小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

隣に座るあなたと私と

 

 

さっきのタクシーの運転手さん、私を見てにっこり笑って「コリアンだったらOKだよ!」と元気に発車。今日はマックスバリューで特別たくさん買い物をしたのだ。降りる時、ミシミシいう程重いエコバッグを、彼はマイペンライマイペンライと言いながら玄関まで運んでくれた。ありがとう。いつものようにタイ人は優しい。優しいけど、せつない。

 

もともと今年は春のプチ留学は募集しておらず表向きはやらないつもりだったのですが、いつものようになん人かからオファーはありまして、その人たちだけ受け入れるつもりの準備はしていました。がしかし、このコロナウィルス騒動で本春は全員キャンセルです。

 

お迎えするこちらとしても、その方がよいかと思います。

 

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 3.11の時、私たちは今まで生きていた世界がひっくり返るような体験をしました。いい話もいやな話もエピソードは巷に溢れ、放射能問題で分断し、差別と区別の間で涙を流した。武漢人にとって、中国人にとって、この出来事は同じように世界がひっくり返るものとなるでしょう。世界との親和感が消え去ったんですから。どこの国も歓迎してくれません。「中国人か?」と聞かれる日々。我々は広がっていく罹患者数におびえ、映像を見てしびれ、「中国人帰れー!」と怒鳴った背中をどんっと中国人側に突き飛ばされています。「私は中国人じゃない!」そう振り返っても、欧米人から見れば、中国人も韓国人も日本人も同じです。東アジア人を見慣れているここタイではまだ「中国人か?」と聞いてきますけどね。もちろん悪気はないんです。不安なんです。怯えたタイ人に「大丈夫、私日本人だよ」って早く言ってあげたいと思う気持ちの中に「いやそうじゃない」という思いと「中国人でなくてよかった」とが、見え隠れします。そんな自分に心底がっかりします。ただ、ひとつ言えるのは、恐れる側の気持ちも、疎まれる側の気持ちも、どっちの気持ちも分かるのは、私たちが東アジア人だからなのですよね。感染予防はきっちりしながらも、私たちアジア人同士がお互いに無碍な態度をとる事だけは避けたい。放り投げた言葉や刃は、そのままこちらへ返ってきます。

 

放射能がばら撒かれた時、血相変えて汚染地を飛び出した「私達」は同時に、どうやって迎え入れたらいいのか不安にさいなまれた「私達」です。シビアな局面を思い出します。赤子を抱いて武漢を脱出した人も、見知らぬ誰かを守るために自分を閉じ込めて時が経つのを待っている人も、この危機を乗り切りたい。その気持ちとてもよく分かります。あの時の私達が、誰かを責められるわけがありません。

だからずっと考えているんです。

 

日本から帰国したタイ人カップルが陽性になったと。

故郷千葉でも複数人の感染者が出ました。

完全に他人事でなくなったと、感じています。

 

私は今、誰かの脅威となったのです。

 

ハーブサウナで隣に座ったおばちゃんが、とっさに口を覆って顔をそむけたのも、電車の中で少し距離を取られるのも、タイ人にしてみれば「私を嫌っている」のではなく「恐い」のですよね。私が日本へ帰国したら、きっと日本人もそう思うでしょう。みんな自分の陣地は何事もなく安全で、危機は外からやってくると信じているからです。

そればっかりは不満でも恨んでも仕方ない。

 

私達が肝に銘じておかなければならないのは、誰もが誰かの脅威になりうること。

目の前の人を安心させてあげるにはどうしたらいいんだろう。

世界平和は感染者の動向にかかっています。私は今感染者ではないと思うけど、あなたも感染していないと思うけど、そんな希望に根拠はないってことです。

自分が撒き散らすかも知れない可能性について真摯に考えるしか、健康と人権を守る方法はないでしょう。

 

 

そう、世界平和のために出来ること。

マスク着用、手洗いうがい。怖がってる人に近づかないこと。いちいち悲しまないこと。家でNetflixしてTwitterして。

 

たぶん、いっときの辛抱です。

自分が誰かの脅威でいる時間は。

 

だけど、ここで受けた傷をこじらすとけっこうひどく腐るのも知っています。激しく疎んじられたこの体験を武漢人は忘れないでしょう。これから私たち在外者も同じ目に遭っていくから、誰かの心無い言葉には同様に傷つけられます。自分は感染していないと確信している人は、脅威に対してどうして欲しいのか言っていいと思う。どうしたら安心して会えるのか、お互いが気を付けないとだよ。だけどそれは、絶対に罵声や罵倒であってはならない。言い方、けっこう大事!

 

自分はともかく、子どもだけでも。自分の家族だけはと思う気持ちは当然です。だけれど、それだけだと人はかなり残酷ですよ。ウィルスは人種を選びません。日本人だって感染源になるのです。どうかお近くの、日本人ではない人たちをこの罵声から守ってやってください。子ども達が無邪気に「ばい菌」などと言う言葉で貶めることがありませんように。みんなが同じ様な日常を生きるい市井の人です。嬉しいことも悲しいことも同じ様に感じて生きています。励ましと祈りを分け合いつつ、つねに冷静で社会的な人間であること、客観的であること。

半径5mの幸せ作戦を半径15mまで広げてくれたらなぁって思います。私の子ども達も同じ様に見知らぬ誰かに守られています。そしていつまでもここにいられたらと祈っています。

 

努々、分断されませぬように。