小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

双子、転校するの巻。

しばらくお教育について触れてなったですナ。

ガンで大忙しだったこの半年の間に、ちゃんと受験までして転校しちゃったりしてました。

双子は11月からバイリンガル校に通っています。

百伽さんも同時に合格したんだけれど、インターに残る事となりました。

そもそも、双子の学年に日本人がどっと増え、日本村が形成されたあたりから学校生活の様子が変わってきました。母国語を話す友がいて、同じ文化や習慣を共有できる喜び。多少英語の習得が遅くなっても、楽しく学校に通えればそれはそれでいいと私は思っていました。もちろん我が子らは日本人を大歓迎。しかし残念ながら、温かい人間関係は築かれることはありませんでした。新しいお友達とりわけジャイアン(仮名)は英語を理解できないプレッシャーと苛立ちを、狭い人間関係の中で爆発させ、まずは凛之助が被害に遭いました。

あれからもうだいぶ経ち、ジャイアンも英語を話せるようになり柔和になったと評判も上々。日本人はさらに増え続け、聞いた事のない名前が会話の中にちょいちょい出てくるようになりました。そんな中での日々のやり取りや、子ども達の様子を見ていて、実は我が子たちにとっては何ひとつ事態は好転していないと気付きました。

 

どうにか今はジャイアンと普通に会話が出来ています。先生の助けもあったし時の流れもよい薬でした。ただもしあの時誰かひとりでも、ジャイアンに立ち向かったりしなくていいから、ちょっとした隙に普通の声で話しかけてくれる子がいたら、と今考えます。問題は、ジャイアンだけではなく彼を恐れ機嫌を取り、言われるがままに動く周りのお友達の存在。彼らはジャイアンが問題視されると今度は「言われて逆らえなかった」と言って逃げて行く。なんだか貧しい関係だなぁと思うのです。まぁ気にしないでいればいいのですが、日本の学校を知らない双子は言葉づかいもおっとりしていて、温和で滅多に怒りません。さらに体は頭一つもちいさいので、なにかにつけ甘く見られて軽く扱われる。ゲームの順番が回ってこないとか、そんなことだけれど、何か事が起きるたびにああまたかと思わされるのです。

なんだか勿体ない気がしました。凛と彪なら、もっと人と深く楽しい関係を作っていけるのに。なぜこちらを向かない彼らの横顔を見つめながらこれから長い十数年もの月日を過ごさなければならないのかと。

動くなら、新しい言葉を覚えなければならないなら、今しかない。と思うようになってきました。

そこへたまたま受験の機会があったのですね。

残念なのは幼稚園時代から少しずつ紡いできた数少ないイスラムのお友達と会えなくなってしまう事。

それも、百伽が残っているのでお互い様子を知る事が出来たり、行事の時に会えたりで、淋しさは半分で済みました。

百伽はもかで、二度のクラス不適応に陥りながらも自分の感情と格闘し、周囲を観察し、勇気を出したり泣いたり怒ったりしながら、やっと安心して大声で笑える環境を獲得しました。その不適応の原因になった超強い女の子と今は対等に渡り合って、男子からも一目置かれ、クラスメイトや先生にとても大事にしてもらっています。それはひと目でわかるくらいに。

だから、これはこれでいいかなと思って。

と、言う事で、いま父は朝二か所に送っていかなくてはならず、かつバイリンガルは7時にはクラスがほぼ揃ってる朝の早さで家族は皆寝不足。これからは夏休みがずれるので、全員が一緒に過ごせる長いお休みがなくなると同時に、1年の半分くらい誰かが家にいると言う状況に(+_+)

そして新しい学校は、タイ語が話せて書けてが当たり前な上にちょっとハードルあげて来るので大変です。

インターはタイの学校よりも8カ月早く回ってる為、彼らはすでに2年生だったのですが、タイだと来年の4月から2年生。その4月入学生の試験に合格したのですが、今のままではタイ語が心配ということで4月を待たず1年生の後期に入って特訓しています。毎日アフタースクールで1時間タイ語の宿題を見てもらって、それから帰って毎週のスペリングテストに備えて大家さんと勉強。ヒーハーしています。いやヒーハーしてるのは私であって、彼らはなんだかのらりくらりと止める気も腐る気もなくなんとかやってる。タフ!

