小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

気持ちいい治療

こうして初めてのトライは体外受精に至ることなく失敗に終った。 しかしながら、私はこの病院に向いている方だと思った。 私自身も病院同様、治療に対して感傷的ではなかったからだ。 むしろ、初めて自分の卵を見たり、パートナーの精子宇宙を 見たりと日々の発見と驚きは、不謹慎ながら面白いのである。 自分の体を通して、人の体の不思議や、命の不思議を考える日々。 手に負えない運命の力や、命の気まぐれや重さを、夫婦で日々 噛み締め、感じ入っていた。 もちろん長く続けば、そんな悠長なこと言ってらんなかったんだろうけどね。 「治療を他人や親戚に知られたらどうしよう」 「治療なんかで出来た子供は差別されるのではないか」 どれもこの不妊道ではよく聞かれる言葉だ。 ブラックホールのような暗い苦悩。 私は世俗から離れネットの桃源郷でひっそりと暮らしているせいで 感受性がおかしいのかも知れないが、どの苦悩にも「そりゃ筋違い」 とはっきり思えた。 命のことだ。悩むもいい。が、これらは焦点がずれている。 自分自身の差別心や不安を世間様に投影してるに過ぎない。 私は恥じたり、不安になる人を見ては残念に思った。 なんでバレるとか言うのだろう。 なんで嬉しくないのかなって。 この時代に生まれたからこそ、こんな治療を受けることが出来て、 自分で可能性を探る事が出来るのだ。 もしかしたら、ただ待つだけの授かり物を、自分から迎えに行く事が 出来るかもしれないんだもの、私は素直に嬉しい。 これが30年前なら、いたずらに時間を過ごすしかなかったのだからねぇ。 まず、自分の立っている場所に、自分の向かっていく場所へ、 そんな言葉を差し向けてなんになるんだ。 私は最終的に子供が出来ても、出来なくても、 「面白かった。やって良かった。すっきりした」と 言える自分で治療を終らせたい、と思っていた。 と、病院との相性の良さやら、清らかなモチベーションを高らかに語っておきながら、私は早々に転院した。 なぜなら、もうちょっとばかりお値段がお安く、評判も上々の 専門店を発見したからであった。 例え5.6万の違いでも、長期戦になれば大違い。 自然周期採卵も提唱しているので、やりたい事も変わらない。 転院しない理由は何もなかったのだ。 新しい病院がいまいちだったら、いつでもここへ戻ればいい。 戻る所が出来たからこその、気楽な転院。 新しい病院へ予約を入れて、買い付けへ旅立ったのであった。