小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

12歳女性 + 14歳男性 双子・コロナ陽性・入院隔離~その②

 

なんと、ひとまず陰性で帰宅し、2人暮らしをしていた双子が次々と発症した。

 

娘のPCR陽性が出てから3日目の夜、ひょうがATK"陰性のまま"40度近い熱を出し、翌朝、解熱してから陽性に。その日から声掛けしたり、ご飯を出したりと看病していたりんから、夜遅くに「くらくらしてねつがあるよ」となんだか淋しそうなLINEがきた。「何度なの?」と聞くと「ごめん、ねつはなかった。検査はネガティブ」と。きっと熱っぽくてふわふわしてたんだろう。「夜更かししたからだと思う」と言い残してベッドに入って、そのままLINEも電話もつながらなくなりどうやら陽性に突入した。この日から今度は一晩で回復したひょうがりんの看病にあたる。まぁ健常であっても14歳男子の2人暮らし、大変なのは想像できるけど、さらに未知のウイルスと対決している双子。ほんとうに健気だった。お母さんせつなくて泣きそう、、、なんておセンチより先に母はやや緊張して次々プランをシュミレーションしていた。

 

学校で感染が広がっていて、PCRにたどり着く前に回復している子ども達の話も聞く。そういう子達は、そのまま14日間の自宅隔離をしているらしい。もしりんが目を覚ました時に、ひょう並みに元気だったら、むしろその方が体への負担が少ないようにも思えた。いかんせん、私が彼らの顔色を直接見ることが出来ないので、簡単にその選択にも舵を切れない。とりあえず少年が2人で戦っている事実をどこかに知らせておく必要を感じて、りんが眠っているうちに校長先生と、すでに回復したお友達のおうちに連絡をしていざという時のことをお願いした。翌朝、私は看護師さんにも話を聞いてもらった。サミティベの隔離は、毎朝看護師さんが体調と不足分の備品を電話で聞いてくださるので、その時に。子どもが全員陽性で軽症な場合自宅隔離に切り替えることができるのか、または思い切って全員こちらへ来るのがよいのか。「相談しますね」と一度電話を切って、作戦会議の後、折り返しの電話で「移送しましょう」と、もはや決定事項だった。「すでに車の手配も進んでいます。お子さんの電話番号にドライバーさんが電話をしますので教えてください」すごいスピード感だった。

 

ひょうに、猫のフードフィーダーの設置、カブトムシのえさやり、植木の水やり、持ってくるもののリストなどを送り、2時間後に迎えが来ることを知らせる。家族全員でグループトークにして、ひとつひとつ質問に答えていき、あとはゆっくり自分で支度してねと切り上げた。

もうずーっと双子に猫のことと植木のことを何度も言ってるんだけど、なんだかぜんぜん刺さってる感じがない。御用をいいつかってくれたお友達が撮って送ってくれたうちの玄関先の写真に、ブーゲンビリアが偶然写っていたんだけど思わず二度見したよね。こんもりと見事だった花がひとつもついておらず、拡大して見ても木しかない。枯れっかれになっているのか・・・猫は、せめて猫だけはミイラになりませんように!

 

二人を信用してないわけじゃないけど(してない)彼らと通話を切っているうちに、私はしっかり保険を用意。お友達に猫のえさやり、ヘラスクレス(あだ名)の里帰りをお願いして、我が家が体調をくずしてからはずっと近づかないようにお休みしてもらっていたメーバーンさんを召喚。72時間のインターバルをもって、家内の現状復旧をお願いする。洗濯も食事も自分たちでやっていたけど、もちろん完ぺきではなく(むしろ仕事を増やしていることでしょう)そこを整えてもらい、冷蔵庫の中身を捨て、清掃車に合わせてゴミを出してもらい、浴室内の消毒などなどを。これでいつ帰ってもすぐにきれいな部屋に入ることが出来る。本当にこれは最高に助かるんですよ奥さん!

 

さて、病院車が到着してグループ通話を再開。りんが「立てない」と言い出し、職員さんに支えてもらってすぐに乗車。ひょうが鍵かけまでの仕上げをするところで「あ、猫のえさ忘れてた」「あ、ヘラクレス(カブトムシのあだ名)のえさ入れてない」と、恐ろしいワードが耳に入ってきた。思わず「2時間何してたの」とつぶやいたが、いやいや「慌てないで待ってもらってね。生き物のこと以外はなんとでもなるからね」と言ったところで通話からひょうが消えた。しばらくすると「ひょうちゃんトークから抜けてるよ」「あそう?」「僕のゴムは?持ってきてくれた?もー-!」なんて聞こえてきた。そしてりんも通話から消えた。

 

やぁやぁと部屋に入って来た双子。ひょうが手に持っていたのは、ランプーンで買ったお気に入りのマイマグカップと、5日前に私が「あなたはこれを使いなさいね」って渡した1枚のタオルwww 面白すぎる!!

 

まぁ本当にしつこいけど、病院車はとっても素晴らしい。「手配が大変そうね」って日本のお友達に言われたけど、いやいやどうしたらいいのか悩んでる段階から、病院車の予約と部屋の変更、保険の手続きまで3分話しただけ。電話一本よ。いつもはスクンビットから少し離れた所に住んでいるので、所用は英語タイ語ミックスでしてるんだけど、ここサミティベスクンビットは要所要所で日本語使いが現れるので、細かいニュアンスが伝わり本当に助かる!日本で子どもが入院する度に、身体も心も疲れていくのを思い出すと、ステイケーションに近い心地よさだ。人と会えない身だから病室の引っ越しすら能動的にできなくて人様任せ。病人が苦労しないシステムほんとすごい。部屋や備品が豪華で日本語が通じるのはインターナショナル病院だからだけど、ローカルの総合病院でも「病気の人は苦労しないで」という考え方は共通と思う。付き添いも「マミーマミー」ととても大事にしてもらえる。

 

さて、とても大事にしてもらえているはずのマミーだけど

これはどうでしょう。

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私まだ陰性なんだけど~これは罹れって言ってるよね~

しかも、付添人のベッドが真ん中にセットされてる。双子が赤ちゃんで入院する時は、よくふたつのベッドを連結して檻にして、私その真ん中で寝ましたけどね。なつかしいけど、これはヤバいでしょう。せめてとカーテンが引ける一番端っこを陣取ったけど、そうすると娘が付き添いのベッドになってしまう。ごめんね(変えない)

 

さぁコロナ合宿のスタートだ。

私が隠し持っていたAubonpanのチョコレートデニッシュも、マフィンも、飲み切れるか心配していた野菜ジュースも、ぱー--っとなくなり。ゴミ箱がパンパンになり、スリッパとタオルが足らない。人数の多さがすごい。

 

まぁ百伽の嬉しそうなこと。立てなかったりんもスタスタ歩いて「もう少し腹にたまらないながら口さみしい時にちょうどいいようなおやつをお願いします」とか言いに来るようになり(来ないで)ひょうはずー---っとしゃべっている。

