小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

不安

公園で遊んでいたら見知らぬ子がいたので「どこから来たの?」と聞いたら「福島」と言うではないか。とたんに子供達はわーっと声をあげ「放射能がうつる」と逃げて行った、と言う。私が生まれ育った船橋で起きた、非常に悲しく残念な出来事。

残念なのはその子供達もさることながら、これを目撃し市に通報した大人だ。

私が思うに、こう言うのは起きた瞬間にぐいっと首根っこを掴んでやれねばならない。そしてその福島の子の前で、大人は大きな声で言ってやらなければならない。「この馬鹿者め!移る?!ふざけたつもりか?どの口言った!恥を知れ」と拳固のひとつもお見舞いしなければならない。ショックで立ち尽くす福島の子のモヤモヤを大人が叱ってみせて解消してやらねば。そして逃げられる謂れのない事を大きな声で言ってやらねば。船橋の子には人の傷に触れることの恐ろしさ容易にからかえない事があるってこと教えなくては。もう、これは「ねばならない」でやらねばならない。その瞬間に!がっちりと!悲しい気持ちのまま福島の兄弟を帰しちゃだめだよ・・・。なのに、通報?

それを受け教育委員会は「みんな優しくしてね」と全小中学校にお達しをした。

お達し・・・・

きっとあちこちで同じ事が起きてると思う。そしてこれからどんどん増えるだろう。一度湧き出した差別を封じ込めるのはもう難しい。「封じ込め」られないとすると、大変だけど「向かい合う」しかない。

差別してしまう子の不安感も、差別に晒される子の不遇感も、解消の一助になることがあるとするなら「ヤな感じ」だった感覚を引き出してちゃんと「整理」して「考え」て「飲み込む」作業だ。そして他でもないその使命は「家庭」で遂げられるべきものだ。教育現場で「もし君だったら」と言うディスカッションをするんでもいいけれど、それも大事だけれど、ここはまず家庭の出番だよ。毎日子供と一緒に過ごす大人が自分の子供に自分の口で自分の考えを話し聞かせること。陳腐な子供らの感想なんか求めなくてもよし。親の思いは必ず子供にシンクロすると信じて。放射能に対する正しい知識を子供に伝える事は大事なことでしょう。しかし残念な事に人が誰かを差別する時、実は真相や真実なんかまったく関係ないのだ。誰かをいじめたい時はいじめのきっかけなんかなんだっていい。だから真実は必要で話の縦糸になるだうけれど大事なのは横糸の親の考え。それは恐らく子供に沁みるものじゃなかろうかね。それで世の中の流れや起きる事件を止められなくても、やりましょう。毎日みんな自分ひとりの力は小さいけど力を合わせれば~みたいなこと言ってるじゃないか。これも同じだよ。

せめて、自分の子供が誰かを攻撃する事のないように。

しかしそれは子供の世界だけのことじゃない。福島の人達はこれから長い苦労を強いられると思う。美しい応援メッセージに涙を流しドラえもん募金をする人と「フクシマ」と言う響きに思わず身をかわす人は、実は同じ固体だ。だいたい放射能で差別をされるなら、もはや日本国民全員が対象なんだよ。こんな小さな国で起きてる事故。外人から見たら全員同じ。「ニホン」と言うだけで宿泊拒否間違いなし。世界一の危険国!立派な渡航禁止国!

誰だって外へ飛び出したとたん被差別者になるのさ。

みんな同じ立場だってこと、忘れないで。

旦那さんが外国人なので夫婦で義親元に疎開したら「私に会う前に体を洗浄して来い」と義母に言われてショックで悲しかった、と言う話を聞いた。放射能が病気のように移ったりしないのも真実だけれど、疎まれる程恐怖されているのも真実なんだよね。どちらも受け止めなくてはならない。しんどいね。しんどいけれど、「シャワー浴びてから来たよ。突然来ちゃってごめんなさい。でも寄せてくれてありがとう」と相手の恐怖を包み込む程の笑顔で言えるようにならねば。そしてせめて日本人同士はそんなの不要で!阿吽の呼吸で仲良くやってこうよ・・・。

ああ、私は本当にがっかりしている。

アホな子供らにではなく、何かが始まっちゃってるこの感じが。

とてもとても心配している。

ハードの復興以上に大変なのが、この痛んだ国の人達の心の治癒成長なのだと思う。

本当にがんばろうよニッポン。

どうかみんなアタマおかしくならないでニッポン。