うさぎ、とか えんぴつ、だったらやったことあるからすぐ書けるんですよね。

でも、功徳、とか、魂、戒律とかって 書かねばならんのですよ。

毎週40個から10個出題!

同じアパートメントのお友達は、ほとんどフレンチ・タイハーフなので、母国語であるタイ語とフランス語、それから覚えてくる英語が飛び交います。すげーなーって思うけど、彼らにとっては3っつのうち2つが母国語だからね。どうして我々だけがこんな苦労を?まったく縁のない他国語を母国語レベルで習得しなくてはならないってなに?苦しくなるとそういう疑問が沸いてきて止まらないですけどね。

まぁタイはタイ語が出来た方がなにかとお得ではあるってwww なにが得なんだっけ??

ヒーハー(笑)

どこから話そうかな

とにかくまぁいろんな事があったり、いろんな人に会ったりして刺激的な日々を送っていました。

乳がんになってからままかをサボっているので(笑

後ろめたい気持ちで遊んでいます・・・

しかし、スケジュールはアグレッシブながら、本人からはなんかこうやる気が一向に湧き上がらない。

「ホルモン剤のせいかな?」と言うとタイ友が

「なにもしたくないの?」

「・・・ご飯作りたくない」

「あたしも~~~~~」

あれ?なんか普遍的なテーマでしたか?

作りたくないって言いながら狂ったようにスパイスを挽いてカレーを作ったりしています・・・

いいにほい~

来週はちゃんとブログも書くぞ!

娘が消えた日

この日は、オーストラリアから友人H君が遊びに来ていたので、お手軽観光に我が家の目の前にあるタラート(市場)へ繰り出そうということになった。美味しいタイのお惣菜をたくさん買って食べよう!

DVD屋、Tシャツ屋、サンダルなんかをひやかしなら進むとますます混雑した一帯に突入。お惣菜ラインへ流れ込んだ。ほどなく彪がちんこが痛い!と言い出し、え~?( ゚д゚ )なんでいま~?と責めてもしゃあない歩けなくなった彪をH君が抱いてくれた。夕暮れが迫り辺りは少し暗くなり始め人はますます増え、そこを子どもを抱いて歩くのは大変で、彼と少しペースがずれたりしていた。そして私の手は荷物でふさがり始めていた。子ども達は小さなイチゴシェイクに夢中で時々はっぱをかけられたりしていた。そんな最中でのことだ。

いつもの八百屋さんでいつもの野菜を買っていると私の周りには一瞬誰もいなくなっていた。ちょっと離れたところから「かあかん!ここにムーピン屋さんがあるよ!」と凛の声がした。「はい、そこにいて」と言いながらお釣りを貰ってムーピン屋さんで凛を見つけ、後ろから程なく友人と彪がやってきた。ムーピン買ってまた歩き出すと、そこで「あれ一人足りない」

何度見ても、百伽がいない。あれ。

大丈夫、きっとすぐ見つかる。ちょっと待ってて!と、串揚げ屋のお兄ちゃんの陣地にりんひょうとH君の3人を置いてもらって、走って百伽を探しに行った。きっと怖がっているだろう。でもまだかなり近くにいるに違いないからすぐに見つかるはず。しかし人が多くて前が見えない。思うように進めない。どうにか1周してみたものの、あれ、おかしなことに見つからない。

串揚屋に戻ると「みつからない?」と3人が不安げにしていた。

「よし、僕も探しに行くから2人はここにいな」とH君が言うと「やだやだ!」と凛と彪が慌てている。そりゃ今離れるのは不安だろう。で、凛と私、彪とH君、二手に分かれて、みんなで大きな声でモカを呼んだ。

