最後に入会された方に、なんのアテンドも出来ないまま時が過ぎた。そろそろご連絡をしないとなっとDMを開けたら、そのご入会日からちょうど1年経ってた。
私達は穴倉の中にいるような1年を超えて、そしてまだ穴倉のどの辺にいるのか分からない。
そんな最中、プチ留学を受け入れてくれていた学校に問題が発生。大人の事情で、これから裁判沙汰になるやも知れない。ならないかも知れないけど、相棒のラフィーザはすでに帰国し、私が子ども達を安心して預けられる環境は失われてしまった。
そう、今までの様にはいかないんだよ、
と私が納得するのにこの幽閉期間はぴったりと重なって、慌てて決断をせずに済んだ。お知らせが遅くなりました。
やってみようと思ったのは気まぐれで、条件がそろったのも偶然で、声を掛けたら集まったのも意外だった。どのピースが欠けても成立しない。だからこそ、早く参加してくれいつまでも続かなそう!って言ってきた。トントン拍子に手筈が整っていく不思議。これはなんだか私のやるべき使命っぽいなと思ったし、やればやるほど希望の嵩が増して、うねりが見えた。
疲れたお母さん、彷徨うお父さん、そして子ども達、それぞれの背中にパタパタと羽が生えて飛んでいく。タイランド、そのとてもお節介な世の中に癒されて、脳みそをいっぱいマッサージされ、大きな声でたくさん笑ったよねー。奇跡だったよ。
そう、そんな奇跡がまた訪れるかどうか、私にはわからない。
2017年の8月にスタートしたプチ留学は、夏休み、春休み、冬休み、プライベートなんだかんだで延べ9回、参加家族85、子どもの数は132人あまり(数字ざっくり)
タイに移住した家族6、他国4あまり(数字ざっくり)
すごい。
でもね、移住に成功した人が勝ったとかじゃない。海外がダメだって分かった人もいる。それも大きな理解。日本の中に居場所を見つけた人もたくさんいる。一度その場を離れることで、自分の立っている場所もよく見えるようになったり、一歩踏み出すことで日常が変わって見えたり、自分が変わったり、ダメだったら別の所へ行きゃいいやって、ステップが軽くなったり、いろいろいい事があった。
私はプチ留学で、子どものお世話はしていない。
お子たちの教育担当はご家族だから。
私はむしろ、親御さんたちのケアをさせてもらったつもり。そうは言ってもただ、楽しく過ごすお手伝いをさせてもらっただけだけど。
でもお父さんやお母さんが笑顔になることで、子ども達が元気になっていった。
子ども達は気づき始める。
道を渡る時、誰かが手を繋いでくれたこと。
船に乗る時、誰かが手を貸してくれたこと。
遅れても誰も怒らなかったこと。
イヤなことをイヤと言っても理由を問い詰められないこと。
大きな声で泣いてしまっても、みんなが微笑んでくれたこと。
お母さんが、よその人にごめんなさいって言わなくなったこと。
この南国の大都会が見せてくれた寛容を、どうか忘れないで。
ほらね、君が無理して変わらなくても、すこしだけ居場所を変えれば世界はガラリと変わってしまう。そんなに悲しくなるまで叱られたりダメだなって思わされる理由なんてなくなってしまう。
君が大きくなったら、自分で歩いてぴったりの居場所を見つけられるよ。その時に、この優しい世界がくれた感触が目印になりますように。
ここではない、どこかへ。
ちゃんとたどり着きますように。
この旅は私がお世話したんじゃない。お母さん、お父さん、あなた達がその勇気で、子ども達に見せた景色です。
これからますます、海外旅行も移住も難しくなるでしょう。だけど、どこかに必ずある自分たちの場所へあの興奮やじんわりした幸せが連れて行ってくれますように。
プチ留学はいちどお休みをしましょう。
また新たな偶然が奇跡を連れて来てくれるかも知れません。
これまでプチ留学はラフィーザをはじめ、いろんな人が助けてくれてやってきた。ピースがひとつ欠けても成立しない。本当にその通り。
私のツイッターはこれからも大解放中。
プチ友の相談にはいつでもノるぜい。
誰よりも素晴らしいあれもこれもを見せて貰ったのは、この私です。
たくさんワクワクして感動して、こっそりたくさん泣きました笑。
ありがとう。
またね✋