小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

あのスカートの話

同じモノづくりをしている友人から

あのスカートは安すぎじゃないのか、という感想をいただいた。

今日から予約が始まるCHRONICLEのことだ。Funfarもだけど「手織りの綿で藍染」とくれば3万4万つけて売ってる所はいくらでもあるだろう。

 



 

正直、このスカートの卸値はとても高い。実は卸値ともいえない。デザイナーさんの言い値のまま、ほぼ小売価格のまま受け取っている。だけど、それは製作サイドが必要でそうしていることなので、私に突きつけられているのは「欲しいか、欲しくないか」だけだ。

 

タイって国は、Wholesaleという言葉が廿浦浦まで通じて、お互いに気持ちよく交渉できる国だと思ってる。水に濡れたら溶けてなくなりそうなクオリティでも、デザインがめっちゃポップで面白いなら、うんと安くして売ってみようかなぁとか、そう言うのも楽しい。でも以前から気がかりなのは、大切な技術や伝統が徐々に消えつつあることだ。生活が便利になって必要な物が変化していく事を外様がどうこう言えたことではないが、私達バイヤーがど真ん中で関わることについては、私達の希望が反映しているのだという意識がいつも必要だと思っている。ままかは20年この世界をうろうろしてるけど、その間に少数民族の刺繍糸は化繊になり、刺繍を施す布がアクリルになり、隅の方はミシン刺繍のテープになった。これは少数民族たちが自分たちの技術や文化に価値を見出す以前に、世界中の都会のバイヤーたちが量で買い叩き、根こそぎ買い漁った結果だと思っている。本物の刺繍は渋く色が沈んでミシンの針よりも一目が小さくぎっちりとしていて、おばあちゃんのおばあちゃんが作ってくれた物だったりする。これを山盛り差し出してしまい、次にお金を得ようとしたら、もっと扱いが簡単で安い素材でいっぱい作ろうという発想になるのは自然な事だ。昨日作ったような鮮やかな刺繍のものは、おばあちゃんのおばあちゃんが作ったものではない。刺繍という文化は残ったけど、これは現代のファッション。もちろん、これはこれで可愛いから私も大好きだし買いますよ。でも昔の刺繍と意味は違っちゃったってことね。山へ買いつけ行くと、私の前に手に手に刺繍を持った黒モン族がいつの間にか長蛇の列になっていて、ハイハイじゃこれはいくら、ハイハイこれはいくら、と値を付けて傍らに積んでくかっこうになる。はた目から見るとやっぱり根こそぎ持ってくように見えてるよな。だけど、私はいつも重さで買うような無礼はしまい、買い叩きはしない、なるたけ言い値で買おう!と思ってやってきた。ささやかな抵抗だけれどね。だってさ、それこそ銀座のギャラリーあたりで10cm四方の刺繍が額に飾られて3万4万で売れる世界なら、もう少し消費を控えても、彼らの伝統を守ってあげることが出来たんじゃないかなって思うんだよ。

 

さて、話はスカートに戻るけど。

ちょっと前まで、タイはコットンがデフォルトだった。何を買っても、コットンか柔らかい風合いだとレーヨン。タイパンツは昔っからレーヨン。それが最近見たらポリエステルになってたわ。そう、そうやって気づいたら、みんな乾くのが早くてアイロン不要の化繊がもてはやされるようになってた。「コットンですよ」という嘘まで出るくらい、コットンは高くて当然になって、減った。タグに100%COTTONとあってもそれは、そう言うタグを作って付けてるだけだ。そして今日も私は祈るようによいコットンを探している。いつも買ってるコットン屋さんの、ある色だけがなんか化繊っぽい・・・あぁついに、なんて思いをしょっちゅうしてる。

 

だから、実直にコットンを紡いで染めて手織りしてる人達を応援したい。

ここはまだ子育て真っ最中の若い夫婦がやってるプロジェクトみたいなとこで、デザインが斬新にして上品だし、なによりコットンの素晴らしさを広めたい、価値を高めたいという気持ちが、値段にも表れている。聞いた時「買えない!」って思った。だけど、「買いたい!」と思った。だったら高く売ればいいだけなんだけど、日本は景気が悪いしよ、買えない値段の服って楽しくないじゃない。だから、ままかにしては少し高いけど、私はあんま儲からない、けどまぁ出せて嬉しいよって思ってやってる。そんな商品です。買って下さる皆さんは、出るとこ出たら3万円よ?って思って着てくださいwww大丈夫、上手に着たら一生もんだと思います。それがコットンのいい所なんだよね~。

 

 



その年にふさわしい、よりも

たった3時間のデコセレクションですっかりくたびれて、でもうっすら興奮しながら静かな雨の夜を堪能しております。ままかに足を止めて下さった皆さんありがとうございました(⌒∇⌒)

 