大丈夫、百伽はここにしょっちゅう来るからみんな彼女の顔は知っているし、日本人は珍しい。

大丈夫、きっと誰かが泣いているのを見てここに座っていなさいと言ってくれている。

大丈夫、こんな小さなタラートで会えない方が難しい。

大丈夫な理由の方が多いにも関わらず、百伽は出てこない。

仲良しのソムタム屋さんにも、八百屋さんにも、さっき買ったイチゴシェイクにもいない。

耳をすましても、泣いてる子どもの声がどこからも聞こえてこないのが、本当に恐ろしかった。

子ども泥棒が来るから、気をつけろって言われていたのに。

いくらここで知られてる子でも、さっと担いで車に乗せたら誰も気付かないかもしれない。

泣き出す前に口を塞がれたら・・・

日本人だから前から狙われていたってこともあるのか

どうしても足がだんだん早くなる。

私の様子に、凛が反応する。

「どうしよう、大変なことになる。大変なことになるよ」と凛が声を出して泣き出した。

繋いでいる掌にぎゅーっと力が入った。

遠くから聞こえてくるのは「もかあああー!」と叫ぶ彪の声だ。

つまりあちらもまだ百伽を発見できていない。

まだ見つからない。なんで見つからない?

「もかーーーー!もかーーーー!」

3周も回ったところで「どうした?」と店じまいをはじめたおばちゃんが声を掛けてくれた。「おかしいね。警備に行ってみようか。ついておいで」と、歩きながら他のお店の人にも百伽の服装や年齢を伝えてくれていた。みんなうんうんと頷きながら、日本人の子だよねぇ。小さい子だよねぇ。と心配しながら聞いてくれている。

残念ながら、警備室は空っぽ。

交番も空っぽ。

おばちゃんが困って頬に手を当てる。行き交う人に知らない?と声を掛けている。

「もーかー!」凛が叫ぶ。

「もーーーーかーーーー!」彪が遠くで叫んでいる。

どうしよう

その時、肩を叩かれ振り返るとキレイなお姉さんが

「小さい日本人の女の子を捜してる?この子と同じ服着てるでしょ?その子だったらお家に帰りましたよ」

え?

「えーっと、泣いていて誰かが助けて、家に帰ってるわ」

え?

の、やりとりを3回30秒くらいやって、ありがとう・・・と、凛と走り出した。

「おばちゃん、家にいるかも知れないから見て来る!」

いつもは気をつけて渡る四斜線をどう渡ったのか覚えていない。

門番のお兄ちゃんに「もか帰ってる?」と聞くと「えーえ、帰ってますよ。3人で帰ってきた」「3人?」って思いつつ、中庭を抜けるとプールサイドに座って泣いている、百伽がいた!

脱力

私が百伽を抱きながら、あーあーあーあー言ってると、アパートのスタッフや住人達が集まってきて「百伽、ここでずっと座って泣いてたんだけど、どうしたの?」と、いやいやいやいやタラートでいなくなっちゃって。

「とにかく彼女は自分の家が分って、ここで泣いていたんだから安全だったのよ。それで良かったのよ」と、昨日今日子どもを生んだ新米マミーに受け入れよと諭され、うんうんと泣きそうになる。ハイ。ありがとうございます。

いやもう、なんともなんともなんとも言えない。ただ安全な所にいてくれて本当に良かったので、無事に帰ってくれるなら母はタラート100周したって構わないです。

「友達と彪がまだ探してるから行って来る」とスタッフに言い、凛と百伽に部屋に戻るよう伝えてタラートへ戻った。

すると、タラートの入口付近に人垣が出来ていて、覗くと中に我が息子が。

「デックデックプーイン、ハーピー、コンイープン、スアパームアンカン チュアイドゥアイ!」

つたないタイ語で人々に協力を要請していた。

みんな真剣に聞きながら騒然となっている。警備員さんに言おうよって言ってる輪の中に警備員さんがいるカオス。

・・・あの、ありがとうございます。見つかりました!

「ほお~~~~~~~~」と全員が安堵の息を吐いた。

「どこにいたの?」

「家に帰ってました」

「え?どうやって帰ったの!」

「誰かが道を渡らせてくれたみたいです」

「わーーーーっはっはっは、まぁいいや、よかったよかった」

人垣がいっせいに崩れた。

H君と彪にはすぐ帰ってもらって、私はおばちゃんや声を掛けたお店の人たちにも報告に行き

100歳くらい年を取って帰宅。

その日の夕食は買い物も中途半端だったので華やかさに欠けてしまったが、どうせ喉を通らないもの。やったら喉が渇いて水飲んでばっかで、飲むたびに「あ~~~~~」「あ~~~~~」って声が出てしまう。もう他の話題も浮かばないし。

