小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

シザーハンズ

子供の頃とても好きだったお話「泣いた赤鬼」

「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」

まずこの立て札のセリフが好きだった。しかし人間には解って貰えない。もどかしい・・・。

やがて親しくなった人間に振舞う、そのお菓子の美味しそうなこと。

そして知らぬ間に消えた唯一無二の友、青鬼の告白。

大好きなはずのお話なのだが、その胸をかきむしられるラストでいつも本当に好きなんだか嫌いなんだかわからなくなった。そうするより他に方法はなかったのだろうかと。

シザーハンズ、Dancer in the Dark、悪人 etc...

私が勝手に「泣いた赤鬼的映画」と呼んでいる。

誤解が解ける事無く、主人公が幸せになることなく終わっていく話だ。そうするより他に方法はなかったのだろうかと。

共通しているのは主人公が稚拙なまでにピュアで悲しいほどに優しい。

その心の美しさに涙は止まらないが「感動した」と言うより、3.4日落ち込んでしまいどうしたらいいか大変困る。

こんな映画を作っちゃいけない観ちゃいけないと深く思う。

なのにDVD中毒の息子に薦めた「シザーハンズ」

だからティムバートンは夢に出るって言うのにちょっとみせて見たかった悪母。

チャーリーとチョコレート工場鑑賞時の轍を踏まぬよう、しっかりと膝に抱いて鑑賞。

さすがに4歳児には解説が必要な場面が多々あるのでほぼしゃべりっぱなしで見てるのだが、そう、人様に説明などする必要が生じると否が応でも内容が頭に入る。

そこで気付いてしまった。

ああ、なんでこんな解りやすい事を解っていなかったのかと思うほどにストンと腑に落ちた。

初めてシザーハンズを観た当初の私はこのキムにムカついて仕方なかった。

「愛してる」とか言ってんじゃねえよ。なんであんたは周囲に誤解を解こうとしないのか。

また周囲の人間もどうして彼を信じてやれないのか。

全ての罪を負ってたった1人で生き続けるエドワードを思うと苦しくて映画を呪うほどつらかったのだが、

しかし・・・

やだー

ぜんぜんそういう映画じゃなかったじゃん。

エドワードは恋をした。自分の刃が相手を傷つける事を恐れて好きな人に触れることも出来なかったのに、その人は自分から懐にそっと入ってくれた。そして「愛している」と言ってくれたのだ。彼女を守る為の選択、その運命を彼は納得して受け入れる。そこに孤独はもうない。彼は愛の中で生き続けている。

どんなアクシデントもキムの心が自分にあったことで全てチャラ。

周囲の勝手なちやほやも意地悪もそもそもどうでもいいことなのであった。

キムが自分の本当を知っていればそれで良かったのだ。

そっか、他の泣いた赤鬼的映画もほぼ同じ理解で良かろうと思い至る。←乱暴な。

ね~人間って酷いでしょう~エドワードかわいそうだね~って、ラストなのわかってて最後なんて言おうかな~と思っていたんだけど杞憂だった。

「悲しい~みてられない~~止めたい~~怖い~~」と指の間からモニタを観ていた双子。

じゃあエドワードは下界を知らず、大好きな人にも会えず、お城にずっと一人で安全にいれば良かった?

いやな事だらけだったけど、初めての物をたくさん見て知って、それに誰かに愛してるってぎゅってしてもらえるのと、どっちが良かった?

う~~~ん

「僕はねぇ、お城から出て良かったと思うよ」

よし、20歳の母からは出なかった感想が出ました。誘導尋問だけど。

「ねえ、エドワードのパパは手を作ってくれてたのに死んじゃったの?」

と、何度も聞いてくる。

いや、本当にその点は悔しいねえ。悔やまれるねぇ。

父と一緒に寝室への階段を登りながら「ね、とーたん、シザーハンズ良かったよ」

よし、20歳の母にはない感受性でよかった。

現在深夜1時ですがまだ夜泣きも聞こえてこないので腑に落ちた模様。

親子で腑に落ちナイトだわ。よしよし。