今日ね、母より少しお若い女性とお洋服を手に話していたんですが

「こういうユニークな形で、こういう色味のものが大好きなんだけれど、その年なりの恰好しないといけないのよね。田舎じゃ目立ちすぎるのよね」と仰ってて、悩みに悩みついに、諦めてしまわれた。でもお似合いだったんですよ。もったいないなぁ、と思います。でね、実はこれ、どんなに若い方も仰るんです。

「バンドTシャツでお迎えに行けないので、お迎え用の服をユニクロで買っておくんです」でも、それってきっと半分くらいは現実じゃなく呪い。私だったらママ友がバンT着てきてもなんとも思わないと思うんですよ。でも、一方で私もミニスカートではお迎えに行かないだろうから、誰の心にもそれぞれ「ふわさしい、ふさわしくない」はあると思うんです。どう思われるだろう、そわそわ不安になる、居心地が悪い。無理に着るのもまた違う気がします。

 

好きな服を好きな時に着たい。でも。

 

そう思うのはおしゃれさんだからなんですよね。

私の母はいよいよGrade80ですが、みっともないとかカッコ悪いとか息を吐くように言い、場にそぐうか年齢的にふさわしいかどうかって呪いを抱きつつ、でもつねにおしゃれに深い愛と拘りを持ってきました。その母にはタイのクローゼットがあります。

 

よく、ままかの茶話会でお話しますが、国による衣類の彩度というものがあります。日本はモノクロですね。無印、ユニクロ、この辺りの物が無難。ところがタイに入国すると、屋台のおばちゃんはピンクの花柄のトップスにレオパードのスパッツ無問題。特におしゃれってわけでもなく、好きな物を好きに着ているだけです。でもそんなひとりずつが明るい太陽の下にいーっぱいいると、日本から持ってきたアースカラーやカタチが重いんですよ。だから駐妻さんたちも、空気に馴染むように日増しに明るい色のアクセサリーが増えていくんだと思います。

 

母は、フラッシーなグリーンのワンピースや、パフスリーブのブラウスなどをバンコクの我が家のクローゼットに入れています。日本で着たら目立って落ち着かないけど、私はねぇ、断然こっちの色が似あうのよ、大好きなのよと。もちろんままかで買いましたw もう観光地巡りも面倒だしどこにも行きたくないんだけど、ショッピングモールやタラートでお洋服を探すのだけは今でも大好きです。

 

多くの人が自分に本当に合う色や服をまとうことなく周りに合わせてしまい過ぎることが、私は残念に思えてならないんです。誰もが心にタイのクローゼットを持ってたらいいのに。ちょっと勇気を出して、その素敵な色のお洋服を買ってみてはどうでしょう。田舎で悪目立ちする必要はないけど、ちょっと遠くに着て行ける場所を見つけられたら・・・自分の事を誰も知らない場所へ行けたら。人生の喜びがめっちゃ増すと思う。

 

親しい人と過ごすこと、美味しいものを食べる事、それから好きな自分に自分を飾ってあげる事。それってぜんぶかけがえのない自分を大切にするってことだと思うのです。

 



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ままかが生まれ変りました。

ずいぶんずいぶん、ここに訪れていませんでした。

世間がコロナ一色だった長い時間、ままかグローバルも眠り続けました。

残念なことに、プチ留学を失い、

子ども達は長い時間と経験を奪われ、

大人達は分断し、

それでも私達はここまでやってきました。

とにかく生きてこそ。

 

これから何をしようかなぁ~と、考えながら眠り続けていたような気がしますが、私にできる事なんてそう多くはありません。

とにもかくにも、ようやく手足を動かす気になった。

そんな感じ。

これからは、あまり肩肘張らずに、思ったことをちょいちょい書いていこうと思います。またよろしくお願いします。

 

 

早速ですがwwww

 

ままかも冬眠中にいろいろが整いましてですね

バンコク、初イベントに出店です。

デコセレクションに出ますよ!!!ひーーー

デコクラフト・クリスマスエディション

ameblo.jp

 

もうさぁ。やめて欲しいんだよ。急に決まったんだよ。

私は今後を見据えて、ゆっくり環境整備をしようと思っていたんだよ。

これやるっていうから、え??って。

公式LINEつくって、ままか用のインスタ作って、急場しのぎのホームページリニューアル(トタン屋根ですよまだ)まぁでもコロナで会えなかった卸元の人達とか久々に会えて楽しかったけどね。

 

これ公式LINEな。まだなんもなってへん。

https://lin.ee/@765dhybb

 

これインスタな。

これからばばーんとリール投稿やで

 

あぁあぁぁぁしろくまやさんのガトーショコラとトムマミのお弁当予約しなくちゃなくなっちゃう。DUNSKだよ、どうしようっかなぁ・・・見たら絶対欲しくなっちゃう。iiddeeさんのタオルハンカチは一時帰国に欠かせないし、脱毛のディスカウントがすごすぎる!!!!って思いながらおしっこがまんしてる。もうひと頑張り、今日は寝ないで頑張ろう。明日カレーの会だなんて信じられない。

 

明後日、みなさんにお会いできますこと楽しみにしております!