当の百伽さんは、お風呂に入って着替えたらすっかり落ち着いて見えた。でもコロっと椅子から転げ落ちたり、父の膝にうまく乗れず落ちたりと、やはり興奮のせいで三半規管が少しおかしいみたいだった。

「ねえ、どうしてお家にたどり着いたのか、後でそーっと教えて」と言うと、ダメっうっふっふと笑っていた。

百伽が大きくなったってことなんだ。自意識が強くなると、単純に泣き叫んて母を呼んだりしないこともあるんだな。

特にプライドが高くて人見知りの強い彼女は、よく知ってる場所で迷子になった自分を咄嗟に恥ずかしく思ってしまっただろうし、H君にもかっこ悪いとこ見せられないから、すぐに大きなリアクションを取れず固まってしまったのでしょう。更にそれを上回る恐怖。日頃からは子ども泥棒に気をつけて、と教えられているから、それを思い出し迷子だと思われないように感情を押し殺し怯えてもいたでしょう。声を出さずに泣きながら、優しそうなお姉さん達に、家に帰るのを手伝ってもらったのでした。

おりしもその日は子ども達の合格発表だったのです。

英語はもちろん大事だけれど、タイ語もやらないといけないし、転校したほうがいいかなぁなんて思っていた時にたまたまタイミングよく試験の日がやってきて、とんとん拍子に全員合格。しかしさて、本当に転校するかどうしようかな~なんて贅沢なことを考えていた時。

こっちへ越してきた時は今の学校に通うだけでも大冒険だったのに、すっかり環境に慣れ新たに動き出す。その中に驕りや欲はなかったか?

戒められて、奪われるのか?と思うと本当に怖かった・・・

とにかくまずは、生きてくれていさえすればいい、と改めて思える事件でした。

ほんともうまじもうやめて('A`)

放射線治療 1

放射線の火傷様症状・・・いつ来るかいつ来るかと怯えながらの日参しております。

現在14回目の照射を終えたところ。昨日、照射時間がちょっと長かったし、ほわっと熱感があったので照射量がまた上がったんだと思うんだけど、それで帰って見てみたら四角く日焼けゾーンが出来ていました。ここで初めて討たれたことを知った小鳥━━(;゚Д゚)━( ゚Д)━(  ゚)━(   )━(゚;  )━(Д゚; )━(゚Д゚;)━━ですよ。ああ、ずっとなんちゃって放射線では?と期待していたのですが、本物だったようです。被曝した!

まぁその程度で、先人のブログのように真っ黒けになることもグッチャグチャになることもなくここまで来られました。噂ではラスト5回でぐっとくるとも聞いたけどね・・・(;^ω^)どんなに酷くなっても先生からOKが出るまで火傷も乾燥もかまったらいかんのですが、実はこっそり照射お休みの前日だけ、ヘンプシードオイル(安いやつ)を薄~く塗ったり、アレロック飲んだりしてます。←良い子は絶対に真似しない。照射は平日5日間連続が原則なので金曜日くらいになると、火傷というより病院に通ってる間にかく汗で湿疹が酷くなってくる。もともとアトピーだから必ずなるね。これを少しケアしちゃってます。大丈夫だよ月曜日まで薬やオイルが残ってるわけないじゃん!←良い子は真似しない。

私のズルばかりでなく、放射線のマシンがすごい進歩を遂げているから、と言うのは大きいと思います。

私が使っているのはIMRTってので←これのショッキングピンク。タチコマみたいなかわいいいヤツ。

まさに最新式です。

めっちゃボロいチュラロンコーンでボロボロになるまでこき使われてるピンクのタチコマ。

本日までの様子をざっくりまとめると、食欲旺盛、眠気倍増、足の倦怠感、頭痛、ぎっくり腰の前兆、坐骨神経痛の悪化と。

放射線の影響と言うよりは、体に照射位置をマーキングしているので消えないように小さく活動しているため(ここは病院に協力的なのおっかしいな)いつも坐骨神経痛を緩和するためにやっているエクササイズや早歩き散歩をしていない。ゆえに出てきている弊害が、足とぎっくり腰と、坐骨神経痛ですよ。頭痛はいつものだけど薬飲むほどでもなく、あれおっかしいなぁと思うのは眠気ですわな。いっくら寝てもねもい。しかしこれすら、今までお昼寝なんてしちゃいけないと思って暮らしていたのに、いいよ~ゆっくりお休み~という環境になったので、ねもいが開放されているだけかも知れません。まあしかしねみーよ。体重も変化ナシ。

なんか、いろいろあったのに思い出せないな←あれ?脳が?