顔が見えないって怖いね。

いまやっと不安だったんだなぁーって思えるようになった。

ついにホッとしすぎて、発症なるかな!ハハハー

 

 

 

 

 

12歳女性・コロナ陽性・入院隔離~その①

外出先から帰ると「百伽ちゃん具合悪いって寝てるよ」と。

おでこを触ると、これはかなりの熱。

彼女は幼い時から、あれ?って思うとゴーゴー熱を出していて、薬を飲ませるのが難しいほど深く深く眠り、翌朝にはむくりと起き上がってくる。ほんとに体からゴーゴーって音が出てるように眠るのだ。きっととてもいい体質なのだろう。

まぁそうは言ってもこのご時世なので、目が覚めたらATKしなくては。

 

さて、ハラハラしながらキットを開封する。

もし、陽性だったら。

私はふだん世間などどこ吹く風で生きているけど、人にうつしたかもしれないことがとても怖かった。もっと言うと、学校が閉鎖になったり、ショッピングモールに消毒が入るとか、世間をお騒がせしてしまうことがとても怖ろしかった。なによりノンワクチンでうつったことをきっと病院に叱られるだろう。

ああ、やだなぁ・・・

娘がふうふう言いながらハンバーガーを1個をたいらげ、兄妹であれこれやりあってるのを横目に、そんなことでドキドキしていた。

 

待つこと数秒で、陽性!!

ラインがくっきりと出た!

 

今日は金曜日でお友達がたくさん遊びに来ていた。

キャンティーンでランチしたお友達も心配だ。

双子にお友達への連絡をいいつけ、娘の部屋を全開換気で扇風機回し、ご本人を幽閉した。夫と校長先生にLINEしながら清掃開始。彼女の使っていたカバンや食器を消毒、ドアノブを拭きながら上階へ移動し、素っ裸になって陰性者用のトイレ浴室を徹底的に清掃消毒。最後に自分を洗って消毒。気付くともう日付が変わっていた。

へとへとで降りてくると、双子が興奮してまだチャットしてる。

どうやら今の所、うちに遊びに来ていた子ども達はみんな元気。中でもランチから放課後までぴったりとくっついて遊んでいる仲良し女子は、別途わたしからお母さんに連絡した。そして昨日私が会っていた私のお友達にも。潜伏期間の平均が5日間だとすると、発症前に会った人にも配っている可能性がある。皆さんから「誰から移されたかなんて、関係ないですよ。今は誰だって感染する可能性があります。どうか責めないで」とお言葉を頂いた。感謝しかない。だけど、やっぱり「申し訳ない」と口から出てしまって申し訳ない。私もきっと誰かから感染の連絡をもらったら、そう答えると思うんだけど、自分が(我が家が)原因の一端を担ったと考えると、どうしても呑気に過ごしていた日々に罪悪感を感じてしまう。

 

娘はいつものようにゴーゴーと眠っている。さっきまでいい匂いのするこのピンク乙女ちっくな部屋も一気にそら恐ろしい雰囲気に。どうしても側に寄ることがはばかられ、様子を確認できずに子や親を悪化させてしまう人もいるだろうな。ましてや他人にはただ恐怖でしかないだろうなと思う。なるべく、家族でがんばろう。そうは言ってもタッキーは単身赴任中。遠くのタッキーと双子とわたし、やや心もとない。

 

とにかくまずは、タッキーと電話で来院方法について話し合う。私は運転が怖くてハンドルを握らないうちにうっかり免許を失効した。タッキーもいない今、我が家は車とは無縁だ。それでも暮らせちゃうバンコクだから日頃はまったく困ってないけど、もし陽性者が出たらどうやって運ぼうかね、というのは度々話題になってはいた。会社は保険を用意してくれているが(なにより最高です)車の準備はしないと決めたそうなので(oh)サミティベの電話番号を渡され後はグッドラックと。朝7時に電話をして指示を仰ぐようにと言われた。

 

猫ズが娘の部屋に入りたがって仕方がない。ふだんそんなに執着してなかろうに。きっと何かが隠されているのを感じて、気になってしかたないのだろう。

 

3時間おきくらいに部屋を覗くが、娘はゴーゴー音を立てて燃えている。

7時ぴったりに電話をすると日本語の流暢なタイ人男性が対応してくださってPCRの予約は完了。車の相談をすると、わりとすぐ予約出来るような明るい声で「有料になりますので、一般タクシーなどご自身で用意されてもよいかと思います」との流れ、うっかり電話を切ってしまった。でも2分後に「やっぱそれは無理」とかけ直すと、今度は日本人の男性が出られて「現況、配車も容易ではなく出来るだけ自力で来院してください。今一度がんばっていただいて、どうしてもということであればまたお電話ください」と言われてしまった。しっかりとマスクをして一般タクシーを利用してもよい、それは患者様がお決めくださいとのことだけれど、すでにATKで陽性が出ている人をタクシードライバーさんに会わせるわけにいかないし、その密室に双子も乗せたくはない。窓全開で2台に分乗するか、いやぁタクシーは無理じゃ・・・。と思いつつ、はい、わかりました。もういっかいがんばります、と電話を切った。配車サービスをしているお友達や、タッキーのお友達に声掛けをお願いして2時間くらいがんばった。けど、もういいですか・・・wとサミティベに再度電話。タイ人女性が「有料ですがよろしいですか?」「おいくらですか?」「片道1000Bです。検査は1時間ほどで終了しますので帰りの予約も要りますよね。一緒に予約しましょうか?」タイ人だと値段聞きやすい俺。「よろしくお願いします!」「空車を確認して、また折り返します」で、よし!車決まった!同時にタッキーのお友達からも車の用意出来たよ!と連絡をくれたんだけど(感謝感激)やはり一般の人をなるべく巻き込まないようにしようと、病院車を利用することにした。

 

娘を見に行くと、目覚めてぼんやりとスマホをいじっている。

「かあかん、Pちゃんもずっと休んでてね、だいぶ前から症状があったけどね、風邪だと思って学校来ちゃってすぐポジティブになったんだって。でも家族はみんなネガティブだから学校でうつったって言ってる」「学校に連絡したって?」「ううん、まだ言ってないんだって」

・・・おうふ早く連絡してくれていれば、とは思ったよね、でも発症の順番が感染の順番ってわけでもないのだよ。やはりこの発想は不毛なんだよなって思う。

 

私自身も、体調不良をコロナだと思いたくないお友達本人も、そしてなかなか学校に報告できないこの子のご家族も、感じている「不安」。

手を挙げる事のハードルの高さよ!

