はその状態の間じゅう変わらないし、良くなる兆しも見えない。

 

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しかし、最近本帰国した友人たちから話を聞いて、私の中の日本に少し変化が起きている。彼らは3.11をきっかけに日本を脱出した同志たち。「え?まさか帰るのあの人が?」というほどみんなタイが好きだったし、日本バンザイ派でもなく(むしろアンチ)だから彼らの言葉には忖度がない。信頼している。素直に「それはすごい!ちょっと大丈夫かも!」と思えるような話を誰からも少しずつ聞いた。

 

ずっと何もかもがアホ高かった東京も、今やバンコクが追い上げて家賃は並んだ。食費だってバンコクの贅沢品は東京以上に高いし、屋台飯以外は作った方が安くなった。ついに我が家の電気代が2万円になった今月、光熱費も日本とどっこいどっこいだ。ただ日本に私のモタサイはいないし、自転車代わりのタクシーもないし、ネットスーパーもデリバリーもバンコク程のバラエティに富んでないしで、重たい思いして歩くことは増えそうだけど、とにかく何もかもが安いというなら仕方がない。待て日本はごみの分別が難しいぞ・・・なんて、まぁ安いのが良いことなのか悪い事なのか、分別が難しい方がいいのかそうじゃない方がいいのかなんてよく考えなければ、好き嫌いの話でよい(いやそこ大事でわ

 

大きく認識を新たにしたのは、学校だ。

タイで育った大きめの子ども達の多くは、日本語で試験が受けられるほどの日本語力がないため、日本に戻っても公立ではなく、私立やインターに入ることが多いだろう。なので、私の中の「公立の闇」は闇のまま凍結されてるけれど、少なくとも「お金を払って教育を受ける」場においては、かなりアグレッシブなカリキュラムが用意されるようになったらしい。求められる子ども像も従来の兵隊型ではなくなって、人権、自立、自分でものを考える力、などが重視されるようになっているという。都立なのに英語で通学出来て3人目無料!!なんて学校も登場したとか(そりゃ倍率はアレですよ)インターも新規参入してきた学校なら学費がだいぶモデラートだとか。それらの学校で「IB」だって取得可能なわけだから海外への進学はぐんとひらけた。都立私立からの留学なら返済不要の奨学金を受け取る条件にも入れるでしょう。英語環境が増えているということは、同時に帰国子女にも居場所が増えてるということだ。実にありがたい。そしてうらやましい。中学生の子どもを伴って帰国した友人が「日本で高校生活を終えてから海外の大学に出た方が有利」と言ってたのはこのことかと。最初はせっかく覚えた英語のポテンシャル落して日本の高校なんか行ってまた海外に出るってなにめんどくせえ意味WHYだったけど、だいーぶ経った今おぼろげながら理解した。選択肢がだいぶ変わってるんだねぇ。私達が渡タイした当時は、タイの国立大学の学費は日本のそれよりずーっと安くて、それはそれは明るい未来に感じられた。きっとその頃には英語もタイ語も堪能になり、将来の選択肢は増えるだろうと思っていた。しかし外国人としてタイにいる以上、同じ学歴でもタイ人の奨学金制度に入れるわけでもないし、海外へ行きたい外国人の選択肢はさらに少なさそう(想像)でもこのまま今の学校に通っていればとにかくAレベルは取得できるので、それは大きいよ大きいよー。私は何も考えなくていいしそれはすごくいい。

まぁつまり、そんなのどっちがいいかって下世話な話じゃなくってさ、どこで暮らしたってどこでも良くなったらいいわけだし、こうやって日本の教育に新しい風が吹ているってのはとてもいいよ。本当に嬉しい。もし日本に帰らなくてはならない不測の事態(私にとっては)に陥っても、泣かないで帰れるくらいにはなっていてほしいからね!!

 

たださ、日本の暮らしやすさは恐ろしくって、こたつに座ったらもうなにも考えられなくなるうえに、1日にいくつもタスクをこなさなきゃいけなくなるから毎日忙しくてまたなにも考えられなくなるんだよ。それはつまり考えないで走りこたつに入るばかりが快適ということになってしまう。起きたらお手紙を出しにいって1日を終えるこちらのサバイ生活とは、まったく時間の流れが違う。もう私には日本の人の歩く姿が早すぎて見えないと思う。FLASHかと。その暮らしやすさ「考えなくても済む快適さ」という真綿がかなりゆ~っくりと首を締めるので、ほとんどの人が意外と痛まず逝けてしまうだろう。年寄りならもうそれでええやんと思った瞬間に、あぁそうだよ年寄りしかいないのだからなんの問題もないではないか、とそら恐ろしくなるのだ。つまりそれこそが、透明で声のない人々があえいでいても、その他の人びとの生活にはいっさい支障がないという差別の構造そのものなのだから。そうそういうのがイヤだったんだよ。ほんとにそれでいいのかよ!ってところが、まだ私の中には残っているうちはまだまだここにいたい。

 

でも、日本に帰るのも悪くないってことが、わかったのは良かった。これから子ども達と一緒にベストウェイを模索していこうと思う。外国人が海外で生きていくには、並行して永住権やビザについても調べなきゃならない。うちみたいに、すでにマネー使い果たしているのに子沢山だと、事の次第によっては先に永住権のがリアリティあったり、もし奨学金をいただけるなら四の五の言わずにすぐ参りますってことも大あり。つねにフレキシブルにな(子に言っています

 

早いなぁ、渡タイしてきた時は、幼稚園児だったのに。

ほんと未来はすぐそこだー。