万象お繰り合わせの上、おいでくださいませ👋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12歳女性 + 14歳男性 双子・コロナ陽性・入院隔離~その②

 

なんと、ひとまず陰性で帰宅し、2人暮らしをしていた双子が次々と発症した。

 

娘のPCR陽性が出てから3日目の夜、ひょうがATK"陰性のまま"40度近い熱を出し、翌朝、解熱してから陽性に。その日から声掛けしたり、ご飯を出したりと看病していたりんから、夜遅くに「くらくらしてねつがあるよ」となんだか淋しそうなLINEがきた。「何度なの?」と聞くと「ごめん、ねつはなかった。検査はネガティブ」と。きっと熱っぽくてふわふわしてたんだろう。「夜更かししたからだと思う」と言い残してベッドに入って、そのままLINEも電話もつながらなくなりどうやら陽性に突入した。この日から今度は一晩で回復したひょうがりんの看病にあたる。まぁ健常であっても14歳男子の2人暮らし、大変なのは想像できるけど、さらに未知のウイルスと対決している双子。ほんとうに健気だった。お母さんせつなくて泣きそう、、、なんておセンチより先に母はやや緊張して次々プランをシュミレーションしていた。

 

学校で感染が広がっていて、PCRにたどり着く前に回復している子ども達の話も聞く。そういう子達は、そのまま14日間の自宅隔離をしているらしい。もしりんが目を覚ました時に、ひょう並みに元気だったら、むしろその方が体への負担が少ないようにも思えた。いかんせん、私が彼らの顔色を直接見ることが出来ないので、簡単にその選択にも舵を切れない。とりあえず少年が2人で戦っている事実をどこかに知らせておく必要を感じて、りんが眠っているうちに校長先生と、すでに回復したお友達のおうちに連絡をしていざという時のことをお願いした。翌朝、私は看護師さんにも話を聞いてもらった。サミティベの隔離は、毎朝看護師さんが体調と不足分の備品を電話で聞いてくださるので、その時に。子どもが全員陽性で軽症な場合自宅隔離に切り替えることができるのか、または思い切って全員こちらへ来るのがよいのか。「相談しますね」と一度電話を切って、作戦会議の後、折り返しの電話で「移送しましょう」と、もはや決定事項だった。「すでに車の手配も進んでいます。お子さんの電話番号にドライバーさんが電話をしますので教えてください」すごいスピード感だった。

 

ひょうに、猫のフードフィーダーの設置、カブトムシのえさやり、植木の水やり、持ってくるもののリストなどを送り、2時間後に迎えが来ることを知らせる。家族全員でグループトークにして、ひとつひとつ質問に答えていき、あとはゆっくり自分で支度してねと切り上げた。

もうずーっと双子に猫のことと植木のことを何度も言ってるんだけど、なんだかぜんぜん刺さってる感じがない。御用をいいつかってくれたお友達が撮って送ってくれたうちの玄関先の写真に、ブーゲンビリアが偶然写っていたんだけど思わず二度見したよね。こんもりと見事だった花がひとつもついておらず、拡大して見ても木しかない。枯れっかれになっているのか・・・猫は、せめて猫だけはミイラになりませんように!

 

二人を信用してないわけじゃないけど(してない)彼らと通話を切っているうちに、私はしっかり保険を用意。お友達に猫のえさやり、ヘラスクレス(あだ名)の里帰りをお願いして、我が家が体調をくずしてからはずっと近づかないようにお休みしてもらっていたメーバーンさんを召喚。72時間のインターバルをもって、家内の現状復旧をお願いする。洗濯も食事も自分たちでやっていたけど、もちろん完ぺきではなく(むしろ仕事を増やしていることでしょう)そこを整えてもらい、冷蔵庫の中身を捨て、清掃車に合わせてゴミを出してもらい、浴室内の消毒などなどを。これでいつ帰ってもすぐにきれいな部屋に入ることが出来る。本当にこれは最高に助かるんですよ奥さん!

 

さて、病院車が到着してグループ通話を再開。りんが「立てない」と言い出し、職員さんに支えてもらってすぐに乗車。ひょうが鍵かけまでの仕上げをするところで「あ、猫のえさ忘れてた」「あ、ヘラクレス(カブトムシのあだ名)のえさ入れてない」と、恐ろしいワードが耳に入ってきた。思わず「2時間何してたの」とつぶやいたが、いやいや「慌てないで待ってもらってね。生き物のこと以外はなんとでもなるからね」と言ったところで通話からひょうが消えた。しばらくすると「ひょうちゃんトークから抜けてるよ」「あそう?」「僕のゴムは?持ってきてくれた?もー-!」なんて聞こえてきた。そしてりんも通話から消えた。

 

やぁやぁと部屋に入って来た双子。ひょうが手に持っていたのは、ランプーンで買ったお気に入りのマイマグカップと、5日前に私が「あなたはこれを使いなさいね」って渡した1枚のタオルwww 面白すぎる!!