コロナはやはりすごく社会的な病「罪」なんだなぁと実感する。至らない感染症対策を責められ、拒絶され、排他されることへの恐れ。さらに医療崩壊の一端を担ってしまうのではないか(と、言われるのではないか)意図せずしてあちこちを封鎖させ経済的テロリストになってしまうのではないか(と、言われるのではないか)という怖さ。いつも誰のせいでもないどこから貰ってもおあいこだ、と言っていたことなのに、自分が原因になったとたん「病気の事だけ」を考えることが、とてもとても難しい。

 

予定時間よりだいぶ早くサミティベ号が到着。

190cmはありそうな大きなお兄さんが、ドアを開けてくれた。大きなワゴンなので快適だし、アクリル板もはめてあるのでこっちが安心。道を間違えたり、PCR専用の駐車場に入っていくのも迷うわけなくてストレスフリー!

 

駐車場内の検査場に到着して、さっそく書類なわけだけれど、スクンビットは初見参ということもありけっこうな量。書類に不慣れな双子(英語だからまだよし)と力を合わせて4人分仕上げる間に、娘が貧血で床に座り込み、思わず「横になっていいよ!」と叫んだらコンクリの地べたにぺしゃんと寝た。「立ってください!」と看護師さんが言ってるけどすぐには無理だろう、顔面蒼白だ。車椅子が飛んできてぱっと乗せられそのままバババっと足早にエマージェンシーへ。ベッドに横になったら、やがて落ち着いてドクターの質問にも答えられていた。たけど「思いのほか低酸素なのと熱が高いからこのまま入院しましょう」速攻入院決定。「お母さんこれからX-rayも撮るしいろいろあるので、病室が決まるまで一緒にいて下さい。そしたら荷造りに一度帰っていいですよ。小児科は付き添いが必要なのです。2週間と長くなります」と。そうなんだ。私タクシー乗って往復していいのかな?・・・と思いつつ待ち体勢で座っていたら「双子が帰るけど一緒に乗らないの?」とエマージェンシーの看護師さんが走ってきた。かれこれ説明すると「あなた自身がまだリスキーなのにタクシーなんかで往復しちゃだめよ!はい乗って!」と!ダヨネ!ということでとっとと乗車。もう冒頭からタクシーにまつわる疑問でいっぱいだった私的には、これが一番の正解だと思うんだけど、聞く人によって正解が違う。正解は自分で選んでそれがタイランド。

 

10分くらいで荷造り完了そして病院へ。

また大きなお兄さんが扉を開けてくれて、裏口の貨物用エレベーターから私を病室まで連れて行ってくれた。誰とも接触せず部屋まで一直線、のちガチャンと即隔離。

しつこいけど本当に病院車にしてよかった。病院車なら親なしで乗ることになっても安心。置いていくのは大きい子どもと言えど去年までは小さい子どもだったような大きい子たちだもの。そして、わたしが初めての病院内を安全ルートですいすい移動できるわけない。そんな心配が大幅に軽減した。

 

取るものもとりあえず隔離されちゃってから、普通の入院よりだいぶ人の出入りが少ない事を知る。タイの病院はよく子どもだけで入院させられてて、心細い映像をよく目にするけど、ここの小児科は子どもだけの隔離はしないとのこと。あの映像をみてしまったら、そりゃ日本の親は付き添いを希望するだろなぁと思ったけど、病院としてもその希望を受け入れると同時に子のケアは万全になるので渡りに船よね。陰性の私がまさかのトイレ掃除、して大丈夫なん?って思ったけど、この状況ではせざるを得ない。毎日、簡単な床掃除とゴミの引き上げだけ。バスルーム周りはやらない。基本的にはなるべく部屋には近づかず、罹患者には極力触らないのだと思う。医療崩壊を起こさないためには必要な事だ。よしそれならと、消毒液とサニタイザー自分用のATKをGrabした。付き添いのセルフディフェンスは、いまや最重要課題。ワンオペ家庭だしね!実際、私の検査結果なんかみんな忘れちゃってて催促してやっと口頭で教えてもらった。もはや付き添いの感染は折り込み済み?・・・いろいろあるけど私は元気です。

 

そんな感じなので、細かい質問が浮かんでも聞くべき相手になかなか会えない。薬の事は先生だけど部屋に来るのは1日1回だし、コップの増量お願いはお掃除さんだし、お買い物ののことは?そんなことを考えてるだけで1日目は終了。翌朝、看護師さんから電話があり、容態のチェックと必要な物の有無を聞いてくれたので、ようやく質問が出来、それを元に2、3日目は環境整備で終了。

4日目の今朝、ようやくパソコンを開けている。

 

肝心の娘の容態は、2日目の朝には解熱。酸素もすぐに外れた。残るは頭痛と咽頭痛、そして関節痛。今になって少し咳が出ている。1度だけ下痢をし、1度だけ病院に置いてある薄そうなホットチョコレートの味がない・・・とつぶやいた。(※後日私が飲みましたところ物自体無味でした。患者さん用で砂糖とミルクが入ってないやつ。あれうつった?と思いました)

入院はしたものの、なかかなの回復力だと思う。

あとは後遺症がないことを祈るのみだ。

今朝はオンラインクラスにも参加してたけど、薬が効いてきてまたまた深い眠りに落ちていきました・・・。

 

いっぱい寝て早くよくなれよー

 

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私が生きたい世界

いつもいいこと言ってる👍ブリトニー

だけど、子ども達に話す時は、ついカッカして上手く言えない。でも昨日わりと上手く伝わったので書き残しておこうと思います。ワクチンを受けるか受けないかというアンケートが学校経由で政府から届き、それについて私から子ども達に話したこと。

 

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せっかくいま子どもたちは健康なのに、予防のために今ある健康を差し出すって、違和感しかない。

 

まず、これは基本にあります。

 

そのうえで、もうひとつ。

何かを選択する時に、私が大事だぞと思っていることがあるのね。

自分がどういう世界に生きたいかってことなんだけれど。

 

君達は、私がワクチン大嫌いだと思ってる。

なのにワクチンを打った人に「よかったね、お大事にね、副作用が少ないといいね」と必ず言うのを、なぜ?と思ってると。そうね、確かにちょっと嘘くさいし、白々しいわな。

 

でも、私は本当にそう思っている。

そして、ワクチンが大嫌いなわけでもない。

 

例えば、うちの学校みたいに約50ヶ国もの国からやってきた子どもたちが集まると、中にはワクチンが行き渡らない国の子どももいるわけです。その子のご家族は「バンコクにいて良かったね。ワクチンありがたいね」って思っているかも知れないよね。ワクチンがそのご家族にとって福音であったなら、尚のこと副作用がありませんようにと祈ります。良かったねと言ってあげたい。

 

求めている人にちゃんと行き届く。

打たなかった人が虐げられない。

そういう世界が好きです。

 

