小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

空をきる、手のひら

 

 

時には自分の尊厳の為に、闘わなくてはならない時がある。

大事なのはタイミング、そしてインプレッションだ。

私達は幼い頃から、好意的で礼儀正しい態度でいるよう躾けられてきた。私ももちろんそうしているし、実際そうでない人と付き合うのはとても面倒くさい。

では、正当な理由があって「止めて下さい」ときっぱり言うのはどうだろう。

自分の中で「事を荒立てるな」という急ブレーキがかかる。もはや、好意的とか礼儀正しいとかそんな事が吹っ飛ぶくらい、強固に「事を荒立てない」は私達の内にある。

別名、華麗にスルー力だ。

 

もちろん、日常的に華麗にスルー力はとても大切。タイに住んでるとほぼ毎日発動される。マイペンライ! 気分よく暮らしていく為には、穏やかな迎合は最優先。

 

 

 

「先生が私と子どもの前ですごく失礼なことを言ったのに、あまりにもびっくりして何も言い返せず帰ってきてしまいました。慰めて欲しい。聞いてください」という旨のツイートを見て上のツイートを書いた。そして思い出していた。

 

怒りについて考える時、わたしはいつも今は亡き、恩師の言葉を思い出す。

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私がまだ20歳になる前だな。

地元の友達が急に連絡をよこして「妊娠した」というのだ。

介護士の専門学校で私達は出会って、恋に堕ちた。実家住まいの彼のところに私はよく遊びに行っていたのだが、その時に知ってしまった。彼には結婚を約束した女がいるのだ。その人は看護師で同じく看護師である彼の母親ととても仲が良い。どうりで歓迎されないわけだ。家族中が私の登場を喜ばしく思っていない。ある日はひどく叱責されたうえに鞄を放り出され追い返された。それでも、彼が私を選ぶというから、がんばって通い続けている。お手伝いもするし、お土産も欠かさない。

そんな話を長々と聞いた。

中学時代は成績も良くて、顔もかわいくって、部活動で全国大会にも出たりしていた彼女。ザ負けず嫌い。その恋も、恋だ愛だというよりはもはや意地だという気がした。もうこれは聞いているだけで、やめなさい案件だった。

 

ひとりでは怖い。

都会の陰にひっそりと佇む古い産婦人科。

器具の、冷たいきらめきを今でも覚えている。

待合室にいるように促された私に聞こえてきた彼女の絶叫、嗚咽。彼女は心からお腹の赤ちゃんを降ろしたくなくて、麻酔の途中でそれを押し返しドクターを蹴りあげ暴れたらしい。錯乱状態の彼女をドクターは抱きしめて鎮まるのを待ち、どうにか眠った彼女の枕元に私を呼んで事情を説明してくれた。「こんな状態ではできません」と。汗びっしょりで眠っている彼女の、髪がへばりついた額をそっと拭いてやった。大きななにかが自分を責めているように感じた。こんな悪事をするからだ、よく見ろと。きれいな顔で眠っている彼女が悲しかった。何時間か眠って目覚めた彼女は、彼に連絡したいという。病院のピンクの電話に体をぶら下げるようにやっと立って、でも明るい声で、うん大丈夫だよって言ってた。彼が迎えに来るって、と嬉しそうにそそくさと着替えだした。

ほどなく小柄で、ほんとにつまんない感じのふつうの男が部屋に入ってきた。「まだフラフラするかも知れないから、気を付けて帰りなさいね」とドクターは優しく、私達は頭を下げて病院を出た。その時さっと、彼の重そうな通勤鞄を当たり前のように彼女が持ったのだ。私は介護の現場でも一番力持ちで、体の弱い彼の事もよくおぶってやるんだって言ってたな。

 

ちょっとお茶でもしませんか。

と、私が言った。喫茶店で、そう忘れもしない高田馬場のルノアールだよ。彼女の気持ち、状態、今後の事、私の意見、そんなことを話したのだと思う。全てにおいて「そうですね、申し訳ない気持ちです。その通りです。ありがとうございます」そう答える彼。その会話の合間に「今日さ、営業行ったら、〇〇で△に会ってさ」「えーうっそー」なんて会話を挟んで。母親の様な眼差しで愛しそうに彼をみつめる彼女を見て、なかかなにうんざりした。

ではと、伝票を持ち、私は席を立った。

 

その日、私は静岡の山の山の中にある大学の保養所で泊りがけのワークショップがあり、そのままの格好で何時間もかけて真っ暗な無人駅に辿り着いた。

「なんで遅れたの」ってみんなに聞かれるんで、お水をガブガブ飲みながら、大好きな教授に「聞いてくださいよー」って事の顛末を話した。たいしたことじゃないんですけどねってな感じで話す私に、

「あっちゃん、立ってごらん」

と先生は言った。

 

