小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

ヒプノセラピー体験記

長らくご無沙汰をしていました。

こんなに長文を書かない日々が続くとは思わず。書けないって程でもないので書かないんだと思うけどw 

相変わらずホルモン剤の後遺症もたいしてないくせに、安定のやる気なさ。

誰かに誘われると脳内で「No!」のプレートが出まくりです。そこをリハビリと思ってなんとか出掛けてしまえば楽しいんですけどね。(誘って下さっているご友人各位リハビリと言って申し訳ありません)

その延長でブログの更新も滞っています。いいの。今はそれでいいの!

と思えればそれでまったく問題し。なのに、生産性の低い自分をやはりいつも責めてしまう。

しかし気付いて! もともと生産性なんてなかったよ!

そんな私が、最近ヒプノセラピーとご縁がありました。

私はとても自意識の殻が厚くて固くて催眠術なんて絶対かからないタイプだと思うのです。セラピストさんにもそう伝えました。

「いやいや全然催眠術じゃないんですよw」

どういうこと?まぁやってみればわかるねと。

ふむふむ確かに、目はつぶってるんだけど意識はしっかりあるんですよ。

その状態で自分の頭に浮かんだ風景や言葉をセラピストに伝えます。

はじめのうちは何か浮かぶか?と聞かれたって何も浮かばないし、無理に思い浮かんだ絵は口に出すのがはばかられる稚拙なもの。

私のセラピストさんは、本田由美子さん。

セッションの前にこう言ってくれました。

「思い浮かんだものがどこかで聞いたような風景やストーリーでバカバカしい感じがしても気にしないでくださいね。考え込まずに見えてるものをすぐにそのまま言って下さい。とにかく楽しんで!」

バンコクで開業されて間もないサロンですが、由美子さんはとにかく柔軟で会話を裏切らない。いつ会っても包容力を感じる大人の女性です。

「思い浮かんだものを言葉にする」という作業をひたすら続けていると、いつの間にかすっごく集中してるのです。

由美子さんに伝える。分かりやすく伝えなくちゃと思ってとにかく喋り続けてると、目を開ける事が出来ない位自分の中に潜り込んでいるんですね。

予想外に、私は名ダイバーでしたw

目を開けたら3時間位経っている!

そこで私が目撃した前世の物語は、今生きていくヒントを得るために用意されたものです。

すべて自分の脳みそから出たものなのですでに知っていると言えば知っていること。

由美子さんも「忘れてしまっていること」とよく言います。

ストーリーのディテールも顕在意識で気にかけてる事や思い癖みたいなものがすごく影響してると思う。

でもきっとその細かいことは何でもいいんだと思うのです。そのストーリーの中で生きている過去世の自分を見て思う事。過去世の自分が語る事。なぜこの話が湧いたのか、物語の骨子を受け取るのです。って、自分に起きた不思議な体験をどうしてもこうやって分析したくなるのですが、その事にもあまり意味はないのだそうです。

顕在意識に頼って暮らしていると、目に見えないものを信じなくなる。

不思議な事はどうにかして納得いくように分析したくなるんですね。でも考えなくていいんですよ。それはそのまま受け取ればいい。放ったらかしといていいんですよと由美子さんは言う。

私は顕在意識の塊ですから、ものすごく難しい。分析した~~い。

放ったらかしにするのがなんで怖いんでしょうか。見えたものなんて、自分にしかわからないのに。

セラピストさんにすら映像は見えてないわけですから、なんだウソばっかり!って言われる筋合いもないのですよ。

ヒプノセラピーは霊的なものでなく、瞑想に近い様に思います。

しゃべる瞑想。

私がなぜセッションを受けたかと言うと、こんなに生活習慣を気にして生きてきたのになんで乳がんになったんだろうとどうしても腑に落ちず、まったく別のアプローチで考えてみたくなったのです。

今の所2回セッションを受けています。

最高に深くダイブした私の最初の物語は、とてもとても悲しく恐ろしく、また温かい話だったけれど、あまりにも現実の自分の考えが投影し過ぎていて人に話しづらい。だけどそこに登場した小さな女の子は今でも心の中にいます。

完全燃焼。

まじ燃え尽きてケツの穴まで大公開したのでもう次のセッションのことは考えられなかったし、由美子さんにも「篤子さんはわかってるからもういい」と言われていました。

しかし次のセッションは「癌に直接なんで癌になったのか聞いてみる」というまさに私のテーマ。

そのモニターとして抜擢されました!

癌子ちゃん←漢字にすな! ガンコちゃん、と名前を付けられたマイキャンサーが語ります。

そうそう。自分の病気を知るヒプノセラピーがんこちゃん編で見られるのは、前世に限らないそうです。自分が癌になるきっかけになった場所へ戻っていくので、現世での人間関係や環境が出てくる事も多々あるそうです。癌なんて10年前から出来はじめてるって言いますからね。

まずは自分の乳房へ降りて行く。

私の乳房の中は、真っ暗です。

深い深い地下に続く階段があります。階段を下りて行く途中に、アラブ人の老人が小さな机に向かって意味のない本を読んでいました。門番なのかもしれませんが、特に接触してくる様子はなく更に私は降りて行きます。ついには石造りの牢獄へ辿り着きました。ガイコツやミイラ意外何もありません。しかし良く見ると何処かに続く道があります。通って行くと私の前世が広がっているのでした。

その少女は赤毛の青い目で痩せ細っています、貧しい家庭の娘として生まれ、病気がちで学校へも行かれません。もうボケてしまっているおばあちゃんと、暖かい部屋で一日を過ごしています。無理をすると心臓が痛い。