君たちのことはさておき、自分も社会的な要請が強くなれば仕方なく打たなくちゃならない日が来るだろう、と思っていました。口には出さないけど、仕方ないと思う時が来るだろううと。でも今はそれってやっぱり違うよなと思ってます。ワクチンに限らずですが、個人の健康、ここでの暮らし通学や就労、何かを差し出せば続けてもよいですよという話が始まったら、黙って応じてはいけないのです。ワクチンが怖かったら怖いと言っていいし、無理して打ってはいけない。早くワクチンを打ちたいなら打っていい、それはそれだけの話しなはずじゃないですか。なのに打たないと権利がはく奪されていくとしたら、そこから先は別の話ですよ。健康は人権です。それを利便性や他人の正義や他のなにかと等価でもないのに交換できない。これから差別が始まるんじゃないか、やがて居場所がなくなるんじゃないか。まだ何も始まっていないことを見越して打つこともまた、ワクチンと同じ矛盾を感じてしまいます。私はそういう世界の一部でいるのがいやです。

 

私が生きたい世界においては、打つ打たないは個人の選択にのみ委ねられます。なので私がいつも言う「打つ人も打たない人もどうかご安全に」というのは、八方美人のいい逃げ口上だからって使いまわしてるわけはなくwww、

自立した個人が集まって調和を目指す、もっとも民主的で成熟した世界から来た考え方だと思っています。(そこはどこだろう)

 

こうしてワクチンの善し悪しを、明るみになる結果を、新たに見聞きしたことや、政府の発表、その感想を、みんなでガヤガヤと話し合うことはとてもよいこと。反ワクチンとか推進派とか、そういう発想には最初からひとつの答えしかありません。

でも本当は、真実も選択も人の数だけあるはずです。

 

コロナの性質が変化すると、ワクチンの定義も移ろっていきます。変化するものの安全性をワクチンパスポートで証明することだって、私はずいぶん非現実的だと思っています。でもそんな愚策に右往左往している間に、きっとコロナのみならず医学も科学も大きく変化し猛進していくでしょう。そんな中で、反ワクと噂のあなたの母がそれならいいねだったら打とうかななんてって言い出す日が来るかも知れません。

誰に指図されることなく、いつだって、考えを変えるのも好きにすりゃいいんです。嘘をついたわけじゃない。人も時間も流れていき変化すること、それこそ自然だし自由なんです。自分で決めたよしOK、どうしても決められないそれもOK。変わっていくことももちろんOK。その人の希望を支える世界が、誰にとっても断然楽ちんだと思うから、そう言う世界に私は生きたい。「どういう世界を作っていきたいのか」ひとりのひとつの選択は、声です、態度の表明です。私は見えない誰かになにかを押し付けられるのは、イヤだなぁと思うんだ。

 

と言うような話をしました。

 

幸い、私の子どもたちの校長先生はとても人権意識に長けた人で、私の嘆きにもそっと寄り添い嘘のない対応をしてくれています。「私だって人の親です。その心配はとてもよく理解していますよ。大丈夫、学校がワクチンを強要するようなことはありません」と仰ってくださっている。しかしここから先、政府が学校にどんな規制を打ち出してくるか分かりません。学校の存続が危ぶまれるようなことにならなければいいけれど、と祈りながら、でもこうして正直に心を開いて話せているから、なにか悪い結果になっても無下に校長先生を責めるようなことはしないと思います。私の生きたい世界は、このプロセスそのものだから。私は私の考えを伝えていてさらに温かい言葉を受け取っているから、苦渋の決断(なんだろう)を迫られた時も、きっと周囲5mの誰をも恨まずいられるだろうと思っています。

 

さて、この母の話を聞いて、明るい顔であらかた納得した我が子達から「かあかんの独断でYesかNoかを返事しないこと」と約束させられました。「かあかんがどんなに不安でも、僕たちから選択肢を奪うことは”かあかんの生きたい世界”に反することではないのか」と。(ちっ

はい、心得ました。君達の選択いかんによっては、また心を込めて説得させていただくよ。そうよ、このプロセスこそが私の生きる世界だから。

 

 

 

 

 

ここではない、どこかへつづく。

最後に入会された方に、なんのアテンドも出来ないまま時が過ぎた。そろそろご連絡をしないとなっとDMを開けたら、そのご入会日からちょうど1年経ってた。

 

私達は穴倉の中にいるような1年を超えて、そしてまだ穴倉のどの辺にいるのか分からない。

 

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そんな最中、プチ留学を受け入れてくれていた学校に問題が発生。大人の事情で、これから裁判沙汰になるやも知れない。ならないかも知れないけど、相棒のラフィーザはすでに帰国し、私が子ども達を安心して預けられる環境は失われてしまった。

そう、今までの様にはいかないんだよ、

と私が納得するのにこの幽閉期間はぴったりと重なって、慌てて決断をせずに済んだ。お知らせが遅くなりました。

 

やってみようと思ったのは気まぐれで、条件がそろったのも偶然で、声を掛けたら集まったのも意外だった。どのピースが欠けても成立しない。だからこそ、早く参加してくれいつまでも続かなそう!って言ってきた。トントン拍子に手筈が整っていく不思議。これはなんだか私のやるべき使命っぽいなと思ったし、やればやるほど希望の嵩が増して、うねりが見えた。

疲れたお母さん、彷徨うお父さん、そして子ども達、それぞれの背中にパタパタと羽が生えて飛んでいく。タイランド、そのとてもお節介な世の中に癒されて、脳みそをいっぱいマッサージされ、大きな声でたくさん笑ったよねー。奇跡だったよ。

 

そう、そんな奇跡がまた訪れるかどうか、私にはわからない。

 

2017年の8月にスタートしたプチ留学は、夏休み、春休み、冬休み、プライベートなんだかんだで延べ9回、参加家族85、子どもの数は132人あまり(数字ざっくり)

 

タイに移住した家族6、他国4あまり(数字ざっくり)

 

すごい。

 

でもね、移住に成功した人が勝ったとかじゃない。海外がダメだって分かった人もいる。それも大きな理解。日本の中に居場所を見つけた人もたくさんいる。一度その場を離れることで、自分の立っている場所もよく見えるようになったり、一歩踏み出すことで日常が変わって見えたり、自分が変わったり、ダメだったら別の所へ行きゃいいやって、ステップが軽くなったり、いろいろいい事があった。

 

私はプチ留学で、子どものお世話はしていない。

お子たちの教育担当はご家族だから。

私はむしろ、親御さんたちのケアをさせてもらったつもり。そうは言ってもただ、楽しく過ごすお手伝いをさせてもらっただけだけど。

でもお父さんやお母さんが笑顔になることで、子ども達が元気になっていった。

 

子ども達は気づき始める。

道を渡る時、誰かが手を繋いでくれたこと。

船に乗る時、誰かが手を貸してくれたこと。 

遅れても誰も怒らなかったこと。

イヤなことをイヤと言っても理由を問い詰められないこと。

大きな声で泣いてしまっても、みんなが微笑んでくれたこと。

お母さんが、よその人にごめんなさいって言わなくなったこと。

 