 

まぁ本当にしつこいけど、病院車はとっても素晴らしい。「手配が大変そうね」って日本のお友達に言われたけど、いやいやどうしたらいいのか悩んでる段階から、病院車の予約と部屋の変更、保険の手続きまで3分話しただけ。電話一本よ。いつもはスクンビットから少し離れた所に住んでいるので、所用は英語タイ語ミックスでしてるんだけど、ここサミティベスクンビットは要所要所で日本語使いが現れるので、細かいニュアンスが伝わり本当に助かる!日本で子どもが入院する度に、身体も心も疲れていくのを思い出すと、ステイケーションに近い心地よさだ。人と会えない身だから病室の引っ越しすら能動的にできなくて人様任せ。病人が苦労しないシステムほんとすごい。部屋や備品が豪華で日本語が通じるのはインターナショナル病院だからだけど、ローカルの総合病院でも「病気の人は苦労しないで」という考え方は共通と思う。付き添いも「マミーマミー」ととても大事にしてもらえる。

 

さて、とても大事にしてもらえているはずのマミーだけど

これはどうでしょう。

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私まだ陰性なんだけど~これは罹れって言ってるよね~

しかも、付添人のベッドが真ん中にセットされてる。双子が赤ちゃんで入院する時は、よくふたつのベッドを連結して檻にして、私その真ん中で寝ましたけどね。なつかしいけど、これはヤバいでしょう。せめてとカーテンが引ける一番端っこを陣取ったけど、そうすると娘が付き添いのベッドになってしまう。ごめんね(変えない)

 

さぁコロナ合宿のスタートだ。

私が隠し持っていたAubonpanのチョコレートデニッシュも、マフィンも、飲み切れるか心配していた野菜ジュースも、ぱー--っとなくなり。ゴミ箱がパンパンになり、スリッパとタオルが足らない。人数の多さがすごい。

 

まぁ百伽の嬉しそうなこと。立てなかったりんもスタスタ歩いて「もう少し腹にたまらないながら口さみしい時にちょうどいいようなおやつをお願いします」とか言いに来るようになり(来ないで)ひょうはずー---っとしゃべっている。

顔が見えないって怖いね。

いまやっと不安だったんだなぁーって思えるようになった。

ついにホッとしすぎて、発症なるかな!ハハハー

 

 

 

 

 

12歳女性・コロナ陽性・入院隔離~その①

外出先から帰ると「百伽ちゃん具合悪いって寝てるよ」と。

おでこを触ると、これはかなりの熱。

彼女は幼い時から、あれ?って思うとゴーゴー熱を出していて、薬を飲ませるのが難しいほど深く深く眠り、翌朝にはむくりと起き上がってくる。ほんとに体からゴーゴーって音が出てるように眠るのだ。きっととてもいい体質なのだろう。

まぁそうは言ってもこのご時世なので、目が覚めたらATKしなくては。

 

さて、ハラハラしながらキットを開封する。

もし、陽性だったら。

私はふだん世間などどこ吹く風で生きているけど、人にうつしたかもしれないことがとても怖かった。もっと言うと、学校が閉鎖になったり、ショッピングモールに消毒が入るとか、世間をお騒がせしてしまうことがとても怖ろしかった。なによりノンワクチンでうつったことをきっと病院に叱られるだろう。

ああ、やだなぁ・・・

娘がふうふう言いながらハンバーガーを1個をたいらげ、兄妹であれこれやりあってるのを横目に、そんなことでドキドキしていた。

 

待つこと数秒で、陽性!!

ラインがくっきりと出た!

 

今日は金曜日でお友達がたくさん遊びに来ていた。

キャンティーンでランチしたお友達も心配だ。

双子にお友達への連絡をいいつけ、娘の部屋を全開換気で扇風機回し、ご本人を幽閉した。夫と校長先生にLINEしながら清掃開始。彼女の使っていたカバンや食器を消毒、ドアノブを拭きながら上階へ移動し、素っ裸になって陰性者用のトイレ浴室を徹底的に清掃消毒。最後に自分を洗って消毒。気付くともう日付が変わっていた。

へとへとで降りてくると、双子が興奮してまだチャットしてる。

どうやら今の所、うちに遊びに来ていた子ども達はみんな元気。中でもランチから放課後までぴったりとくっついて遊んでいる仲良し女子は、別途わたしからお母さんに連絡した。そして昨日私が会っていた私のお友達にも。潜伏期間の平均が5日間だとすると、発症前に会った人にも配っている可能性がある。皆さんから「誰から移されたかなんて、関係ないですよ。今は誰だって感染する可能性があります。どうか責めないで」とお言葉を頂いた。感謝しかない。だけど、やっぱり「申し訳ない」と口から出てしまって申し訳ない。私もきっと誰かから感染の連絡をもらったら、そう答えると思うんだけど、自分が(我が家が)原因の一端を担ったと考えると、どうしても呑気に過ごしていた日々に罪悪感を感じてしまう。