彼女には弟がひとり。この弟は現世での私の弟だとすぐにわかりました。

この弟が彼女にとって唯一の社会です。怖い先生の話や教科書の落書きを持ちこんでくる風でした。

母はいつも疲れていて仕事に家事にと忙しく、父は寝る間も惜しんで働いてそれでも社会全体が不況に晒されていました。誰も弟の世話をする人がいません。彼女は一日部屋にいて楽しい話を作っては弟に聞かせ、一緒に絵を描き、生きるのに大事なユニークな考え方をひとうひとつ教えました。

体調はいっこうに芳しくならないまま、15歳の時働きに出ます。なるべく動かないで済むようお針子さんになり帽子を作ります。

家計の為に働きに出たものの、人に褒められたり誰かの役にたつなどということは、もうこの上なく幸せで、体調は悪化するのも構わず2年も続けられました。

そしてついに17歳で命が尽きる時、彼女の中には小さな命があり一緒に天上へ上がるようです。

恋もして結婚もしたけれど、子が産めるような体力はなく、この子はそもそも産まれる事の出来ない命で彼女を迎えに来たようです。

私は小さな世界にいたために、誰かと競ったり、認められようと足掻いたりする事はなかった。名声を得たいと思う意味もなかった。だから惑わされずぶれる事なく、いつも目の前の幸せだけを見つめる事が出来た。

おばあちゃんにお茶を飲ませ語りかける事。私が誰だかおばあちゃんには分からなくても、おばあちゃんが温かい体を持ってそこに存在するという事実はいつも私をとても幸せにしてくれた。

それから年の離れた弟は、私が育てたと思っている。彼は本当に素晴らしかった。とても私の人生を輝かせてくれた。彼は私の考え方や物語を体現するように生きて、そして幸せになってくれた。何よりも嬉しいことです。

父も母もいつも私に寄り添そい家族は仲が良く部屋はいつも暖かくて、短いけれどとても素晴らしい人生でした。満足です。

最後に子どもを宿して死んでしまった事で家族をより深く悲しませてしまった事はとてもつらかったです。でも私はこの子と逝ける事もまた幸せなのです。

と彼女は私に語ったのです。

どうやら私の前世はいつも短命です。

前回の少女は空爆で殺されてしまったので、本当に思い残した事がいっぱいありました。

今回も少女でしたが、彼女は病気がちだったために幼少から死期を意識しており、小さな世界の幸せをしっかりと見つめて生きていました。人様よりはだいぶ若くに死んでしまったものの、本人は「思ったより長く生きられた」ととても満足しています。

ここからどういうメッセージを受け取れるか。私の現況から透かして見て考えるわけです。

前世の終焉を見届けて、また牢獄のある乳房へ帰ってきました。

どうしてこんなおっぱいなのかな、少し不安です。

由美子さんが「好きなように部屋を飾っていいですよ」と言ってくれたので、私はクッキーの中で暮らしてるみたいにメルヘンで暖かい、そうそれはちょうど前世で私が暮らしていた家の様にふんわりとした調光の部屋にしました。

無駄に飾り物もたくさんしてクリスマスの様に楽しげです。

目が覚めてから、まずホッとしたのはこの部屋の飾り付けでした。

私は抗がん剤をやりたくない、子どもが小さいのに再発の可能性を残したくない、などの理由で全摘にして欲しいとドクターにお願いしました。女性としての悲しみだとか、母としての思い出だとか、んなもんはクソだと思ってただ前へ前へと突っ走っていたのです。本当に申し訳ないほどおっぱいに対して何の思い入れもなかった。

そう、申し訳ないって、やっと思えたんですよ。

いかにも役に立たなそうな貧乳だけど、3人の子どもに乳を与えた私のおっぱい。子ども達にとっては唯一無二の実のおっぱいです。それを自ら全部切り落とせと言った。ごめんでもありがとうもなく。それでもおっぱいは残ってくれているのに、それにありがとうもなかったんです。

暖かいおっぱいルームをイメージする事で、私は心からおっぱいに感謝と謝罪をし私自身が安心する事が出来ました。「いつでも降りて来られますよ」と由美子さんが言ってくれたので、部屋の電気はつけたまま、帰ってきました。

由美子さんは「たぶん篤子さんはいっつも短命なんで今回こそ長生きしてどんどん何かをたくさんしようと思ってるからじっとしていられなくて、自分を責めちゃうのかしらねw」と言ってくれました。

でも「休む時休むの。とても大事なことです。リラックスってすごく知的ですごく難しいことなのよ」と。

さて、私は何を受け取ったのか。

本人は意地とか欲とかいろんなフィルターがかかってるから、物語もセリフも理解できるけど、現実と照らし合わせると目を背けたりしたくもなるのですよ。そういう時でも、他人様はちゃんと道筋や問題点が見えているもの。側で目撃していたセラピストさんが理解を助けてくれます。ちゃんと向き合えるようになれば、自分で自分の中にいつでも入っていける様になるみたいですが、人としての修行が要りますw。

私もこういう事ってウソ臭いと思ってるし、バカバカしいと思ってしまう方ですよ。それよくわかるんだけど、体験してみるとそのウソを完全に論破できない何かがあるんです。

それがなんなのか、是非疑ってる人にはやってもらって共に語り合いたい!

私は小さい時、不思議なものが大好きでUFOを呼んだり、妖怪をおびき寄せたりお化けを調べたりするオカルト少女だったんです。目に見えない物をあんなに信じていたのに、いつの間にか目に見えるもの以外はない世界に住んでいました。

目に見えるもの、目に見えないもの、これをバランス良く感じられるような自分でいる事、それは体にも心にも大切なのですって。