小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

その偽物は、本物ですか?

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Sex Robbots and Us を観て。

 

私はロボットが好きだし、クオリティとかリアリティとかって話には目がないので、思わず引き込まれて最後まで観ました。終始、興味深く。

 

1.現実と妄想の区別もつかないのか。

2.こういうもので発散できなくなったら生身に手を出すぞ。

 

二次元表現に寛容な人々がよく口に出す言葉です。

 

1.区別くらいつくわカス。

2.お前の脳は梅干し大か。

と、即答してきました。

 

でもVTRを観ながら、そういう単純な問答では片付かない時代になってしまったのだなと思い知りました。 

 


Sex Robots and Us (Full Documentary)

 

 

まず、孤独がすごい。

世界中が孤独。

特別な関係の相手もおらず、思いを果たしたい人もいるだろう。なんらかの事情で、生身の人間と関われない人も。そして自分の嗜好を他者に向けることが出来ない人も。相手が必要なことは容易には叶わない。だから必要な物なのだ、というのもありなんでしょう。そして出来ればセックスをするのにそんな事情いっさい考えたくない。好きな時に好きなだけ。それを叶えてくれるのがロボット。すべての煩わしさからの解放だ。いつも同じ態度で優しく接してくれ、うるさいことを言わず、何でも受け止めてくれる。人間には求められない無茶な要求までも!

 

解ってくれる!

受け入れてくれる!

 

でもその無茶な要求は、人間に向けて沸いた欲望で、人間にやりたかったことじゃないのか。いつも同じ態度で優しく、うるさいことを言わないで、解ってほしいという欲望は、人に向けられたものではなかったか。

全ての煩わしさから解放されたかったのに、セックスというものそのものが、ヒトの気持ちを追求する行為だったのだと思い至る。

まるで鏡の世界だ。

 

人の欲は闇だ。

溢れんばかりの孤独がうずまく闇だ。

 

想像だけど、購入者はロボットに優しく接するのではないかと思う。

ドール愛好者はすでにメディアにも登場している。

ロボットに出来ないことは愛を返してくれることだが、皮肉なことに、永遠に愛で結ばれることの出来ないロボットだけが人の身勝手な愛に寛容だ。

 

 

プレゼンターが子どもサイズのロボットを見て涙を流したことを、すぐに共感できなかった人は多かったのではないかと思う。あらゆる欲望が手に入る東京やバンコクで、この手のものはもはや、人を売ってるわけじゃないからましな方。とも言えるだろう。しかしよくあることだからいいってわけじゃない。

幼いボディを発見した時のプレゼンターの感情をもう一度想像してほしい。

私はここでその感情をどうやって文章化しようかと小一時間悩んだけど、適切に表現できなかった。動揺、は感情じゃないけどやはり適していて、あれを見て「ああ!」と思うんだよ。あまりにも残酷でむごいことなのだよ。

 

例えばこれが自分の子どもにそっくりのロボットで、それが買われていったとしよう。本人じゃないのだからと、我慢が出来るだろうか。

あらゆるエロコンテンツに自身の性が多用されることに慣れすぎて、私自身が女であるのに、等身大の女の形にはまったく驚かなかった。人によっては首のない子どもの形でもピンと来ないだろう。でももし、それが自分の子どもの形をしていたら?

日本人はどの国の人よりも肉体にこだわる民族だと思っている。どんなに遠いところでも墜落事故があれば、故郷に肉体を持って帰ろうとする。死んだら魂になって故郷に帰れる国とは、違った概念があると思う。腕の重さとか、肌の質感とか、髪の匂いとか、日頃私たちが五感で感じている体の具現化。きっと日本人はすごいクオリティで作り上げるだろう。私たちはきっとロボットに心を寄せることが出来る。

あのスピルバーグのAIみたいに。 

 

フィクションとノンフィクションの境目はどこか。

妄想と現実の区別もつかないのか、と堂々と仰る方は、笑いながらロボットを殺すことが出来るのか?目の前にあるそれが偽の命だったとしても、そこからあらゆる感情が引き出される対象である以上、自分の感情はリアルなのだ。目に見えないが、現実としての情が発生する。

ボコボコに出来るロボット、サンドバックロボットも欲しいな、という意見も目にした。そんなことをいう奴はもう終わってるし、そんなやつのために便利なコンテンツとして暴力が産業化されていくのはまったくもって不快。命があるとかないとかどうでもいい。痛めつけられたり壊されたりする様を見たくはない。

同じように、その幼い体が引き裂かれる様を容認できない。現実の子どもと縁を切って冷静に見ることも出来ない。本体は痛みも感じず死にもしないからこそ安心して子どものロボットを買うという人もいるんだろう。しかしそれを買う人が本当に一番したいことは、生きた本物の子どもを愛し愛されたいということだし、永遠に叶わないその欲望を再認識することになる。だから犯罪が増えるかとか、ついに生身に手を出すかどうかは、個体差のあることだからわからない。ただ、すべての煩わしさから解放されるために命のないロボットと交わるのに、愛とまったく関係ない世界になんかいけない。

だいたい、愛と関係なくやりたいことが出来る人は、もともとロボットなんか要らないのです。もう人間でやってます。

 

胸糞の悪さや怒りというよりも、かなり悲しい。

孤独と欲の闇の深さが怖い。

そして、私たちのリアルの輪郭など、実に曖昧で壊れやすく頼りないことを知った。本物そっくりなフェイクがリアルを連れてくる。妄想と現実の境目などもともとなかったかのように。この市場はすごい。ますます求められ確実に大きくなるだろう。

人が人から逃げれば逃げるほど、求めていることを知ってしまうパラドックス。己の闇がますますむき出しになってしまうという不条理に痛んでいるうちはまだいい。今の私たちのようにいつか人は必ず慣れる。その時、どうなるんだろう。

 

ロボット大好きなんですよ。

便利とかすでに死んでるとか思わないで、ロボットも大事にして下さい。

これね、ないがしろにしていい都合のいいものを求める下劣さなのですよ。それがちまたに溢れかえってて、これはその一部。

結局、人が人を大事に思えるかどうか、そこを問われているのではないかな。

だから、超危ういと思っている。

 

いま湧いたんだけど、あの小さなサイズのボディを見つけた彼にシンクロするとね「戦場の死体の山から子どもを発見してしまった時」の「ああ!」にとても近い。どうしてこんなことにと。あってはならない事実、償いきれない懺悔、贖罪。

さらに、脳裏をよぎったのはクローン羊や人豚ハイブリッドなど。欲望を弄くり回すことは、別の命で人の命を補ったりする事と同じ。神の領域への踏襲だ。命も欲望も、なりふり構わず全てをコントロールしようとする今、私達はどうやって産んだり育んだりしていくんだろう。

私は自由な表現を好むし倫理的な人間でもない。でも胸に一瞬の痛みが走ったことをよく覚えておきたいと思う。たかが空っぽの体の事だが、そこには何かがぎっしり詰まっている。