あ、それも、いつものことだった。

抗がん剤やりません!

有象無象のガン闘病ブログってどれもこれも明るくて元気いっぱい。ガン気いっぱい!

で、そんなトーンに騙されて読んでると、急に死んでびっくりする

癌ブログの人は死なないように注意してください。

結構似たような人を見つけると自分となぞらえて読んでますから。

びっくりする!

さて、人の悪口はさておき・・・

問題のHER2ネガティブでした!!

ありがとうございます!ありがとうございます!

HER2が陰性と言うことは、抗がん剤を使いません。使っても効かないタイプのガンなのです。ここで徹底的に叩いておきたいという人は、「残念ながら・・・」と続くのかもしれませんがイヤイヤイヤ私はノーサンキューです。

実は陽性でも抗がん剤は断るつもりでいました。抗がん剤に対する不信感、再発予防と言うわりにはリスキーな副作用とその奏功率。どうしても乗り気になれない。再発したらフルコースも止むを得ないかと思ってましたが。

ここはかなり意見の分かれるところなので、完全復活してから大口叩こうと思いますが、ま、とりあえず、大手を振って抗がん剤は使えない!と決定しまして思わず診察室でもヤッター!と叫んでアンジェラアキを笑わせてしまいましたよ。

HER2の結果はクラビから戻ってすぐに出て、その2日後には放射線治療スタートと予定されていたのですが、連休挟んだので結果は出ず放射線は持ち越し。手術までの展開は異様に早かったものの、その後はドクターや病院の都合で後手後手が始まり、気付けば切ってから8週を過ぎました。日本では切ってから8週以内に放射線スタートが望ましいとされてます。望ましいくらいだから大丈夫だとは思うけど、その事に気付いていて遅くなってるんじゃなくて、先生が周に1回しか来ないから週刻みで事が遅れているだけなんだもの。

いつまでも出来上がらない保険の提出書類とか、いやもうほんっとに病院とのやりとりがうんざりし、ついに喧嘩しました。

もう乳腺外科のナス叱ってもダメ。誰も自分が怒られてると思わないからね。そしてたらい回し終了に決まってる。

なので、インフォメーションに乳腺外科に聞いて欲しいことをメールしたわけ。

そしたら無視。

はいはいはい、じゃあ言わせてもらうけどね~と超怖いメールを出しといた。

なんで知らんぷりするの!私は怒ってるぞ~~て。

1.明日までに書類を完璧に揃えること。

2.それから次回のために私の書類を完成させる人を1人選べと。それはナスでも通訳でもダメ。事務方の責任者を選びなさいって言ったった。

でなければ転院します。その経緯はあなたからドクターに伝えなさい。検体とカルテはすべて引き上げるので準備をしておくようにってね。

翌朝、甘ったるい声で電話が掛かってきましたよ。これから通訳さんに電話させるから取ってくれる?とか言ってさ。

で、その日のうちに結局通訳さんがやらされて書類の準備がなんとなったものの、で、誰かわたしの担当決まったの?と聞くと対策を練るのでお時間下さいと。

「私対策」を待つわたし。あ~これ逃げるなと思ったので、またかわいそうなインフォメーションに「いま外科で私の対策会議をしてるらしいから、誰が選任されたのか、あなたが私に報告するように」とダメ押しのメール。

すると外科が動いたもんだから強気のメールが返ってきました。「マダム、あなたが連絡を取り合うのは乳腺外科です。どうかお間違えのないように」と。へっ!ふざけんな!