 

娘はいつものようにゴーゴーと眠っている。さっきまでいい匂いのするこのピンク乙女ちっくな部屋も一気にそら恐ろしい雰囲気に。どうしても側に寄ることがはばかられ、様子を確認できずに子や親を悪化させてしまう人もいるだろうな。ましてや他人にはただ恐怖でしかないだろうなと思う。なるべく、家族でがんばろう。そうは言ってもタッキーは単身赴任中。遠くのタッキーと双子とわたし、やや心もとない。

 

とにかくまずは、タッキーと電話で来院方法について話し合う。私は運転が怖くてハンドルを握らないうちにうっかり免許を失効した。タッキーもいない今、我が家は車とは無縁だ。それでも暮らせちゃうバンコクだから日頃はまったく困ってないけど、もし陽性者が出たらどうやって運ぼうかね、というのは度々話題になってはいた。会社は保険を用意してくれているが(なにより最高です)車の準備はしないと決めたそうなので(oh)サミティベの電話番号を渡され後はグッドラックと。朝7時に電話をして指示を仰ぐようにと言われた。

 

猫ズが娘の部屋に入りたがって仕方がない。ふだんそんなに執着してなかろうに。きっと何かが隠されているのを感じて、気になってしかたないのだろう。

 

3時間おきくらいに部屋を覗くが、娘はゴーゴー音を立てて燃えている。

7時ぴったりに電話をすると日本語の流暢なタイ人男性が対応してくださってPCRの予約は完了。車の相談をすると、わりとすぐ予約出来るような明るい声で「有料になりますので、一般タクシーなどご自身で用意されてもよいかと思います」との流れ、うっかり電話を切ってしまった。でも2分後に「やっぱそれは無理」とかけ直すと、今度は日本人の男性が出られて「現況、配車も容易ではなく出来るだけ自力で来院してください。今一度がんばっていただいて、どうしてもということであればまたお電話ください」と言われてしまった。しっかりとマスクをして一般タクシーを利用してもよい、それは患者様がお決めくださいとのことだけれど、すでにATKで陽性が出ている人をタクシードライバーさんに会わせるわけにいかないし、その密室に双子も乗せたくはない。窓全開で2台に分乗するか、いやぁタクシーは無理じゃ・・・。と思いつつ、はい、わかりました。もういっかいがんばります、と電話を切った。配車サービスをしているお友達や、タッキーのお友達に声掛けをお願いして2時間くらいがんばった。けど、もういいですか・・・wとサミティベに再度電話。タイ人女性が「有料ですがよろしいですか?」「おいくらですか?」「片道1000Bです。検査は1時間ほどで終了しますので帰りの予約も要りますよね。一緒に予約しましょうか?」タイ人だと値段聞きやすい俺。「よろしくお願いします!」「空車を確認して、また折り返します」で、よし!車決まった!同時にタッキーのお友達からも車の用意出来たよ!と連絡をくれたんだけど(感謝感激)やはり一般の人をなるべく巻き込まないようにしようと、病院車を利用することにした。

 

娘を見に行くと、目覚めてぼんやりとスマホをいじっている。

「かあかん、Pちゃんもずっと休んでてね、だいぶ前から症状があったけどね、風邪だと思って学校来ちゃってすぐポジティブになったんだって。でも家族はみんなネガティブだから学校でうつったって言ってる」「学校に連絡したって?」「ううん、まだ言ってないんだって」

・・・おうふ早く連絡してくれていれば、とは思ったよね、でも発症の順番が感染の順番ってわけでもないのだよ。やはりこの発想は不毛なんだよなって思う。

 

私自身も、体調不良をコロナだと思いたくないお友達本人も、そしてなかなか学校に報告できないこの子のご家族も、感じている「不安」。

手を挙げる事のハードルの高さよ!

コロナはやはりすごく社会的な病「罪」なんだなぁと実感する。至らない感染症対策を責められ、拒絶され、排他されることへの恐れ。さらに医療崩壊の一端を担ってしまうのではないか(と、言われるのではないか)意図せずしてあちこちを封鎖させ経済的テロリストになってしまうのではないか(と、言われるのではないか)という怖さ。いつも誰のせいでもないどこから貰ってもおあいこだ、と言っていたことなのに、自分が原因になったとたん「病気の事だけ」を考えることが、とてもとても難しい。

 

予定時間よりだいぶ早くサミティベ号が到着。

190cmはありそうな大きなお兄さんが、ドアを開けてくれた。大きなワゴンなので快適だし、アクリル板もはめてあるのでこっちが安心。道を間違えたり、PCR専用の駐車場に入っていくのも迷うわけなくてストレスフリー!

