小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

あのスカートの話

同じモノづくりをしている友人から

あのスカートは安すぎじゃないのか、という感想をいただいた。

今日から予約が始まるCHRONICLEのことだ。Funfarもだけど「手織りの綿で藍染」とくれば3万4万つけて売ってる所はいくらでもあるだろう。

 



 

正直、このスカートの卸値はとても高い。実は卸値ともいえない。デザイナーさんの言い値のまま、ほぼ小売価格のまま受け取っている。だけど、それは製作サイドが必要でそうしていることなので、私に突きつけられているのは「欲しいか、欲しくないか」だけだ。

 

タイって国は、Wholesaleという言葉が廿浦浦まで通じて、お互いに気持ちよく交渉できる国だと思ってる。水に濡れたら溶けてなくなりそうなクオリティでも、デザインがめっちゃポップで面白いなら、うんと安くして売ってみようかなぁとか、そう言うのも楽しい。でも以前から気がかりなのは、大切な技術や伝統が徐々に消えつつあることだ。生活が便利になって必要な物が変化していく事を外様がどうこう言えたことではないが、私達バイヤーがど真ん中で関わることについては、私達の希望が反映しているのだという意識がいつも必要だと思っている。ままかは20年この世界をうろうろしてるけど、その間に少数民族の刺繍糸は化繊になり、刺繍を施す布がアクリルになり、隅の方はミシン刺繍のテープになった。これは少数民族たちが自分たちの技術や文化に価値を見出す以前に、世界中の都会のバイヤーたちが量で買い叩き、根こそぎ買い漁った結果だと思っている。本物の刺繍は渋く色が沈んでミシンの針よりも一目が小さくぎっちりとしていて、おばあちゃんのおばあちゃんが作ってくれた物だったりする。これを山盛り差し出してしまい、次にお金を得ようとしたら、もっと扱いが簡単で安い素材でいっぱい作ろうという発想になるのは自然な事だ。昨日作ったような鮮やかな刺繍のものは、おばあちゃんのおばあちゃんが作ったものではない。刺繍という文化は残ったけど、これは現代のファッション。もちろん、これはこれで可愛いから私も大好きだし買いますよ。でも昔の刺繍と意味は違っちゃったってことね。山へ買いつけ行くと、私の前に手に手に刺繍を持った黒モン族がいつの間にか長蛇の列になっていて、ハイハイじゃこれはいくら、ハイハイこれはいくら、と値を付けて傍らに積んでくかっこうになる。はた目から見るとやっぱり根こそぎ持ってくように見えてるよな。だけど、私はいつも重さで買うような無礼はしまい、買い叩きはしない、なるたけ言い値で買おう!と思ってやってきた。ささやかな抵抗だけれどね。だってさ、それこそ銀座のギャラリーあたりで10cm四方の刺繍が額に飾られて3万4万で売れる世界なら、もう少し消費を控えても、彼らの伝統を守ってあげることが出来たんじゃないかなって思うんだよ。

 

さて、話はスカートに戻るけど。

ちょっと前まで、タイはコットンがデフォルトだった。何を買っても、コットンか柔らかい風合いだとレーヨン。タイパンツは昔っからレーヨン。それが最近見たらポリエステルになってたわ。そう、そうやって気づいたら、みんな乾くのが早くてアイロン不要の化繊がもてはやされるようになってた。「コットンですよ」という嘘まで出るくらい、コットンは高くて当然になって、減った。タグに100%COTTONとあってもそれは、そう言うタグを作って付けてるだけだ。そして今日も私は祈るようによいコットンを探している。いつも買ってるコットン屋さんの、ある色だけがなんか化繊っぽい・・・あぁついに、なんて思いをしょっちゅうしてる。

 

だから、実直にコットンを紡いで染めて手織りしてる人達を応援したい。

ここはまだ子育て真っ最中の若い夫婦がやってるプロジェクトみたいなとこで、デザインが斬新にして上品だし、なによりコットンの素晴らしさを広めたい、価値を高めたいという気持ちが、値段にも表れている。聞いた時「買えない!」って思った。だけど、「買いたい!」と思った。だったら高く売ればいいだけなんだけど、日本は景気が悪いしよ、買えない値段の服って楽しくないじゃない。だから、ままかにしては少し高いけど、私はあんま儲からない、けどまぁ出せて嬉しいよって思ってやってる。そんな商品です。買って下さる皆さんは、出るとこ出たら3万円よ?って思って着てくださいwww大丈夫、上手に着たら一生もんだと思います。それがコットンのいい所なんだよね~。