「私はもちろん毎日乳腺外科とやりとりしていますよ。それが難しいのであなたにも協力をお願いをしてるのです。この問題は乳腺外科の問題ではなく、この病院のあり方自体の問題だと思っています。だからあなたは今後も患者の環境保全のために努力をするように」と締めくくってやりました。

そう、締めくくられちゃいました。乳腺外科は「だって書類はもうこれでいいんですよね~(困)」という態度だ。

ま、実際、ここから先はじいさんじゃなくてアンジェラアキが書類を書くのでサラサラ書いてくれるんですよ。だから問題発生しない予定ではあるんだけどね。と双方思っているから話が終わってしまった・・・。

しかしよく戦ったお陰で、すっごくナスが私を怖がって腫れ物扱いでよろしい。

タイ人だから来週には忘れてしまうと思うけどね。

先週から放射線治療が始まっています。

よりによって母の日がからんだので街中が母推し。娘からカードをもらったりもう泣けて泣けて(うそ)

0.2μSvで日本から逃げ出したのに、1日1回2.5グレイの照射を受けるわたし。

トータル50グレイは50000000 μSvだから、えーと・・・・

移住仲間が涙目になるのもわかります。

そしてだからって0.2μSvに何年も居住することがささいな事だとも思いません。

並べてみると数字は面白いからふざけてるけど、放射線の影響は未知数。避けておくに越したことはありません。

で50000000 μSv受けても私は生きて帰りますよ!

二度目のオペ終わりました。

で、リンパを切る前にですね、やはり知りたいことがどんどん出てきて「先生にオペ前に会いたいんだけど」とナスに申し出ると、当たり前のように「無理。先生忙しいから質問なら私が電話で聞いたのを教えてあげる。会うのは無理」とこうだ。

もうね、有名だかなんだかなのでナスがビビッちゃってまともに対応しない。

近いのをいいことに日参して懇願し、一番感じのいいナスを捕まえて「なんとか5分!」と予約を取りつけた。

どうして患者がこんな努力を・・・

しかし相変わらずのじいさん。陽気な顔で入ってくるなり「なに!?も~~~なんだって?」と目は笑ってるけど早く早くって感じでイラついてる。「先生、生検の検査結果を自分で調べて読んでみたんですけど、これで合ってますか?」と聞いただけなのに「あのねえ、これはものすごい信頼できる機関に依頼してるの。間違いなんかないの!」と「違う違う!これが間違ってるのではないか?ではなくて、これを私が正しく理解出来てるのか?っていう・・・」「なんでそんなこと知りたいの?知ってどうするの?知るべきことは、全部言ってきたでしょ?」と、デスクに鉛筆をポイッと放った、かのように通訳さんに鉛筆を投げた。そう、この会話には通訳さんが「半分」挟まってるんだけど、いや半分ってのは先生のスピードと怒りパワーがすごくビビりあがっている通訳さんが、まったく噛み合わなくてつい私が通訳さんを介さず返事してしまうとオロオロの通訳さんが引っ込んでしまい「あれ?」っと振り返ると目が飛んじゃってるので(´Д`) 「先生、私には小さな子どもが3人いるんですよ。なので出来るだけ今後の治療予定を理解しておきたいだけなのです」と、言うと通訳さんは「I want to know plan」って言った( ゚д゚ )

おいおいおいおいはしょりすぎだろうが!で、自分で言い直すという・・・

頑張った。通訳さんも私も。でもなにひとつ新しい情報は得られず、自分の希望も伝わったとは思えませんでした。

「お役に立てず申し訳ありませんでした」と頭を垂れる通訳さんの自覚症状に軽い衝撃。しかし「カルテを見たら入院が2日間ということは記載されていましたのでご安心ください」とちょっと朗報も。

今回2日入院すれば日本から保険で母が呼べるんす。緊急救援費用というね。これを使うと退院後の私と子ども達はすごく安心。

で、もうままよの気分でオペ当日。通訳さんは頼まず自分で保険の用紙を用意して病棟のナスに渡し、前回「ご飯何にしますか?」ってオペ直後の震える小鹿状態の私に何度も電話をかけてくる食堂に前もって翌日の希望メニューを書き出してこれもナスに渡し、お風呂に入って準備完了。ヒマ・・・と思う間もなく予定より早くじいさんが到着したのであっという間にオペ室へ隔離された。