 

駐車場内の検査場に到着して、さっそく書類なわけだけれど、スクンビットは初見参ということもありけっこうな量。書類に不慣れな双子(英語だからまだよし)と力を合わせて4人分仕上げる間に、娘が貧血で床に座り込み、思わず「横になっていいよ!」と叫んだらコンクリの地べたにぺしゃんと寝た。「立ってください!」と看護師さんが言ってるけどすぐには無理だろう、顔面蒼白だ。車椅子が飛んできてぱっと乗せられそのままバババっと足早にエマージェンシーへ。ベッドに横になったら、やがて落ち着いてドクターの質問にも答えられていた。たけど「思いのほか低酸素なのと熱が高いからこのまま入院しましょう」速攻入院決定。「お母さんこれからX-rayも撮るしいろいろあるので、病室が決まるまで一緒にいて下さい。そしたら荷造りに一度帰っていいですよ。小児科は付き添いが必要なのです。2週間と長くなります」と。そうなんだ。私タクシー乗って往復していいのかな?・・・と思いつつ待ち体勢で座っていたら「双子が帰るけど一緒に乗らないの?」とエマージェンシーの看護師さんが走ってきた。かれこれ説明すると「あなた自身がまだリスキーなのにタクシーなんかで往復しちゃだめよ!はい乗って!」と!ダヨネ!ということでとっとと乗車。もう冒頭からタクシーにまつわる疑問でいっぱいだった私的には、これが一番の正解だと思うんだけど、聞く人によって正解が違う。正解は自分で選んでそれがタイランド。

 

10分くらいで荷造り完了そして病院へ。

また大きなお兄さんが扉を開けてくれて、裏口の貨物用エレベーターから私を病室まで連れて行ってくれた。誰とも接触せず部屋まで一直線、のちガチャンと即隔離。

しつこいけど本当に病院車にしてよかった。病院車なら親なしで乗ることになっても安心。置いていくのは大きい子どもと言えど去年までは小さい子どもだったような大きい子たちだもの。そして、わたしが初めての病院内を安全ルートですいすい移動できるわけない。そんな心配が大幅に軽減した。

 

取るものもとりあえず隔離されちゃってから、普通の入院よりだいぶ人の出入りが少ない事を知る。タイの病院はよく子どもだけで入院させられてて、心細い映像をよく目にするけど、ここの小児科は子どもだけの隔離はしないとのこと。あの映像をみてしまったら、そりゃ日本の親は付き添いを希望するだろなぁと思ったけど、病院としてもその希望を受け入れると同時に子のケアは万全になるので渡りに船よね。陰性の私がまさかのトイレ掃除、して大丈夫なん?って思ったけど、この状況ではせざるを得ない。毎日、簡単な床掃除とゴミの引き上げだけ。バスルーム周りはやらない。基本的にはなるべく部屋には近づかず、罹患者には極力触らないのだと思う。医療崩壊を起こさないためには必要な事だ。よしそれならと、消毒液とサニタイザー自分用のATKをGrabした。付き添いのセルフディフェンスは、いまや最重要課題。ワンオペ家庭だしね!実際、私の検査結果なんかみんな忘れちゃってて催促してやっと口頭で教えてもらった。もはや付き添いの感染は折り込み済み?・・・いろいろあるけど私は元気です。

 

そんな感じなので、細かい質問が浮かんでも聞くべき相手になかなか会えない。薬の事は先生だけど部屋に来るのは1日1回だし、コップの増量お願いはお掃除さんだし、お買い物ののことは?そんなことを考えてるだけで1日目は終了。翌朝、看護師さんから電話があり、容態のチェックと必要な物の有無を聞いてくれたので、ようやく質問が出来、それを元に2、3日目は環境整備で終了。

4日目の今朝、ようやくパソコンを開けている。

 

肝心の娘の容態は、2日目の朝には解熱。酸素もすぐに外れた。残るは頭痛と咽頭痛、そして関節痛。今になって少し咳が出ている。1度だけ下痢をし、1度だけ病院に置いてある薄そうなホットチョコレートの味がない・・・とつぶやいた。(※後日私が飲みましたところ物自体無味でした。患者さん用で砂糖とミルクが入ってないやつ。あれうつった?と思いました)

入院はしたものの、なかかなの回復力だと思う。

あとは後遺症がないことを祈るのみだ。

今朝はオンラインクラスにも参加してたけど、薬が効いてきてまたまた深い眠りに落ちていきました・・・。

 

いっぱい寝て早くよくなれよー

 

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私が生きたい世界

いつもいいこと言ってる👍ブリトニー

だけど、子ども達に話す時は、ついカッカして上手く言えない。でも昨日わりと上手く伝わったので書き残しておこうと思います。ワクチンを受けるか受けないかというアンケートが学校経由で政府から届き、それについて私から子ども達に話したこと。

 