この南国の大都会が見せてくれた寛容を、どうか忘れないで。

ほらね、君が無理して変わらなくても、すこしだけ居場所を変えれば世界はガラリと変わってしまう。そんなに悲しくなるまで叱られたりダメだなって思わされる理由なんてなくなってしまう。

君が大きくなったら、自分で歩いてぴったりの居場所を見つけられるよ。その時に、この優しい世界がくれた感触が目印になりますように。

 

ここではない、どこかへ。

ちゃんとたどり着きますように。

 

この旅は私がお世話したんじゃない。お母さん、お父さん、あなた達がその勇気で、子ども達に見せた景色です。

 

これからますます、海外旅行も移住も難しくなるでしょう。だけど、どこかに必ずある自分たちの場所へあの興奮やじんわりした幸せが連れて行ってくれますように。

 

プチ留学はいちどお休みをしましょう。

また新たな偶然が奇跡を連れて来てくれるかも知れません。

これまでプチ留学はラフィーザをはじめ、いろんな人が助けてくれてやってきた。ピースがひとつ欠けても成立しない。本当にその通り。

 

 

私のツイッターはこれからも大解放中。

プチ友の相談にはいつでもノるぜい。

 

誰よりも素晴らしいあれもこれもを見せて貰ったのは、この私です。

たくさんワクワクして感動して、こっそりたくさん泣きました笑。

ありがとう。

またね✋

 

 

 

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日本に帰るなんて考えたこともなかったけれど

他国へ出てみると、日本の良さが分ったり、ダメさが分ったりする。外に出てる人にしか見えないことは確かにある。逆に外に出てしまった者は、日本での生活実感を日に日に失っていくので、その問題が在住者にどう映るのか(もしくはどう感じにくいのか)がわからなくなっていくものだ。出羽守とか言われちゃってさ、齟齬が生じる。実際、私から見ても20年間給料が上がらず、横ばいと言うことは実質下がってるという経済状況の中で、誰もがだましだましそーっと生きている様にしか見えないし、それに気づいてからも驚くほど長い間なにもしないし本当にいいことひとつもないと思う。その感想はその状態の間じゅう変わらないし、良くなる兆しも見えない。

 

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しかし、最近本帰国した友人たちから話を聞いて、私の中の日本に少し変化が起きている。彼らは3.11をきっかけに日本を脱出した同志たち。「え?まさか帰るのあの人が?」というほどみんなタイが好きだったし、日本バンザイ派でもなく(むしろアンチ)だから彼らの言葉には忖度がない。信頼している。素直に「それはすごい!ちょっと大丈夫かも!」と思えるような話を誰からも少しずつ聞いた。

 

ずっと何もかもがアホ高かった東京も、今やバンコクが追い上げて家賃は並んだ。食費だってバンコクの贅沢品は東京以上に高いし、屋台飯以外は作った方が安くなった。ついに我が家の電気代が2万円になった今月、光熱費も日本とどっこいどっこいだ。ただ日本に私のモタサイはいないし、自転車代わりのタクシーもないし、ネットスーパーもデリバリーもバンコク程のバラエティに富んでないしで、重たい思いして歩くことは増えそうだけど、とにかく何もかもが安いというなら仕方がない。待て日本はごみの分別が難しいぞ・・・なんて、まぁ安いのが良いことなのか悪い事なのか、分別が難しい方がいいのかそうじゃない方がいいのかなんてよく考えなければ、好き嫌いの話でよい(いやそこ大事でわ

 

大きく認識を新たにしたのは、学校だ。

タイで育った大きめの子ども達の多くは、日本語で試験が受けられるほどの日本語力がないため、日本に戻っても公立ではなく、私立やインターに入ることが多いだろう。なので、私の中の「公立の闇」は闇のまま凍結されてるけれど、少なくとも「お金を払って教育を受ける」場においては、かなりアグレッシブなカリキュラムが用意されるようになったらしい。求められる子ども像も従来の兵隊型ではなくなって、人権、自立、自分でものを考える力、などが重視されるようになっているという。都立なのに英語で通学出来て3人目無料!!なんて学校も登場したとか(そりゃ倍率はアレですよ)インターも新規参入してきた学校なら学費がだいぶモデラートだとか。それらの学校で「IB」だって取得可能なわけだから海外への進学はぐんとひらけた。都立私立からの留学なら返済不要の奨学金を受け取る条件にも入れるでしょう。英語環境が増えているということは、同時に帰国子女にも居場所が増えてるということだ。実にありがたい。そしてうらやましい。中学生の子どもを伴って帰国した友人が「日本で高校生活を終えてから海外の大学に出た方が有利」と言ってたのはこのことかと。最初はせっかく覚えた英語のポテンシャル落して日本の高校なんか行ってまた海外に出るってなにめんどくせえ意味WHYだったけど、だいーぶ経った今おぼろげながら理解した。選択肢がだいぶ変わってるんだねぇ。私達が渡タイした当時は、タイの国立大学の学費は日本のそれよりずーっと安くて、それはそれは明るい未来に感じられた。きっとその頃には英語もタイ語も堪能になり、将来の選択肢は増えるだろうと思っていた。しかし外国人としてタイにいる以上、同じ学歴でもタイ人の奨学金制度に入れるわけでもないし、海外へ行きたい外国人の選択肢はさらに少なさそう(想像)でもこのまま今の学校に通っていればとにかくAレベルは取得できるので、それは大きいよ大きいよー。私は何も考えなくていいしそれはすごくいい。

まぁつまり、そんなのどっちがいいかって下世話な話じゃなくってさ、どこで暮らしたってどこでも良くなったらいいわけだし、こうやって日本の教育に新しい風が吹ているってのはとてもいいよ。本当に嬉しい。もし日本に帰らなくてはならない不測の事態(私にとっては)に陥っても、泣かないで帰れるくらいにはなっていてほしいからね!!

