小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

大阪2児遺棄

知れば知るほどつらいので、もう見ないでおこうと思いながら 彼女の事をもう少し知りたいと思い、ニュースをクリックして しまう。 遺棄された二人の子供は3歳になろうとしているうちの双子 と1歳になろうとしている下の娘と丁度同い年。リアルにそ の温もりと肉塊が床に転がり、私に触れ泣き笑う。重ねれば ぞっとする程むごく、痛ましく、胸が痛い。 どうしてそんな事が出来るのか。 そのニュースを知ったばかりの時には、死んでしまった子供 達のその様子を想像する度にいたたまれなくなり、本当に いったいどんな人間がそんな事をしたのかと腹が立って仕方 なかった。そしてそれから数日経ち、ネットでもテレビでも その鬼母の顔を見る事が出来るようになりその生い立ちや、 事件までの生活ぶりを知るようになった。 もし私なら、と考えてみる。 私なら。 たぶん、私も狂かしくなると思う。 去年まで、どこにでもいる普通の若い母親でそれもきっと 結構幸せで、子供はかわいくて二人も作って。だけどちょ っとしたボタンの掛け違いで今年は風俗嬢だ。 性に対して能動的で、意識的にその職業に臨んでいるなら、 またはそれはそれは大きな覚悟と強い意志を持って子育て の為とすっきり割り切れているなら、狂わず済むかも知れ ない。そう、世の中には風俗で働きながらしっかりと子育 てしている人も大勢いるのだから。でも同じくらい、自分 の心と体のバランスが崩れて自分が痛んでしまっている人 も多いと思う。私は風俗で働いた事はないけれど、生活の 為にそれをするなら、きっとつらかろうと思う。 保育園に預けるとか、ベビーシッターを頼むとか そう言う知恵が回るところに彼女は生きていなかった。 それを「馬鹿」と呼んでも良いかも知れない。が、自分の 「馬鹿」なところって自分じゃ気付かないところなのだ。 救われる道も妄想してみる。 もし近所におせっかいなおばちゃんが1人いて「見てられ ないよ!」と声を掛けてくれるとか、大阪に移り住む時に シングルマザーともう判ってるのだから、差し出がましか ろうが承知で「生活はどうされますか?もしお仕事をお探 しならお子さんの保育園の申請もされますか?」と一言聞 いてくれるとか。 ちょっとちょっとちょっとちょっとしたことで 変えられなかっただろうか・・・ そう、多くの悲しい事件に対して人々はそう思い、願う のだが、希薄な人間関係って言うのは変わる事がない。 人間関係が希薄な都会だからって、人間性が希薄なわけ じゃない。きっとその幼子の声を聞いてしまった人々は 激しく自分を責め傷ついていると思う。「通報」しただ けで何が変わるかなんてわからないが「通報」って結構 勇気のいることだよ。例えば1人暮らしの若い女の子が それを思い行動に移したら、きっとかなり踏み込んでが んばったと思っていいんじゃないかと思う。多くの人が 通報し声を拾い上げようとしたのに、残念ながらその勇 気は実らなかった。優しい人たちは実らなかった事で更 に自分を責めてしまっているんだろう。 子を置いて、扉を閉め、戻らない。 それだけで子供は死んでしまう。暴力などで積極的に手を 下さなくても、ほんの数日あればあっけなく死んでしまう。 判っているが、解っているが、分かっているが。 子供を産んでしまった以上、どんな風にかは別にして 失ってしまう可能性も同時に持ち合わせている。 それが自分の手によるものではない、とどうして断言 出来るだろうか。 救わなくてはいけないのは、子供だけじゃない。 子供はどんなに酷いお母さんでも、お母さんが大好きなんだ。 はなから全てを許してるんだ。 だから、お母さんを救わなくちゃいけないんだよね。 その子が大好きなお母さんは、大好きになっても悲しくない お母さんでなきゃならない。 虐待する親を、本当に憎いと思う。 その子がその馬鹿親を愛している分だけ憎いと思う。 憎いが、憎い人ほど救われなくてはならないのだろう。 殺すくらいなら生かしたまま捨ててください。 お母さんが産んだかも知れないが、産まれた瞬間から その命はその子のもの。誰にも支配出来ないんだから。 「お母さんの事、嫌いになってもいいんだよ」 「もう安心して良いんだよ。たくさん食べて眠っているうちに あんな酷いお母さんの事なんか忘れちゃえばいいんだよ」 そう言ってやりたい。 しかし、言ってやりたいのは私の勝手で、そんな事誰も求め ちゃいないんだよなぁ。 誰もがいつ狂かしくなるか判らない。私もわたしも。 でも、それまでは大事に大事に大事に大事にしよう。 優しく慈しまれてまぶしい命を、狂かしくなる前に思い出せ ればいいなと思う。一緒に生きている事に自覚的でいよう。 そして最後の最後に思い留まれる力を蓄えていこう。