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せっかくいま子どもたちは健康なのに、予防のために今ある健康を差し出すって、違和感しかない。

 

まず、これは基本にあります。

 

そのうえで、もうひとつ。

何かを選択する時に、私が大事だぞと思っていることがあるのね。

自分がどういう世界に生きたいかってことなんだけれど。

 

君達は、私がワクチン大嫌いだと思ってる。

なのにワクチンを打った人に「よかったね、お大事にね、副作用が少ないといいね」と必ず言うのを、なぜ?と思ってると。そうね、確かにちょっと嘘くさいし、白々しいわな。

 

でも、私は本当にそう思っている。

そして、ワクチンが大嫌いなわけでもない。

 

例えば、うちの学校みたいに約50ヶ国もの国からやってきた子どもたちが集まると、中にはワクチンが行き渡らない国の子どももいるわけです。その子のご家族は「バンコクにいて良かったね。ワクチンありがたいね」って思っているかも知れないよね。ワクチンがそのご家族にとって福音であったなら、尚のこと副作用がありませんようにと祈ります。良かったねと言ってあげたい。

 

求めている人にちゃんと行き届く。

打たなかった人が虐げられない。

そういう世界が好きです。

 

君たちのことはさておき、自分も社会的な要請が強くなれば仕方なく打たなくちゃならない日が来るだろう、と思っていました。口には出さないけど、仕方ないと思う時が来るだろううと。でも今はそれってやっぱり違うよなと思ってます。ワクチンに限らずですが、個人の健康、ここでの暮らし通学や就労、何かを差し出せば続けてもよいですよという話が始まったら、黙って応じてはいけないのです。ワクチンが怖かったら怖いと言っていいし、無理して打ってはいけない。早くワクチンを打ちたいなら打っていい、それはそれだけの話しなはずじゃないですか。なのに打たないと権利がはく奪されていくとしたら、そこから先は別の話ですよ。健康は人権です。それを利便性や他人の正義や他のなにかと等価でもないのに交換できない。これから差別が始まるんじゃないか、やがて居場所がなくなるんじゃないか。まだ何も始まっていないことを見越して打つこともまた、ワクチンと同じ矛盾を感じてしまいます。私はそういう世界の一部でいるのがいやです。

 

私が生きたい世界においては、打つ打たないは個人の選択にのみ委ねられます。なので私がいつも言う「打つ人も打たない人もどうかご安全に」というのは、八方美人のいい逃げ口上だからって使いまわしてるわけはなくwww、

自立した個人が集まって調和を目指す、もっとも民主的で成熟した世界から来た考え方だと思っています。(そこはどこだろう)

 

こうしてワクチンの善し悪しを、明るみになる結果を、新たに見聞きしたことや、政府の発表、その感想を、みんなでガヤガヤと話し合うことはとてもよいこと。反ワクチンとか推進派とか、そういう発想には最初からひとつの答えしかありません。

でも本当は、真実も選択も人の数だけあるはずです。

 

コロナの性質が変化すると、ワクチンの定義も移ろっていきます。変化するものの安全性をワクチンパスポートで証明することだって、私はずいぶん非現実的だと思っています。でもそんな愚策に右往左往している間に、きっとコロナのみならず医学も科学も大きく変化し猛進していくでしょう。そんな中で、反ワクと噂のあなたの母がそれならいいねだったら打とうかななんてって言い出す日が来るかも知れません。

誰に指図されることなく、いつだって、考えを変えるのも好きにすりゃいいんです。嘘をついたわけじゃない。人も時間も流れていき変化すること、それこそ自然だし自由なんです。自分で決めたよしOK、どうしても決められないそれもOK。変わっていくことももちろんOK。その人の希望を支える世界が、誰にとっても断然楽ちんだと思うから、そう言う世界に私は生きたい。「どういう世界を作っていきたいのか」ひとりのひとつの選択は、声です、態度の表明です。私は見えない誰かになにかを押し付けられるのは、イヤだなぁと思うんだ。

 

と言うような話をしました。

 

幸い、私の子どもたちの校長先生はとても人権意識に長けた人で、私の嘆きにもそっと寄り添い嘘のない対応をしてくれています。「私だって人の親です。その心配はとてもよく理解していますよ。大丈夫、学校がワクチンを強要するようなことはありません」と仰ってくださっている。しかしここから先、政府が学校にどんな規制を打ち出してくるか分かりません。学校の存続が危ぶまれるようなことにならなければいいけれど、と祈りながら、でもこうして正直に心を開いて話せているから、なにか悪い結果になっても無下に校長先生を責めるようなことはしないと思います。私の生きたい世界は、このプロセスそのものだから。私は私の考えを伝えていてさらに温かい言葉を受け取っているから、苦渋の決断(なんだろう)を迫られた時も、きっと周囲5mの誰をも恨まずいられるだろうと思っています。

 