 

たださ、日本の暮らしやすさは恐ろしくって、こたつに座ったらもうなにも考えられなくなるうえに、1日にいくつもタスクをこなさなきゃいけなくなるから毎日忙しくてまたなにも考えられなくなるんだよ。それはつまり考えないで走りこたつに入るばかりが快適ということになってしまう。起きたらお手紙を出しにいって1日を終えるこちらのサバイ生活とは、まったく時間の流れが違う。もう私には日本の人の歩く姿が早すぎて見えないと思う。FLASHかと。その暮らしやすさ「考えなくても済む快適さ」という真綿がかなりゆ~っくりと首を締めるので、ほとんどの人が意外と痛まず逝けてしまうだろう。年寄りならもうそれでええやんと思った瞬間に、あぁそうだよ年寄りしかいないのだからなんの問題もないではないか、とそら恐ろしくなるのだ。つまりそれこそが、透明で声のない人々があえいでいても、その他の人びとの生活にはいっさい支障がないという差別の構造そのものなのだから。そうそういうのがイヤだったんだよ。ほんとにそれでいいのかよ!ってところが、まだ私の中には残っているうちはまだまだここにいたい。

 

でも、日本に帰るのも悪くないってことが、わかったのは良かった。これから子ども達と一緒にベストウェイを模索していこうと思う。外国人が海外で生きていくには、並行して永住権やビザについても調べなきゃならない。うちみたいに、すでにマネー使い果たしているのに子沢山だと、事の次第によっては先に永住権のがリアリティあったり、もし奨学金をいただけるなら四の五の言わずにすぐ参りますってことも大あり。つねにフレキシブルにな(子に言っています

 

早いなぁ、渡タイしてきた時は、幼稚園児だったのに。

ほんと未来はすぐそこだー。

 

 

あなたのためを思っている人はない

 

むかしむかし私が小難しい(ウケの悪い)ツイートをした時に、必ず「いいね」して下さる方がいて「わ、今日もいいね下さった」なんて少なからず嬉しく思っていたことがある。「これが分かるって凄いな」(偉そう)その方は個人事業主で社名のアカウントでありながら、けっこう突っ込んだ議論の場でも意思表明の”いいね”をされるので「あれはすごいねぇ」とお友達に言ったら「あぁ、あの人はフォロワーさん全員に”いいね”してるらしいですよ。全然中身読んでないんですって」とピシャリ。冷や水を掛けられた。その友達もどうかと思うけど、遠くでも分かり合えてるだなんてって思っていた自分が、少し悲しく、恥ずかしかった。

 

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それからなんとなく、社名や店名アカウントの人を観察するようになった。バンコク・ツイ廃チームとお店は、とてもいい関係だなぁっと思っている。ライバル店同士も仲が良さそうだし、covid絡みのSOSも素早く周って相変わらずバンコクって人間関係に理想的なキャパシティなんだと感心している。スクンビットにパ田中ーんを入れていいのかどうかはアレだけど。

 

そんな中、あるツイートが回ってきてかなり引っかかった。

これは私たちツイ廃のリテラシーについての話だ。

文章を紐解く力のおはなし。

 

実は私本体は”南国よろず屋ままか”という媒体の社長で20年。

いちお個人事業主✋

なんで「アジア雑貨ままか」じゃなくて「南国よろず屋」なのかって言うと、あのタイの道端にありますでしょう?掘っ立て小屋みたいな総合店舗。たばことお菓子売りながら、ツアーの紹介もして、ランドリーも受け付けているあれ。毎日の商品アップだけじゃなくて、旅行情報やタイ語教室、突撃オフ会、掲示板オークションなんでもあって、毎日覗くのが楽しみになるサイトを目指してた。

洋服の1枚1枚、雑貨ひとつひつにもドラマがある。少数民族の村の子どもが何キロも歩いてバッグを届けてくれたり、工場で3mにも積まれた生地の上を走ったり、疾走するバイクからみた風景、親切にされて泣いたこと、とても黙ってはいられない。「ananを裏から開かせた女」よろしく私も、誰かが会社でパソコンをonにしたら、私のコラムから1日を始めて欲しい。そんな気持ちで書き続けた。仕事も、政治も、子育ても、何でもここに書く。それらはみんな繋がっているひとつの暮らしだから、分けられない。だから楽しいし、それが南国よろずやままかなのだ!

 

 そんなわたしが「お店と個人のアカウントは分けた方がよい」という進言を見た。

 

本文の中には「もし~だったら」の仮定を元に、SNSが分からないなら無難に使ってローリスク取るべき、とか書いてあった。無難を勧めるだけあって、書いてあることも無難だ。だけどなぜこの方が進言する立場なのか?これをさせたい意味は?お店の個性に関わる大事な選択をなぜ。

 

教えて頂いたリスクなんて言われるまでもない。でもそれを差し引いてなお「あるがまま」に話すことは楽しい。店アカで自分の考えを語れてそれを楽しいと思えるなんてのは、それはもうその人の個性だし適正よ。結局、そんなのが好きなお客さんが残ってくれて、やがて自分にもその人たちにも居心地のいい環境がゆっくりと出来上がっていくんだから。リスクとかイメージダウンとか怖くなったら自分で考えて止めればいいだけ。失敗じゃなくて全てが過程。誰にも叱られない代わりに間違えたと思ったら、自分で修正して進んでいくのがひとり親方の醍醐味だもの。アカウントだって好きに使うわ。

 

  「お店のことを考えて提言している」とある。

そっか。

バンコク中のお店のためを思って・・・って、これさぁ、みんなあれ?っと思わないのかな。

この ”いいね” の数~!

日本語を生業とされている方までが賛同している。”お店を守りたい気持ちが伝わった” ”共感した” ”愛情のこもった発言だ” え!?そうなの!?www リプは私にとって、元ツイ以上の破壊力だった。本気(マジ)??

 

さて 「あなたのためを思って」だけど

 

これは、相手の口を塞ぐ代表的なパワーワードだよ。

あっちゃんの動画もすごくわかりやすい。
元ネタの森山先生のご本をぜひ読んでください。

 

今まで幾度となく言われてきた「あなたのためを思って」という言葉に、モヤりを感じてきたのは私だけではないはず。そう、相手を思って言ってるようで実は、他の選択肢を与えない呪文。「絶対これがいいよ」「私の言う通りにしてれば間違いないそ」と相手に考えることを止めさせて、自分の要求を通そうとするのだ。だから「じゃあ好きにすればいい」その後に「何があっても知らないけどね」と続く、強烈なコントロールが隠れている。「あなたのために言うけど、そんな怖い話しない方がいいよ」とか「怒ると損ですよ。敵と同レベルになっちゃうじゃないすか。あなたにとって損ですよ」とかね。ほんとうは自分がそれを聞きたくないだけなのに、自分の耳を塞がずに、相手の口を塞ぐ。あなたのためを思ってと言っている人に、あなたのためを思っている人はいないんだよね。主さんが、本当は何を求めていたのか私にはわからないんだけど、そもそもあまりそう言うことを意識してなければ、流れで書いただけでそんなつもりはないと仰るだろう。この方どうこうより、この風潮を軽く"いいね"してしまう世の中がツラい。きっと私もいつかどこかできっと言ってるし、そして何度も聞いてきたことだから、自戒も込めコントローリングな自分を反省したいし、今度その言葉を掛けられたときには、オタオタせずスパッと気付きの一撃を打てるようになりたい。

 

しかしつくづく思ったのが、こういう言葉ほど、古式ゆかしい日本人は好きなんだよ。やっぱり「口を塞ぐ言葉」って自制を求めるものだから、”慎ましさ”とか”お行儀”とか”我慢”なんかと癒着しやすい。冷静で賢い意見にも見える。

 

「うーん、どちらにも問題がありますよね」とか

「・・・言い方。そんな言葉つかったら話は聞いてもらえないよ?」

「それ言われちゃったらなんも言えね」

 

