小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

私が生きたい世界

いつもいいこと言ってる👍ブリトニー

だけど、子ども達に話す時は、ついカッカして上手く言えない。でも昨日わりと上手く伝わったので書き残しておこうと思います。ワクチンを受けるか受けないかというアンケートが学校経由で政府から届き、それについて私から子ども達に話したこと。

 

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せっかくいま子どもたちは健康なのに、予防のために今ある健康を差し出すって、違和感しかない。

 

まず、これは基本にあります。

 

そのうえで、もうひとつ。

何かを選択する時に、私が大事だぞと思っていることがあるのね。

自分がどういう世界に生きたいかってことなんだけれど。

 

君達は、私がワクチン大嫌いだと思ってる。

なのにワクチンを打った人に「よかったね、お大事にね、副作用が少ないといいね」と必ず言うのを、なぜ?と思ってると。そうね、確かにちょっと嘘くさいし、白々しいわな。

 

でも、私は本当にそう思っている。

そして、ワクチンが大嫌いなわけでもない。

 

例えば、うちの学校みたいに約50ヶ国もの国からやってきた子どもたちが集まると、中にはワクチンが行き渡らない国の子どももいるわけです。その子のご家族は「バンコクにいて良かったね。ワクチンありがたいね」って思っているかも知れないよね。ワクチンがそのご家族にとって福音であったなら、尚のこと副作用がありませんようにと祈ります。良かったねと言ってあげたい。

 

求めている人にちゃんと行き届く。

打たなかった人が虐げられない。

そういう世界が好きです。

 

君たちのことはさておき、自分も社会的な要請が強くなれば仕方なく打たなくちゃならない日が来るだろう、と思っていました。口には出さないけど、仕方ないと思う時が来るだろううと。でも今はそれってやっぱり違うよなと思ってます。ワクチンに限らずですが、個人の健康、ここでの暮らし通学や就労、何かを差し出せば続けてもよいですよという話が始まったら、黙って応じてはいけないのです。ワクチンが怖かったら怖いと言っていいし、無理して打ってはいけない。早くワクチンを打ちたいなら打っていい、それはそれだけの話しなはずじゃないですか。なのに打たないと権利がはく奪されていくとしたら、そこから先は別の話ですよ。健康は人権です。それを利便性や他人の正義や他のなにかと等価でもないのに交換できない。これから差別が始まるんじゃないか、やがて居場所がなくなるんじゃないか。まだ何も始まっていないことを見越して打つこともまた、ワクチンと同じ矛盾を感じてしまいます。私はそういう世界の一部でいるのがいやです。

 

私が生きたい世界においては、打つ打たないは個人の選択にのみ委ねられます。なので私がいつも言う「打つ人も打たない人もどうかご安全に」というのは、八方美人のいい逃げ口上だからって使いまわしてるわけはなくwww、

自立した個人が集まって調和を目指す、もっとも民主的で成熟した世界から来た考え方だと思っています。(そこはどこだろう)

 

こうしてワクチンの善し悪しを、明るみになる結果を、新たに見聞きしたことや、政府の発表、その感想を、みんなでガヤガヤと話し合うことはとてもよいこと。反ワクチンとか推進派とか、そういう発想には最初からひとつの答えしかありません。

でも本当は、真実も選択も人の数だけあるはずです。

 

コロナの性質が変化すると、ワクチンの定義も移ろっていきます。変化するものの安全性をワクチンパスポートで証明することだって、私はずいぶん非現実的だと思っています。でもそんな愚策に右往左往している間に、きっとコロナのみならず医学も科学も大きく変化し猛進していくでしょう。そんな中で、反ワクと噂のあなたの母がそれならいいねだったら打とうかななんてって言い出す日が来るかも知れません。

誰に指図されることなく、いつだって、考えを変えるのも好きにすりゃいいんです。嘘をついたわけじゃない。人も時間も流れていき変化すること、それこそ自然だし自由なんです。自分で決めたよしOK、どうしても決められないそれもOK。変わっていくことももちろんOK。その人の希望を支える世界が、誰にとっても断然楽ちんだと思うから、そう言う世界に私は生きたい。「どういう世界を作っていきたいのか」ひとりのひとつの選択は、声です、態度の表明です。私は見えない誰かになにかを押し付けられるのは、イヤだなぁと思うんだ。

 

と言うような話をしました。

 

幸い、私の子どもたちの校長先生はとても人権意識に長けた人で、私の嘆きにもそっと寄り添い嘘のない対応をしてくれています。「私だって人の親です。その心配はとてもよく理解していますよ。大丈夫、学校がワクチンを強要するようなことはありません」と仰ってくださっている。しかしここから先、政府が学校にどんな規制を打ち出してくるか分かりません。学校の存続が危ぶまれるようなことにならなければいいけれど、と祈りながら、でもこうして正直に心を開いて話せているから、なにか悪い結果になっても無下に校長先生を責めるようなことはしないと思います。私の生きたい世界は、このプロセスそのものだから。私は私の考えを伝えていてさらに温かい言葉を受け取っているから、苦渋の決断(なんだろう)を迫られた時も、きっと周囲5mの誰をも恨まずいられるだろうと思っています。

 

さて、この母の話を聞いて、明るい顔であらかた納得した我が子達から「かあかんの独断でYesかNoかを返事しないこと」と約束させられました。「かあかんがどんなに不安でも、僕たちから選択肢を奪うことは”かあかんの生きたい世界”に反することではないのか」と。(ちっ

はい、心得ました。君達の選択いかんによっては、また心を込めて説得させていただくよ。そうよ、このプロセスこそが私の生きる世界だから。