さて、この母の話を聞いて、明るい顔であらかた納得した我が子達から「かあかんの独断でYesかNoかを返事しないこと」と約束させられました。「かあかんがどんなに不安でも、僕たちから選択肢を奪うことは”かあかんの生きたい世界”に反することではないのか」と。(ちっ

はい、心得ました。君達の選択いかんによっては、また心を込めて説得させていただくよ。そうよ、このプロセスこそが私の生きる世界だから。

 

 

 

 

 

ここではない、どこかへつづく。

最後に入会された方に、なんのアテンドも出来ないまま時が過ぎた。そろそろご連絡をしないとなっとDMを開けたら、そのご入会日からちょうど1年経ってた。

 

私達は穴倉の中にいるような1年を超えて、そしてまだ穴倉のどの辺にいるのか分からない。

 

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そんな最中、プチ留学を受け入れてくれていた学校に問題が発生。大人の事情で、これから裁判沙汰になるやも知れない。ならないかも知れないけど、相棒のラフィーザはすでに帰国し、私が子ども達を安心して預けられる環境は失われてしまった。

そう、今までの様にはいかないんだよ、

と私が納得するのにこの幽閉期間はぴったりと重なって、慌てて決断をせずに済んだ。お知らせが遅くなりました。

 

やってみようと思ったのは気まぐれで、条件がそろったのも偶然で、声を掛けたら集まったのも意外だった。どのピースが欠けても成立しない。だからこそ、早く参加してくれいつまでも続かなそう!って言ってきた。トントン拍子に手筈が整っていく不思議。これはなんだか私のやるべき使命っぽいなと思ったし、やればやるほど希望の嵩が増して、うねりが見えた。

疲れたお母さん、彷徨うお父さん、そして子ども達、それぞれの背中にパタパタと羽が生えて飛んでいく。タイランド、そのとてもお節介な世の中に癒されて、脳みそをいっぱいマッサージされ、大きな声でたくさん笑ったよねー。奇跡だったよ。

 

そう、そんな奇跡がまた訪れるかどうか、私にはわからない。

 

2017年の8月にスタートしたプチ留学は、夏休み、春休み、冬休み、プライベートなんだかんだで延べ9回、参加家族85、子どもの数は132人あまり(数字ざっくり)

 

タイに移住した家族6、他国4あまり(数字ざっくり)

 

すごい。

 

でもね、移住に成功した人が勝ったとかじゃない。海外がダメだって分かった人もいる。それも大きな理解。日本の中に居場所を見つけた人もたくさんいる。一度その場を離れることで、自分の立っている場所もよく見えるようになったり、一歩踏み出すことで日常が変わって見えたり、自分が変わったり、ダメだったら別の所へ行きゃいいやって、ステップが軽くなったり、いろいろいい事があった。

 

私はプチ留学で、子どものお世話はしていない。

お子たちの教育担当はご家族だから。

私はむしろ、親御さんたちのケアをさせてもらったつもり。そうは言ってもただ、楽しく過ごすお手伝いをさせてもらっただけだけど。

でもお父さんやお母さんが笑顔になることで、子ども達が元気になっていった。

 

子ども達は気づき始める。

道を渡る時、誰かが手を繋いでくれたこと。

船に乗る時、誰かが手を貸してくれたこと。 

遅れても誰も怒らなかったこと。

イヤなことをイヤと言っても理由を問い詰められないこと。

大きな声で泣いてしまっても、みんなが微笑んでくれたこと。

お母さんが、よその人にごめんなさいって言わなくなったこと。

 

この南国の大都会が見せてくれた寛容を、どうか忘れないで。

ほらね、君が無理して変わらなくても、すこしだけ居場所を変えれば世界はガラリと変わってしまう。そんなに悲しくなるまで叱られたりダメだなって思わされる理由なんてなくなってしまう。

君が大きくなったら、自分で歩いてぴったりの居場所を見つけられるよ。その時に、この優しい世界がくれた感触が目印になりますように。

 

ここではない、どこかへ。

ちゃんとたどり着きますように。

 

この旅は私がお世話したんじゃない。お母さん、お父さん、あなた達がその勇気で、子ども達に見せた景色です。

 

これからますます、海外旅行も移住も難しくなるでしょう。だけど、どこかに必ずある自分たちの場所へあの興奮やじんわりした幸せが連れて行ってくれますように。

 

プチ留学はいちどお休みをしましょう。

また新たな偶然が奇跡を連れて来てくれるかも知れません。

これまでプチ留学はラフィーザをはじめ、いろんな人が助けてくれてやってきた。ピースがひとつ欠けても成立しない。本当にその通り。

 

 

私のツイッターはこれからも大解放中。

プチ友の相談にはいつでもノるぜい。

 

誰よりも素晴らしいあれもこれもを見せて貰ったのは、この私です。

たくさんワクワクして感動して、こっそりたくさん泣きました笑。

ありがとう。

またね✋

 

 

 

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