小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

終わったかのようなってことは、終わってないってこと

世界の終りみたいな日々が続いていますが、みなさんお元気ですか?

終りが続くってなんだか変だけど。

 

学校がオンライン授業に切り替わって3か月、とにかく毎日皿ばっかり洗っていて落ち着いて文章に向き合うことが出来ませんでした。いやぁ世界中のお母さんお父さん、お疲れさまでした。暇だったんだよね?体も使わないし。なのに毎日なんだか疲れてた。そう楽ちんポイントがいきなり違ったからねぇ。そしてこれに慣れてしまった今では、元の生活もかなり面倒くさい。なんなん。

 

さて通学再開で、ようやく自分を整え中です。

 

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 ロックダウン明けのシーコンスクエア

 

 

ちょうど1年前くらいかな。

ツイッター内である話題が沸騰して、私のTLは噂と疑惑でいっぱいになっていた。私はその問題とまったく関係ないながら、その方と個人的に少しお話したこともあって足の先っちょをちょっと入れてしまいけっこうな痛い目に遭ったw。余計なことに首突っ込むからだ、と言われてしまえばその通り。だけど自分の中で違和感が湧き上がったら、それはもう私自身の問題だからな。正義漢ぶって庇ってるとか、認識が甘いとか言われたけどそうじゃない。逆に一般的な正義感なんてクソだと思ってるし、甘いなんて上から目線のさ、そういうの好きじゃないってだけだ。

とにかく「自分から見えてる側面だけで誰かを断罪してはいけない」と言いたかった。人には必ず自分からは見えない部分がある。そこを想像しないで誰かを責めてはいけない。もっと言えば、その人が殺人犯だったとしても、Twitterなんかで私たちが誰かを裁ける気になんてなってはいけない。ただのツイ廃、神様でも裁判官でもないのだから。多くの人が言葉の石つぶてを投げていた。小さなひとつぶ、だけどたくさんの小さなひとつぶ。あの優しそうな人が一緒になって笑っていたり、あの誠実な人が前からおかしいと思っていた、なんて言いだす。たくさんの笑いを交えて広がる声は、本人に直接向けられたものじゃない。ただの噂だ。そう誰もがただ噂をしているだけの気軽さで、永遠に消えない言葉を連ねていく。でもそれ、その人からも見えてるのよ。「やめなよ!」って叫んでいたら、戦の波動に負けたフォロワーさんたちがTwitterから去っていった。私が流れ弾に当たった衝撃は、それを見てた人たちまで貫いてしまったのだ。

その顛末をスクンビットのシャレオツカフェで友人に話したところ、ああでも、それってたぶんダメなやつよと、さらっと返された。

 

自分の違和感とか当事者性とかそういうあなたのこだわりの話はさておき(さておかれる)そもそもその、そもそもその話題そのものがよ、疑惑ほぼその通りだろうねと、思います、と言うのだ。なにを!!となる。そうここでも私達がいくら話したって真実を確かめる術はない。ただ私はその友人が私に悪意をもっていない事を知っているし、彼女がそう言ってる根拠事態は否定できないと思っている。その安定した関係の中でなら、どんな話も耳心地は悪くない。「ああなるほどね」「でもそれはさ」「ああそういうことね」「でもそれはさ」とお互いが詰め寄っていく。彼女は言った。

 

「私達はこうして顔を合わせて話ができるから大丈夫よ。違和感はちゃんと調整すればいいの」と。

 

うんそうだねって帰ってきた。

それがさ、最近とみにその言葉がじわじわくる。ほんとそうだなって思って、もうあちこちに受け売りしてるw

 

ロックダウンして仲の良い人たちと会えなくなった。たった三ヵ月のことだし私はひとりでいるのも大好きだ。いつも私を不機嫌にして頭をかき回してくるのは他者なのだから、誰にも会わない私はおおよそご機嫌。ノーダメージ✋である。けどね、たまに友達とご飯食べて、ちょっとした話をしてた元の世界では、自然に調整が入ってたんだよね。あれとても大事だったんだなと改めて思ったんだ。その人の声でその人の言葉の選び方で、手触りを感じながら。気兼ねなく気になってる話題をふってみると面白い意見も違う視点も、不快なく入って来る。リアルありがとう。

 

私もよく怒ってるけど(たいがい日本政府やヘイトにですよ)誰かにその声を届かせようとするとどうしても声はでかくなるしインパクトある言い切り型140文字を書いてしまいがち。特に主語をぼかして言ってる場合、前に向かって叫んでいたらまさかの後ろの人がうなだれてたりして。放った言葉が誰かを射ったらもう消えない。決定的な言葉は、今までの私とこれからの私を絶縁し切り取って、独り歩きをさせてしまうだろう。同じ様に、いつも温かかったあなたの笑顔も優しい声も、切り取られた断片となって、誰かの脳内で思わぬ姿に変換されてしまうかも知れない。そう言いっぱなしの「個人の感想140文字」は、おおよそ調整不可なのだ。

 

それでも、私は今日も140文字と格闘する。

3.11よりもさらに細かく分断されていくように感じる昨今。あっちこっちで行き違いの話を見ては、え?え?ってなってる。今はね、まるで濁流の中にいるみたいなんだよ。だからね、思うんだけど、今まさかこの人がそんな事を言うなんてってことがあっても、絶望しなくていいんじゃないかな。その言葉が出てしまう背景もあり、思い違いもあり、気の迷いもあり、売り言葉に買い言葉だってあるんだもの人間だもの。私が知ってる今までその人がどんなことに尽力してきたのか、思い出して見守るってのはどうですか?私がしでかすことも多々あるので、ぜひ待ってやってくださいw相手に興味を失って去って行くのは自然の通り。だんだん離れていく人を追いかけようとは思わないけど、もしその失望で傷ついてしまったなら、どうか言ってみて欲しい。たぶんそれ傷つかなくても大丈夫だと思うから。それが調整よ。文字では難しいよ。でももともと信頼していた相手ならいけるかもしれない。大事にしてることが同じだったはずの人は大丈夫じゃねえかな?私達はもっと分かり合うことが出来る。大事なのはお化け(妄想や絶望)にやられないことだ。そもそも敵などいないのだ。

 

でもさ、一番かっちょいいのは、手触りが感じられる言葉を、切り取られても自立して歩いていくそんな言葉が書けることだな。そう140文字には可能性もいっぱいある。短歌だ俳句だ都都逸だぜ。

 

・・・いえ、、、ただの、、、、、ツイ廃かー(;´Д`)?

 

なんて、考えていたこの3か月でした。

 

 

では、近々にプチ留学がらみの話をしたいと思いまーす。