小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

人権と性(生理中のプール強制問題について)

毎日私のTLをにぎわしている、学校が「生理でもプールに入れ」と強要する問題。

もし見学を希望すると厳しいペナルティが課される。

 

ほんと気分が悪いんですよ、この話題。

 

驚くほど幅広い年齢層、日本各地で湧いて出る恐ろしい事例。もういやだ、これ早く終わらないかなぁと思う一方で、これこそすべての差別を濃縮して人の尊厳を傷つけている悪の根源が透けて見える大テーマだなぁと思うのです。だから面倒臭いんです。

で、続けますw

 

 

衛生的な観点からこの問題を語ると「塩素濃度を上げましょう」てな日本らしい対応で幕を閉じそうに思う。実際、衛生的な問題は今迄発生していないというエビデンスは少なくとも30年分ぐらいある(って言ってくるだろう)し、そっちじゃないんだ。

 

これは人権問題。

 

 

 

 

 

まじめにNO WAR。さんのTLにたくさんの事例が並んでいまして、同じ様にナプキンを証拠として見せるように言われた娘さんのお母さんからのツイートもありました。 

しかしその方のアカウントは現在閉鎖されており、きっと個人が特定されたり騒がれたりしたら困るのは娘さん!と思われたのかもしれません。しかしナプキンに付いた血液を証拠として見せるって、それはもう然るべき道筋をもってきちんと話し合うとか、そういうレベルの話ではございません。

 

 

 

 

 「嘘をついて水泳を休もうとする女子がいるから」これたくさん出て来ますが、さて、私からすると「見学希望者が嘘をついているかも知れないでしょ」ってさらっと言い放ったそれ自体がもう差別ですよ。子どもは愚かで嘘をつくというレッテルです。だいいち体育を休む理由がなんであろうと教師と言う他者にとってはどうでもいいことであるべきなのよ。体育は、体の事情と言う大変なプライバシーが絡む授業です。理由を聞くこと自体がナンセンス。どうしても聞きたいなら教師こそがそれ相応の態度で臨むべきです。もし体育が健康管理も学ぶものなら、自ら体調を管理できるようになることが望ましいですよね。私もどっぷり日本の学生でしたから「きちんとした理由」や「親の一筆」などを駆使して見学していたと思います。でも、こちらのインターでは「先生、今日やらない」と生徒が申し出れば「どうした調子悪いの?」これは理由を尋ねているのではありません。「何かやりたくない要因があれば対応します」という意味です。人間同士の会話が成立します。もし欠席が続いて、成績表をつけるときに材料が足らない場合はN/Aです。成績がつかないという事実。評価対象外です。今後の進学に差し障りがあるかもしれませんが、それは本人が決めたことです。ペナルティではありません。

 

 

 

あなたの体を、痛みや悲しみ恥辱を持ってコントロールしようとするものに、屈してはいけませんよ。こんなこと自分にさせてはいけないと知って下さい。わたしもいろんなことを我慢して大きなものに従って怖がってきました。それはよい子はよく従う者だと思い込まされてきたからでしょう。でも本当は声を押し殺して我慢する強さよりも、No!と思ったら、勝手に体が動いてしまって、手を振り払い、突き飛ばしてしまっていいんです。まだ大人になれない女の子達にこんな荷を背負わせてしまって、大人として申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、自分の尊厳を守ることは闘いです。いやだな、恥ずかしいな、つらいなと思ったら、単位や内申書よりも自分のことを大事に思って下さい。間違っても敵は平気でサボってペナルティーを重くしてるヤンキーではない(ヤンキーとは手を携えるべき)。敵は、その意地悪を思いついた目の前の大人です。

  

 

 

この新人女子社員にも、人事の男性を突き飛ばしてでも部屋を出て行ってほしかったと思います。「もう少しだから」と押し切られてしまったのは、自分の尊厳より会社のルールを選んでしまったという事だから。「どうしたらいいの」「誰か助けて」そう思っても絶望しか待っていないのは、自分しか知らなかったはず。自分でしか自分を助けられないんですよ。

 

 

子どもの時に受けた性教育の授業を覚えています。

「それでは性交の様子を見て見ましょう。これは犬の性交です。」

 ★ファンシーな画像

「次に人の性交です」

 ★画像なし

!?

「わかりましたか、生理は恥ずかしいものではありません」

ちょっと話しておしまい。ひと仕事終えて先生は放免。

 

恥ずかしいものではないという言葉で恥ずべき事だと知らされて、実感の伴わないアメーバがごにょごにょしてるスライドを見る。今でもそんな感じなんじゃないだろうか。

 

近い将来あなたは恋におちるかもしれません。愛と欲とが区別つかなくなって、苦しむこともあるけれど、相手の為にどうしたらいいのか一生懸命考える。性はひとりひとり性格の様に違う事。愛する人の性の個性を知り、尊重する。相手の体と心を慈しみ、パートナーシップを育むこと。幸せでいるために工夫をし努力が出来るそれが大人。

大人になるって素敵なことよ。楽しみにして!

って言ってあげたい。性教育はそうあるべきだ。

 

オタマジャクシのマラソンを見たり、生理のメカニズムや周期について詳しく男子に知ってもらうのも悪くはないでしょうが、それを男子に叩きこまなくても、困ってる人に手を差し伸べるのと同じ距離感で誰かを助けたり察したりすることは出来るはず。いい年をした男が、困り切ってついに事情を説明している女性に対して我慢を強いたのは、小さな個人より迷わず規則を順守することを選んだから。そう別の体を持つ彼はその絶望を察する事が出来ない。それは性差の問題ではない。想像力の問題。人を大事に出来るか否かそこだ。

 

「生理」と言う避けがたい生理現象。まだ子どもの中高生が、女性であるが故の仕打ちを受ける。生理や性を、疎ましく面倒で汚らわしいものとして認識する。

 

なんてこと。

 

男の子がつらそうにしている女の子に「でもそれって病気じゃないよね」なんて言ったとしたら、それはいつかどこかで仕入れてきた言葉ですよ(体育教官室とか)。女の子が女性であるがゆえに屈辱的な扱いを受けている。それを毎日見ていれば格下の生き物のように感じるでしょう。弱くて逆らわないかわいい女の子が人気になり、支配し快楽を感じるようになる。性教育をきちんとしないと変態になるというより、大人が日常から人間の尊厳を最優先して事態に対処していないことが問題なんだと思う。子どもの時からそれを見せられている男子の人生だって尊厳だって傷つけられてるじゃないか。そしてその屈辱を与えて来る大人自身も、実は尊厳など与えられたことがなく、知らないんです。なにそれおいしいの?です。

 

満員電車、痴漢、ブラック企業、自殺、幼児虐待、いじめ、差別 etc

どれも根っこは同じ。

 

もう我々の尊厳はすでに死亡しているかもしれないけど、これからの子どもは凛として、自分の体や心を周りなんか気にせず、単位や評価くそくらえで闘ってほしいんだよ。そして自分を幸せに出来る人に育ってほしい。自分と同じくらい周りの人にも優しくして欲しい。

 

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学校だろうが、家庭だろうが、大人の仕事は

「ひとりの人間を大切に扱う様を見せ続ける」こと。

人権教育と性教育は言うまでもなく繋がってまぜこぜで同じものです。

あなたは最高で、尊くて、素晴らしい。

学校の先生が子ども達に、なんべんもなんべんもそう言ってくれたらって思います。