小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

百伽の耳2

保育園入園の願書を提出してしばらく経ったある日。 役所から電話が入った。「もかさんの耳がどのくらいの障害で あるか一度お話を伺いたい。もかさんを連れていらしてくださ い。」と。指定されたいくつかの日から適当に選んだのは私だ が、何十年かぶりの4月の雪の日で、ベビーカーでは寒かろう けど腰痛持ちとしては抱いて行くのもはばかられ・・・。 だいたい、産まれてから2度も市から保育師さんが実際に百伽を 訪ねて来ているではないか。なぜそのレポートが反映しないの か・・・?一応尋ねてみると、それは保健衛生の部署で今度は 保育課だから関係ないんだそうだ。このふたつが関係ないなん て言えちゃうんだから困ったよ日本。来る時てのはいきなり家に 来て子供を見せろと言うのに←虐待見てるのかもね。こういう 時はやや子持ってこっちへ来いと言う。まぁ勝手なもんだ。と、 思いつつなんとか行ったら開口一番「今日はとんでもない日で 本当に。別の日にしようって電話すれば良かったですね」って。 私達が面接したのは保健師さん。保健師さんと言うのは、だい たい子供好きだしいい人だ。だから、もちろん話はカチコチして ないし、百伽にも優しく接してくれる。最初から解っているのは ここでいくら熱弁を奮っても、審査をするのはこの方ではないっ てことさ。この方は子供を見る専門的な目線から、百伽が入園 審査の対象として問題あるかないかを上申するだけなのだ。 それでも二度も呼ばれちゃたまらないので、言いたいだけはきっ ちり言ってかないと。相手が確認したいのはズバリ「責任」の 所在だ。相手、と言うのはつまり第一希望の保育園。りんやひょ うも通う、勝手知ったる徒歩1分の我等が保育園。その伝言を申 し訳なさそうに保健師さんが語る。「百伽の耳が悪化して集団 行動に支障が生じた場合は、転園もありうる事」「将来補聴器 をつけたとして子供同士の悪ふざけや過失で破損した場合補償 は出来ないこと」など等、細かくは忘れたけどどれもこれも百 伽の耳がもっと悪くなるかも、と言う可能性からすればハナクソ みたいなお約束ばかりだった。すでに保育園の先生とは双子の お迎え時にさっくりと耳の話はしてあり「百伽ちゃんいつから ですか?」と、現場では和やかに笑顔のやり取りが始まっている。 だから、こんなくだらない話で保育園を憎んだりしませんよ。 こう言う話はもちろん、経営者側が市に「引き受けてもいいけど ちょっと責任の問題だけは確認してよね」って事で立ち上がって るんだもん。「責任」大事な事ですよ。ええ、でもあまりにも上 から目線じゃありません?保健師さんに言ってもしょうがないと 思いながら言っちゃいましたよ。「もしも百伽の耳が悪化する 様な事があれば、それこそ我が家にとっては保育園がどうこう 以上の大問題になるわけです。更に保育園での生活が困難で 彼女にとってそれが苦痛であるならば、失礼ですがこちらから 転園を申し出ると思います。その際は彼女に合った場所を探す お手伝いをお願いします。」と、お手伝いなんか期待してない けど言っちゃった。ああ、言ってやったね! さらにつーづくー