先にオペ室にいるはずのじいさんがいない。前回は眠る前に手を振ってくれたけど、今回なかなか入ってこない。まさかお弟子がメスを握るんじゃないだろうな!と恐怖を感じるやいなや麻酔でコトンと落ちて、目が覚めたら脇の下がガンガン痛かった。痛いイタイイタイ痛いい~~~たいと言う私に、どのくらい痛いか段階表【】←こんなの、持って来た面倒くさそうなタイ人。後ろから2番目位の選んだら「おっ」と言いながら点滴のスピードを上げた。ら、またちょっと馬鹿になってそのまま病室へ帰ってきた。ベッドへ移される私にホルマリン漬けの崩れた梅干を「これ!」と得意そうに掲げるのでハイハイともう朦朧に任せて今日はカメラ取り出さず眠ってしまった。遠くが見えるような浅い眠りの中、よし食堂から電話かかってこないな、よしよし、、ふふふ。と、ふと、目覚めるとピンクのハートのクッションを抱えた天使?いえきれいなおばあちゃんが枕元に立っていた。実は前回も二人、朦朧としている私に「こんばんは。どうですか?ご気分は。私達、乳がんの方へ、サポートをしているボランティアです。私達も乳がんです」と枕元に天使が立ったのだ。しかし前回私はまだ癌確定してなかったのだよ!「せんせ~~い、誰か私に告知しちゃってますけど~~~まだ内緒のはずっすよね~~~」と心で叫びつつ「ワタシニハ、3人のオサナイ子どもが、イテ、ワタシハ、シヌわけニハ、マイリマセン、ゴホゴホッゴホゴホ」ってやって泣かしてやったわ。で、今日も来て下さりまた新しいハートのクッションをくれた。うちは子が3人だからもう1個どうにか入手せねば・・・。そこへ仕事を終えた旦那が顔を出すと、天使は帰って行きました。「あれ。新しいの貰ったの。今2個か。じゃぁあともう1個貰わないとね」せんせ~~~再発を予言してる人がいますよ~~~

翌朝から予想通り、というかなんというかメニューを出しておいたにも関わらず「ご飯何にしますか」コールが食堂から掛かってくるようになり、ナスに頼んでおいた保険会社指定の診断書は空欄のまま「いつものでいいかなと思った」と訳のわからない理由で返されて来て、オペ翌日から飲むはずの薬が届かず「飲むものあるよね?」と聞くと「あれは家に持って帰るやつだから」と、そりゃ持っても帰るけど今朝から飲んでなくちゃだめじゃないの???と思いつつ夕飯が終わり部屋でくつろいでいると「なんで帰らないんだ!」と進行役とナスが部屋へ踏み込んでくるという騒ぎに。2日入院が病棟に知らされていなかったのですた。

だからねぇ、わたしは自分の癌のことだけ考えていたいんだけどねぇ・・・

ハー!やだやだ。

「リンパはどのくらい切るんですか?」の問いにも「開けてみなくちゃわからないでしょ!ちょびーっとだよちょびーっと!」と、言って逃げ切ったじいさん。全然ちょびっとな気がしない痛みが今でも続いている。貰ったリポートには切除リンパ15個とあった。げげげ結構切ってるやんけ!これは~~痛いぞ。じいさんが「どんなに友達にエクササイズを勧められても絶対にやらないこと。歯ブラシしてもご飯を食べてもドライブしてもいい」とかわいくドライブのゼスチャ。「でもエクササイズはしないでね」と言われていたから必死で自分を大事にしておりましたところ、セカンドオピニオンで「???1週間経ってこれしか動かないの????」と問い詰められ「う~~~ん動かさなすぎて癒着してますよ」って( ゚д゚ )

慌てて動かしまくっております。でも、これはなかなか長い道のりになりそう。

シャワーの水滴が流れても痛い。二の腕の裏の皮膚が知覚過敏状態になっているのです。

じいさんに言っても「一ヶ月待つ!痛み止め出すから!」って

日本人はねぇ、どうしてこうなっているのか、どうすべきなのかを的確に知りたいのですよ・・・

彼と私のコミュニケーション問題は続く・・・・

そう!お陰さまでリンパに転移はありませんでした!15個も(無駄に)取ったリンパからは検出されず

よかったよかった!素直に嬉しい!

しか~し、私にとってもいっこ要の問題。

抗がん剤の使用をどうするかまたビミョーな所で再検査です。

HER2と言う値が陰性か陽性かはっきりしない。

これが陰性なら抗がん剤を使っても無意味なタイプの癌になれるのですがねぇ・・・

ちなみに放射線治療は絶対やります!

