ツイッターを読まれていないままかのお客様には初耳かと思います。
それからFBを読んでいる親戚一同はびっくりして聞いてください。
実は先週水曜日、ゴロ寝ついでに胸のしこりを発見。
ドクターに「大丈夫」と言われに行くつもりで翌日診察を受けたのです。
そこからわずか1週間でまるで自分の人生とは思えないような展開になってきています。
細かいレポートは後に廻して、まずミラクルな今日を振り返ってみたいと思います。
★本日のハイライト
私がセカンドオピニオンに訪れたのは、バムルンラートインターナショナル。
予約に食い込めず、キャンセル待ちして会えたドクターは、にっこりとかわいらしい年配女性C先生。
私はすでにいつも通っているBNHホスピタルに手術予約をブッキングしていたし、自分の主治医に
不満などなかったのだけれど、ちょっとこのまままな板には乗れない気がして話を聞きに来たのだ。
C先生にBNHがセカンドオピニオン用に作ってくれたCDをみてもらう。
そこにはマンモとエコーの画像が入っている。
私はカーテンの中に入り支度をしながら、通訳さんと先生のおしゃべりを聞いていた。
本当にこの通訳さんは素晴らしいタイ語を話す。
感心しているとそーっとC先生が入ってきて着けようとしたゴム手袋をぽっと落とした。
くすくすと先生が冗談を言うとアシスタントと通訳さんが笑う。
和やかな午後のお茶会みたいだ。
再びデスクへ戻り、エコー画像と先生に向き合う。ゆっくりとC先生が優しい顔のまま言った。
「右乳1cm程度の腫瘍は90%悪性だと思います。それから左乳にも2mm程の腫瘍がありますよ。
将来変質する可能性は3%程度だと思いますけど、でもどうせ全身麻酔でのオペになるので、
同時に取ってしまってもいいと思います」
残酷なセリフが流れるように聞こえてきた。
「オペ中に摘出したしこりを生検します。30分ほどで悪性かどうか判明しますので、
それがもし悪性だった場合は★部分摘出後に放射線治療 または ★全摘 か、選んでください」
ちなみに、悪性だったらさらにリンパまで追いかけて転移を調べ、さらにシリコンのセットアップも手術終了。
なんてことバンコク。1日で全部終わらせてしまうのだ。
「部分摘出だと見えない小さなガンが残っている可能性があるので、放射線治療をします。
全摘であれば放射線をやらずに済む場合もありますが、リンパの転移がわずかでも認められれば、
放射線治療は避けられません」
私ががんシュミレーションする中で常に難問だったのがこの「放射線治療」「抗がん剤」だ。
もしガンと診断されたらすぐに、この副作用と言う名の被曝症状と戦わなければならない。
それも誰かの既得権益の為に!日頃はそう思っているかなり真剣にね。
だから自分だけの体だったらもちろんやりたくない。
しかしこれがもし自分の体でなく、子どもや親で「まだ初期段階なのでやれば必ず治りますよ。
最新のマシンは副作用も極めて少ないですから」と言われたらどうだろう。
自分の偏った思想で大切なものを亡くしてしまったらどうしよう。
すぐに治るはずのものをややこしくさせて死が近づいたら・・・物凄く揺れる。
苦しまないのならやらせてみようか・・・。
「抗がん剤はやりません。民間療法を勉強して自分で治します」そう突っぱね切れない私がいた。
そう私は私だけの体ではなく、まだ幼い子ども達がその存在を必要としていたから。
生き残れるなら全摘大歓迎。
間違いも正しいも抗がん剤もなんでもいいよもう出来ればやりたくないけれども!
