「そこまでして欲しいの?」
双子を妊娠した、と言うと
「治療したの?」「双子家系なの?」と言う質問が
皆さん頭に浮かぶと思う。
これを口に出しちゃうと「デリカシーに欠ける!」と双子ママらの逆鱗に
触れちゃうらしい。
いえ、私はあんまり腹立たないのよね。
双子ってミステリーだものしょうがないなと思うよ。
それに実際、我が腹の人達は治療での賜物だもん。
ただ、うちの双子について言っとくなら、治療のせいで双子なのではなく、
あえて治療したのに双子、と言う誕生秘話があるのだ!!
病院の方針で移植した卵は1個だけ。
「双子でも良いんですけど・・」と言ったら鼻で笑われた。
母体の年齢もあって負担を極力減らすため、移植は絶対1個と決められた。
通常、不妊治療で多胎が多いのは、2.3個の受精卵をいっぺんにお腹に戻すから。
そのうちいくつかがうまく着床してくれればその子達が双子・三つ子となるのね。
二卵性双生児、一卵性&二卵性三つ子とかになる。
うちの場合、もともと1個の奴等が勝手に分裂し双子になっちゃった。
天然の一卵性双生児なのだ!!
人工なのに天然・・・?なんてねぇー不思議不思議。
双子って、面白いお話が多いので・・・それはまた改めて・・・
さて、不妊治療。
そこまでして子供が欲しいのか、と思われる方も多いだろう。
実は私達夫婦も、子供がいなければいないで、楽しくやっていこう、
と思っていたクチだ。出来れば欲しいけど、無理してまではねぇ、と。
では、何処までが「そこまでして」で何が「無理」なのか。
もし自分達の何かが悪くて、簡単な治療で治るならやっぱり健康のためにも相談してみようかしら、くらいのつもりで足を踏み入れたら、自問自答するのも馬鹿馬鹿しい位の早さで、どんどんプランが立っていく。
「そこまでして欲しいの?」と
「そのくらいの事でもう諦めちゃうの?」の、この間。
緩やかな中間はないのだ。もっといろいろ考えたいし、やってみたいのに、
伸るか反るか、現場にはそれしかない。
赤ん坊が出来るか出来ないかは置いておいても、医療行為自体は
すでにかなり確立されていて、盲腸取るより簡単だ。
(いや、もちろん奥は深いが行為その物は単純と言うこと)
だけどそのストレートな医療行為を受けるには、かなりのお金がいる。
多くの治療中の方のブログへお邪魔してみたが「そこまでして」
の内訳の多くはお金に行き着くように思えてくる。
「いったいいつまで?」と言う不安も、そこには「この金額を払いながらいつまで?」の割合は大きい。
そして多くの夫婦が頻発する喧嘩に苦悩。
精子が極力なくても、排卵出来ない事も「その位のこと」と言える位
技術は進んでいるのに、「そこまでして?」がお金だなんて。
「次こそは、次こそは」と思えばやめられなくなる治療地獄には
保健すら利かない。
有名な病院へは飛行機や新幹線ででも通う人がいる。
日本で一番か二番に高額、と囁かれる病院には、座りきれない程
たくさんの人達が待合室に溢れ「次こそは」と願っている。
さぁ、どうしようか、やってみる?
お金の限界はすぐ見えたので、悩みようがなかった。
私の体が悲鳴を上げたら、夫婦が仲良く出来なくなりそうになったら、すぐやめよう。
それを私達の「そこまでして欲しいの?」にする事に決めた。
まさか、自分達が不妊治療をするなんて考えたことなかったのに
・・・その決断が運命の分かれ道だったんだねぇ・・・。