「とくに女性たち良く見て。君たちには、自分の尊厳を守るために闘わなくちゃならない時が必ず来るんだ。あっちゃん今日はお疲れ様だったね。今とても大変な気持ちだと思うけど、今度その男に会ったら、横っ面をひっぱたけ。コップの水をぶっかけてもいいけど、いい音立てて横っ面を思いっきりひっぱたくのが一番いいな。ほれ、俺をぶて!早くいっぱつぶってみろ」とでっかい顔を差し出した。

 

ヤーって小さい声出しながら、ピチンって叩いた。

「しっかりしろ!足を踏ん張れ!腰を入れろ!」

 

「野郎どもは分かるんだけどなぁ、女性はちんちんねえからどうやったらわかるかな。剣道やる時もそうなんだけど、ペニスが真っ直ぐ落ちるようなイメージで体の中心を真っ直ぐに捉えるんだよ。架空のペニスをイメージしてください」

「先生、俺のちんこは曲がっています!」

「そうかそれは困ったな」

みたいな会話を交わしながら、そこにいる女子はみんな立って、真剣に身体の中心を意識しながらフォームをつくり始めた。「先生、これ太極拳でいうところの〇〇ですね」なんて言いながら。「耳に当たらないように気を付けてね。鼓膜が破れちゃうから。ばっちりほっぺを仕留めろよ。それがまぁ喧嘩の流儀だな」思えば私は、それまでの人生で思い切り人をぶったことなんてなかったのだ。いざとなると想像以上にとても恐ろしいし、難しい。

 

「よしこい、あっちゃん!!足を踏ん張れ、腰を入れろ!それ!」

 

ペチン!!

 

「ま・・・・・・・そんなもんかな」

岩の様な頑強な顔の先生は、細い目をさらに細めて、笑った。カハハハハ

 

私はここへきてやっと、えーーーーーーーーーんって泣きたくなった。

私は傷ついていた。おおいに傷ついて、とてもとても悲しかった。それに気がついた。

実際には泣けなくて、また我慢しちゃったんだけど。

 

このゼミは社会学で、差別について勉強している。

その後のゼミでも田嶋陽子の怒り方がどうのこうの、なんて話にもなり、女が声を荒げて戦いを挑むと「ヒステリック」とか「感情的」とか「頭悪そう」「面倒くさい」なんて言われることが多々あるよねと。ドラマや小説でも、男が男泣きに泣き、大太刀周りで誰かを殴って助けたらヒーローなのに。ゼミでも、バイト先でも、会議でも、国会でもいい「女性が怒ってかっこいいというモデルがまったくないように思う。私達はとても怒りづらい。怒る前に怒らないでいい方法を自分で探してしまっている。だけど怒るポーズと言うのは、とても大事なのではないか」と私は言った。先生は細い目をちょっと見開いてメモをとってくれていた。「怒る姿がかっこいい女のロールモデル」私の声が先生に届いて報いたのがじんと嬉しかった。

 

 

 

この後、例の彼に会ったのは二人の結婚式だった。苦虫を心に住まわせたままの私は、参加、不参加で揺れに揺れたものの、しっかり晴れ着で参上した。二人が挨拶に来た時、いよいよひっぱたいてやればよかったのだけど、事件のことを親御さん達は知らないだろうし、とかいろいろ考えてしまって、もうできなかった。大事な友達を傷つけた彼をどうしても許せなかったし、意地を押し通して血みどろになった彼女の目が勝利に輝いているのも、私の理解を軽く超えていた。持ちきれない程の醤油や砂糖、鯛の砂糖菓子にバームクーヘン。さすがに当時でもそれはないよというくらい古式ゆかしい引き出物たち。酔客はみな親戚でお父さんもお母さんも幸せそうだったな。

振袖を脱ぎながら、やるせなかった。

そのまま少しずつ疎遠になった。

 

 

やっぱり怒るのは、大事なことなんだよ。

自分の尊厳を守るために、いつでもここ!って瞬間に横っ面めがけて平手をぶちかませ。タイミングが命なんだ。迷ったり、考えたりしたら間に合わない。

 

一生、間に合わないんだ!

 

出来なかったらせめて、相手の腕を掴んでみたらどうだろうね。泣いちゃって言葉にならないかも知れないけど、なにか口から出てくるはずだよ。

 

それも出来なかった、そのここ!って時に

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

って言ってみたらどうだろうね。

相手がハッとするくらいに。

 

いろいろな手を考えながら、私は今日もあのクソな瞬間を思い出し、「最悪な日」を「全力で乗り越えた記念すべき日」にするためのシャドーボクシングを欠かさない。娘には躊躇なく手のひらが空を切り、自分はもちろん大事な誰かを守れる人になってもらいたいと思う。強そうに見えても、みんな意気地なしだからね。

 

わたしも、あなたも、強く、素早く、優しくあれ。