現実的な質問をしながら、絶望を感じるよりもむしろ自分の知り得なかった衝撃事実に
にわかに興奮していた。ここにセカンドオピニオンに来て良かった。
C先生のエコー読みはホントにすごい。そして全てを教えてくれる。
「先生にオペをして貰えることは出来ますか?」
「もちろんです」
「しかし、実はすでに前の病院での手術日は決まっているのです。それはキャンセル出来ますが・・・
執刀医はK先生なのです。こちらの病院にも来られてますよね。それって問題になりませんか?」
室内の空気が一瞬息を呑んだように止まった。
「問題ありまん。でもK先生ならあちらでオペをされても良いと思いますが、もちろん私でよろしければ
すぐに予約を入れます」促されたアシスタントが2日後の日曜日に手術室を抑えた。
放射線治療と抗がん剤への抵抗感を話したら「最先端の副作用がない放射線治療のマシンがあるので、
放射線医に詳しい話を聞いてみてください」となって、やっぱりそうなってww
再びアシスタントは放射線医へアポを取りに。
私は待合での待機となった。先生に頭を下げて扉を閉めたその時、
通訳さんが私の腕をつかみ、廊下の端へ引き寄せ言った。
「K先生のブッキング、本当にキャンセルされますか?」
目が真剣で顔が紅潮していた。
「ご存知ありませんか?あの方はタイで1番の、いいですかバンコクではありません、タイで1番、
それこそ医者であれば彼を知らない人は絶対にいない権威です。切って貰いたければ6ヶ月以上待ちます。
私達スタッフですらなかなかお会い出来ない方です。診察も滅多にされないと聞いています。
それなのに上村さん診察から執刀まで。それも来週すぐにして貰えるってそれは・・・
ごめんなさい混乱させて。
そして完全に私の主観なので参考にはなさらないで下さい」
「でも、もし私だったら何も言わずに体をどーんと預けます。もうなんの心配もしません」
「じゃあ予約取り消しません」
「早いですね(´Д`)」
今日のところはこちらの予約まで話を進めず、放射線医の話を聞いて帰る段取りで行こうと話し合い・・・
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我が家はいつも近所のBNHホスピタルを受診する。
たまたまそこに意欲的なブレストケアセンターがあったので、迷わず「大丈夫」を聞きに行った。
しかしすぐには白黒つかずに、数日待たされた後K先生に引き合わされたのだ。
通訳さんが席を外してすぐに私の診察室へ、破顔の笑みで入ってきたK先生。
なんて、美しいおじいちゃま。
「お待たせしました。質問するよ。それで、あなたの家族に乳がんの人はいますか?」
通訳ナシでどんどん彼の質問が続く。
応戦しているとすっかり質問が終わった頃に通訳さんが慌てて入ってきた。
素晴らしかったのは、彼の触診。
なんとも言えない繊細さ、優しくエレガントですべらかで。
「これ、もし良性でも取った方がいい。」と言った。悪性でも良性でも取るとなったらやる事は同じ。
「あなたはまだ若いから」と部分摘出を勧められた。
この日は手術の段取りを説明されながら「怖くないから」と何度も言われオペの気軽さや
温存の方向でしか話はしなかった。
K先生はこれは悪性だと思いつつも、生検に出すまで何も言わずにいる人なのかも知れない。
それにしても私はこの日の通訳さんとまったくリズムが合わなくて、うまく話を聞き出したり
思った通りにしゃべったり出来なかった。
ファーストオピニオンは消化不良だった。
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放射線医から「今日は予定いっぱいで会えません」との連絡が入った。
今日はオペの日取りを決められないね。
私も動揺してしまっているので帰ってゆっくり考えます。そうね、それがいいわね。
深く頭を下げてドアを閉めようとしたその時、C先生が半身を乗り出して
「大丈夫よ!怖くない、怖くないからね!」と手を振ってくれた。
運命はこちらへ手招きしたりあちらへ引っ張ったり、私を何処へ連れて行きたいのか。
酷い宣告をされた。しかしそんな事はすぐに我が事と感じることが出来なかった。
でも、今日目の前で起きた全ての場面が面白くて仕方がなかった。
私が何を選んでも、今日のキャストに必要のない人など一人もいなかった。出会いって凄い。
出会いのパワーでむせ返りそうになりながら、幸福感に満ちていた。
その時LINEで友達から「髪型変えれるアプリあったで~画像見る?」と
閲覧注意的な顔乗せヅラ画像が6枚送られてきた。
笑っちゃいけないとほっぺたを抑えながらも頭が働かずなんとも気の利かない返事をした。
それからツイッターで出した求人に応募した友達からのハラハラDMに、ハラハラしつつも
これまたボヤっとした返事をした。それからそれから・・・と、
母や夫に電話する暇もなく友といつもの他愛のない会話をしていた。
それすら出会いパワーを放っていてとても嬉しかった。
雨雲に追いかけられながら必死で家に着き洗濯物を取り込んで、やっとランチにありついた。
子ども達を迎えに行かなくちゃいけない。
がぶっとサンドイッチをほうばるが、なぜかうまく入っていかない。
食欲が、ないみたいだ。と、そう思ったら少し涙が出た。
奇跡劇場から戻った普通の私は思った。
自分がいなくなるのって淋しいなぁ。って。
そして、6月16日火曜日に切ります。