あーこういうの毎日見る。言っちゃった!なんて人もいるでしょう。

「まぁ言うてもあれや、そんなんいつも使ってる言葉やん」って言う夫たちの声が聞こえてきそう。その些細な釘サシも、話そうとしている人の口を塞いでいる。こうやって、考えない方が楽な状況が日常には溢れている。ツイッターにも溢れている。

こういう言葉は、支配する側の人間に都合の良いものだから、子どもや奥さん、生徒、部下「見下し」の対象になりやすい人が遭遇しやすい。文字面は”中立”にみえる(もう中立ってだけで正義だと勘違いする人も多い気がするなぁ)そして冷静で正しくみえる。最もいやなのは「問題の本質には言及せず、話をずらす」こと。例えば、本題の議論にたどり着く前に、ひとつハードルを置くの「言い方!」「声が大きすぎ!」「バカって言った?」とか。小さなつまづきを指摘して、それを解決しないと本題に入りませんよって条件を出してくる。それにまた引っ張られたオーディエンスが「失礼だなぁ」「さすがにバカはない」と、つまづきが大事件化し、どんどん相談者は無礼者化する。「人としてダメ。あなた議論以前の問題!」って、たーーーっと本題は流されてしまうのだ。あげく「あなたにも悪い所があったんだから」と斬りつけられ終了。なんとなく、相談や、苦情を言いに行ったのに、叱られたような気分になってトボトボ帰ってくるのは、このずるい言葉のシャワーを浴びてしまったからなんだよね。若い時は、いっぱいあった気がするよ。

 

私たち個人事業主は、いつも「より良い社会」について考えている。大袈裟でなく。なぜなら、この不安定な社会の波に揺れる小舟の様な存在だから。天候も祝日も政治も道路工事もなにかも営業に関係があり、影響を受ける。今日こそは凪でありますように。その風の冷たさを強さを一番最初に感じ、いい時、悪い時、変わらず日々同じことを繰り返して息をしている。それは世を映す鏡のようなもの。思わず口から苦しい言葉が溢れることもあるけど、それこそが世の声そのものなのだ。でも声はなかなか届かない。だからだんだん声が大きくなる。なんだか聞いている人は怖いかもしれない。不安を感じて知りたくない人だっている。大丈夫だよ。そしたらしっかりと耳を塞いでも罪じゃない。

 

だけど、口を塞ぐことだけはしないで欲しい。

 

誰にも強制されてはいけない。私達は賢くて、能力があり、対等に敬意ある扱いを受ける権利がある。周囲を気にせず、堂々と「これおかしいです!」と意思表明をし「わたし困っています!」と大きな声で言っていい。

  

あなたが口を塞がれて傷ついてしまったら「私は、そんなことされていい人間じゃない。尊厳ある、賢くて、勇気のある自分だ」ってことを思い出して。

 

今日もポロっと出ては、あなたを閉じ込めるずるい言葉。

さっと分かって、すーっと押し返せるようになりたいね。

 

いいねは意思表明。

大事にエールとして送りたい。

誰かの口を塞いでないか気をつけよう😔

 

 

喜捨のはなし



「歩道橋の上や、道端で、物乞いをしている人がいた時、あつこさんはどうされますか?お子さんになんてお話しされてますか?」と、質問されることがある。

 

こちらへ越してきたばかりの頃はうちの子ども達もまだ小さくて(イメージ1年生と幼稚園)初遭遇はきっと衝撃的だっただろうと思う。怖そうにしたらいけない気がするけど、少し怖いよ・・・って顔をしていたかな。何度か目にするようになってからは「ねぇどうしちゃったの?どうしたらいいの?」と聞いてくるようになった。「どうしちゃったんだろうねぇ、よその国から仕事に来たけど、仕事がなくなっちゃってでも帰れないしって人もいるし、大きなケガをして働けなくなってしまった人もいるよね」「ねぇあの人たちは家族だよ。子どもが小さいよ」「そうだねぇ今日は雨に濡れないといいね」とか、その時々に話をして、なるべく早くに「分からない=怖い」という感情からは放してあげたいと思っていた。お金あげたい、という時にはいくらか渡したりもした。だんだんに「全部は救えない」と言う気づきも生まれる。誰もが生きやすい世界をつくるにはどうしたらいい?君ならどうする?など話し合ってきたけれど、大きな構想では、今すぐ目の前にいるこの人ひとりも救えない。なにが幸せなのか、なにが正解なのか、堂々とお伝えできる回答はない。

 

 

 

私がネパールで買い付けしてた十数年前。偶然の出会いから一般のお宅にあげてもらう機会が何度となくあったのだけれど、首都カトマンズのど真ん中であっても、私と関わるような人たちのお家はどこも裕福ではなかった。でもネパールと言う国は他国と「幸福観」が違うことでも良く知られていて、お金と幸福は必ずしもセットではない(これは別の機会にゆっくり話したいほど、おもろ素晴しい哲学)

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恥ずかしがり屋の子ども達。お寺で。

 

で、ある日、まだ幼い姉弟が私達を家にあげてくれたことがあって、お湯の足らないぬちゃぬちゃのインスタントラーメン(名前はチャウチャウ)とゆで卵を振舞ってくれた。ネパールでは貧富に関わらず、お客さんが来たら自分の芋までも差し出しておもてなしをします。むっちゃ笑顔で(詳しくはままかのカイツケ日記  2004年10月9日カトマンズ←古!!さっきちょっと他人目線で読んだけど衝撃的だった・・・よかったら是非。

同行した桜井が、お別れにチップを10ドル渡そうと言い出し、そして揉めた。

 

私➡私達が訪れて食したものなどの実費は埋めてあげたい。しかし今過剰なチップを得ることで、今後も同じことを他の旅人にしてしまうのではないか。私達がいい人ぶることは未来の彼女たちの安全を脅かすことになる。

 

桜井➡この気持ちに応えたい。長い人生の中でほんのたまにいい事があって、もらったお金で美味しい物をたくさん食べた思い出くらいあったって、いいと思う。

 

今これを読んでいる人も、私の大人な意見に賛成な人が多いんじゃないかな。 

 

結局、真ん中とって500ルピーで手を打ったんだけど、それでも私はあげすぎだと思っていたし、桜井は不足だと思っていた。それからも物乞いとのやり取りやチップが続く。ある程度の経験を積んでいくと自然と桜井の中に「相場」が見えてきて、500ルピーは多すぎた!!と肩を落とすことになったんだけれど。

 

桜井は高校時代のクラスメイトで、当時はぜんぜん仲良くなかったのに同窓会で再会して意気投合。あっという間に2人でメキシコの買い付けに飛んだ。スペイン語堪能、それ以上にふにゃきゃわキャラで大活躍。(ままかのカイツケ日記2002年10月31日オアハカ←メキシコ編は自分で一番好きなカイツケ日記です。よかったら是非 そこにも物乞いのエピソードは満載であった。