出会った時から、とにかく放射線や化学療法はやりたくないと私は言っていたのに「切ってから開けてから見てから」と言い包められ。でも今なら解っています。そう温存と放射線はセットなのです。いや何しろ超特急で来てしまったので、終わってから解ること多々。あーそういうこと。みたいな。こういう不意打ちの進行、日本だったら大問題だと思うんだけど、お医者様様の階級社会タイランドでは普通なんですよね。インフォームドコンセントがん無視。黙って俺について来い!ですわな。

だからと言って、放射線を拒否するべく全摘を選んでいたら、その痛みに耐えられたかどうか・・・

二度切ったとは言え、私はまだ最低限の傷しか負っていないのに、腕の自由を奪われたこの喪失感。

まだ諦めず自分でリハビリするけれど、どうにもならない部分は色濃く残りそうです。

乳がん闘病で訪れて下さった同志の為に、私のデータを晒しておきます。

★2015年7月 浸潤性乳管がん

乳房温存部分摘出後、リンパ郭清(エリア不明、リンパ15個採取)

センチネル生検なし

腫瘍サイズ 1.5cm 

エストロゲンレセプター 陽性(90%)

プロゲストロンレセプター 陽性(90%)

Ki67 20%

p53 陰性

HER2 +2

リンパ転移なし

ビミョーなKi67とHER2 www

わ~~~抗がん剤やりたくない~~!!!

HER2の検査結果はまた2週間後です。

その前に明後日から不自由な腕でクラビへバケーショーン!

ε=ε=ヽ( ゚Д゚)ノ 逝ッテキマース

タイ語でホームスクーリング2

さて、早いもので夏休みも半分以上終了してしまいました。

いま私の2度目のオペに合わせて母が来タイしています。なので私の入院中もタイ語OKやりますよん!

先週は、閉じこもってばかりいる授業にちょっと風穴を開けようと、チャットチャックマーケットに隣接しているChildren Discovery Museum に行って来ました。タイ語で話して!って言い続けても、うっかり気づくと親子して日本語。ギンちゃん先生の日本語は本当に上手になりました・・・。お昼は外の屋台で食べたんだけど、お店の人とのよくある会話にはそこそこタイ語で返事をするようにはなったかな。もっと単語も入ってるし、理解も出来ているはずなんだけど、初めて話す人はちょっと変な発音に容赦なく「へ?」と言って来るので、どうしても固くなっちゃうのですね。

翌日は、ギンちゃん先生のクイズ「何についてしゃべってるでしょうか?」のヒアリング・クイズで、普段はなかなか前へ出てこない凛之助が快進撃。ボケっとしてると私も聞き逃しがちな単語をばっちりキャッチしてるらしく、かなり複雑な会話を理解していました。惜しいかな答えが日本語www「えーっと、ベルト!」って感じで。でもそこはさすがのギンちゃん先生。「え~~~!すっごいわかったの~~~?」とあまり突っ込まずに手放しで誉めまくり。だんだん耳慣れてくると今度は彪之助が突然理解し始めて、最後は同点決勝になりました。

耳が出来てくると早いかもよ~。

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しかし授業自体は中だるみでだいぶズルズルダラダラし始めました。

最近は飽きたら、もうWii!でタイ語!

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体を動かしばがら口も動かすようにしています。これが横で聞いてる私によいww。

ぱっと言いたい簡単で的確な言葉を覚えられます。

ここを辛抱していよいよラストスパートです!

問題は百伽で・・・

知ってることしかしたくない女王様のプライドが邪魔をして、すっかり不良化。勉強してる間中、無駄な発声をして邪魔するので叱って部屋から出すと大泣き。戻って来ては因縁と、ヤクザですか?

しかしながらスーパーマーケットの試食お姉さんなんかには、誉められたがってタイ語で話したりなどしております。

やれやれ。

3人は保育園から今のインターまでほとんど初めて習う事を一緒にやってきました。英語もそう。

タイ語も同時に始めたのだし気にせずいつもの調子で同じ内容の授業を始めたんだけれど、7歳双子チームの精神年齢がグンと上がってるんですね。この辺りの年齢で2歳差はだいぶ違うのかも。百伽もいよいよ8月からは1年生。日本よりも8ヶ月早く就学します。そうするとお姉さん意識が高まってするっと気持ちが追いつくかな?