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毎朝、カフェにやってくる子ども達

ある日カフェで朝食をとっていると、ハロウィンの飾り缶を持った子ども達が集まってきてね、すると桜井は私に「この子達しつこくないから、冷たくしないでね」とわざわざ言った。インドネパール含む多くのアジアの国々では、しつこい物乞いに強くNo!を言わなければならないシーンが少なくない。それに馴れてしまっている旅人は、そのままの態度で子ども達に声を荒げることがあるのだけど、それにメキシコ人はびっくりしてしまうのだと。子どもにそんなこと、メキシコ人はしない。だから桜井は、子ども達が旅人に近づいていくと気が気じゃなくてドキドキするんだよと言った。万が一にも私がやったらどうしよう、そんなとこ見たくもないしって事で、先に教えてくれてたというわけだ。確かにそう言われて周りを見て見ると、なにがしかの問題が起きているテーブルはなさそうだった。カフェに座っている人たちは、さっと取り出せるようにポッケに小銭やキャンディを入れているし、おしゃべりだけでバイバイする人もいる。それで子ども達が癇癪を起したりもしない。私達も「こんにちは。いい天気ですね」と知らない大人と会話するように、丁寧に接してみるとわちゃわちゃはしゃぎはするものの、別段しつこくはなく、そしてまた笑顔で別のテーブルへ行く。朝の日常的な風景。

メキシコは長きに渡り、ヨーロッパの食材庫として搾取されてきた。生活が奪われて幼い子が生きられないそんな中から「天国に行っちゃえば楽ちん!」という発想が生まれてくる。ガイコツ祭りのコミカルな明るさの中にある闇は、命の儚さだ。

「生きてるうちにたまにはいいことあったっていいじゃない」

もし思いがけない大きめのお小遣いが貰えたら、お腹いっぱい好きな物食べてさ、ああ今日はラッキーだったねって美味しい思い出がいっこ増えたらいいよね!って桜井は思ったんだよね。そう言う人だから、あのネパールの姉弟にちょっとだけ多めに置いていきたかったんだよ。

あの時私は「この甘ちゃんが!」って思ったよねー。でも今は「どうして甘ちゃんじゃいけないんだろう」って思うよ。桜井。

 

「金の行先はマフィアかも知れない」

「甘やかしたらつけ込まれる」

「きちんと断ってこそ防犯」

「自立を妨げちゃいけない」

「詐欺かも知れない」

「キリがない」

 

おおかた、冷静な日本人バックパッカーの意見はこんなとこだろうと思う。

私も、初インドを周ってた時はそんな感覚だった。未知の敵に対する怖さみたいなものもあって、上記のような教訓をしっかり心にとどめて行動。自衛に努めていたと思う。しっかり教えを守って無事にKITAC!! よく出来ました。

 

 

 

時は流れて(だいぶ流れて)わたしはなんと、タンブンの国タイランドに住んでいる。

 

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子どものお坊さん。やっぱりパソコンが気になります。

 

朝の通勤ラッシュ時には、駅に向かう道や連結高架の上で、多くの人がさり気なくタンブンをしている姿を見ることが出来る。タンブンとはお布施のことだ。

 

ある時、若い女性が20バーツ札をきれいに畳んで、物乞いの胸ポケットに入れてあげていた。その迷いなく流れるような所作を、美しいと思い、衝撃を受けた。

 

日本人的な思考からするとあげていいものは「不要なもの」だ。余っているもの、使わないもの。物乞いにあげるお金なら、悪意なく小銭に違いない。ジャラジャラっと彼らの物入れに投入される。

 

小銭ではなく、お札を、きれいに畳んで、と言う選択は相手への敬いだ。さらに、それを胸ポケットに入れてあげたのは、その人の手が不自由だったからかも知れない。

ここまでのふるまいを、ためらいなくさり気なく出来てしまう。それも習慣的に。

私達の屁理屈こねくりまわして及び腰の善行とは、なんだかぜんぜん格が違うんだ。

思わず「よく見て・・・」と心の中で、手を繋いだ我が子につぶやいた。

 

そうやって多くの人が、売ってる物を買ってあげたり、話しかけたり、道を渡らせてあげたり、いろんな日常的のあちこちで関わってて、だからと言ってしつこく干渉しないのもいい。 

  

タンブンは善行。善行は、いずれ自分に返ってくるというもので、結局は自分の為にやってるんだよ、つまりそれだけ強欲なんだよって言う人もいる。後ろにマフィアがついてるとか、あの物乞いは詐欺だよ。実はけっこう元気で家もあってバスに乗って帰っていくんだよ、とか。そうだね、それらはぜんぜんあり得るなと思う。思うんだけど、だからなに?なのだ。帰る所があるならよかったじゃん!!

知ったかぶりの日本人が騙される人を冷笑して「それ見た事か」と繰り出すそんな噂と、タイ人が考えるタンブンはぜんぜん違うレイヤーにあると思うんだ。そのお金がどこへ行こうと、何に変わろうと関係ない。

 

誰の為でもない、自分の為に。

今ここにある自分の気持ちをきれいに畳んで、誰かの胸ポケットに入れる。

母親の病気を治すためとか、試験の合格とか、どれも身勝手なお願いごとのためなのかも知れないけど、そんなの生きていたら当たり前のことだよね。

目の前にいるボロボロの人を人として丁重に扱っているというその所作は、いまここで起きてる事実なんだもの。それに勝るものないでしょ。

 

世界にはその世界の正義がある。生活体験の中から、生まれてくる考え方がある。自分のいる世界の考え方は、自分の身体にいつの間にか沁み込んでいくものだ。

私の子ども達が、こんな風景のある場所で育ってて良かったなと思ってる。

人は残酷だし、自分は無力だけど、街で繰り広げられる笑顔とワイとタンブンの光景は、彼らの原風景になるだろう。羨ましいな。タンブンをする人の為に、美しい風景のために、その人たちは路上にいるわけじゃない。もちろんその通り。だけど目の前のこの現実を見ないわけにもいかない。人々がどう向き合っているのか、見つめる事しか出来ない子ども達が、何を感じて大きくなるか。きっと世界は変わっていくと思う。

 

だから旅先で迷った時は、「日本ではふつう」って言わないで、いったん自分の常識を横に置いてみたらどうでしょう。否定したらもったいないので丸ごと受け取ってみるといいんじゃないかって思う。それから自分に沁み込んだ「常識」を観察して、時に比べながら、その国の人のやり方、考え方を観察して、いっぱい真似して感じて考えてみたらいいと思う。

 

誰もが生きやすい世界を作るには、どうしたらいい?

 

 

 

 

 

※各国のあれこれそれは違う!というご意見もあるかと思いますが、これは私が体験して考えた事を書いています。すべて主観ですのでご了承ください。