小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

そういうことじゃないだろう。

・・・・「弱い」

と言ってしまえばそれまでだが、なぜ弱いのかと考えてみる。

それが大人の務めである。この世の中、どうやら生きづらい。

その手口、モラルの低下、情報ツールの管理、彼の人生におけるデメリット、大学側の責任、人物像、それらはどれも「考えて」はいない。ただ情報を並べて好奇心を煽ってるだけ。大事なのは、そういう事じゃない。同じ目線で一緒に考える事だ。

悪い事した子を追い掛け回して捕まえて晒して見せしめてってそんなやり方、てんで間違ってる。安っぽい叱り方だよ。子供をスケープゴートにするなんて酷い国だ。19歳を子供と決めたのは国でしょ?子供だってんなら大人がちゃんと面倒をみなくちゃいけません。

そのマヌケぶり、つたない手口。この事件全体からなんともいえない「孤独」を感じないだろうか?ここまで彼をフォローしてきたのはyahoo千恵袋ですよ・・・。その「孤独」彼固有のものではないはず。就職出来なくて死ぬ子にも共通する視野の狭さと幼稚さ。

私の時代も偏差値受験で、偏差値を上げるためだけの勉強をずっと勧められてきたのでその閉塞感は想像出来る。そりゃ現在の比ではないと思うし、私は勉強の仕方を考えていたら受験が終わってしまっていた様な脱力受験生だったのであくまで想像。説得力がないので控えめに控えめに、小声でしゃべりますけどね。

アジアを旅していると「鉛筆を持ちたい」若者とたくさん出会う。学校にさえ行けたら幸せになれると思っている人達がたくさんいる。あ、出た。初心に帰れ、貧しい彼らに見習え!だなと。いえいえ。

うん?そうかな?イヤイヤイヤ。

私達がなぜ教育を受けた方が良いかと言うと、事実や考え方、物事の成り立ちを知る事で、人生が少し楽に、楽しくなるはずだからだ。「楽になる」ってどういうことか。学ぶことが様々な困難を乗り越えるツールになって、今より少しでも楽になるってこと。楽になるのは生活かもしれない、気持ちかも知れない、人間関係かも知れない。とにかく誰にでも人生が重いなら、それを少しでも緩和するためにあるべきことだ。先進国も第三世界もそうあるべきだ。レストランで働きながらお客さんに日本語を習うと、今度日本人が来た時に便利だ。もしかしたら友達になれるかもしれない。それは真理だ。

私達はもうかれこれ何十年も勉強の仕方を間違えていると思う。

好きな仕事に着くために勉強してるわりには報われないし、気付いたら好きな仕事どころか、好きな事さえ見つからなくなっている。自由やお金が有り過ぎるからだって言うけど、そうかなぁ。どうせお金や自由なんていくらあったって足らないじゃない?

ぼんやりな私もなんとか大学に入れてもらえた。それからの日々はまるで遊び暮らしている様な楽しさであったが、実はそんな日々に仲間と丸くなって重ねた議論や感じた衝撃が今の自分を創っているという実感がある。それを勉強だと思ったことはなかったが、その頃懸命に考えた時間が今の私を自由に楽にさせてくれている。今思えばそれが鉛筆を持つ喜びだったか。そしてこんなに楽しくてどうしようと思う程楽しかった時間は今も私を支える。思い出としてではなく人生をいつもそこまで持って行こうと思う。あの頃みたいに今だって楽しくなるはずだ。もっともっと楽しくならないか?と。

私を楽にさせてくれている「考え方」例えばそれを「哲学」と言っても良いのかも知れないけれど、そう言う人生で大事なツールはてんで就職などには結びつかない。目に見える実りは皆無です。それでもそれなりに大事だよ、と言うだけじゃなくて、本当はそれも目に見える実りになったっていいよね。誰かの「うまいやり方」を誰かが教わるって事が勉強だったらいいのに。

メキシコ人はとても楽しそうに仕事をするからまるで遊んでるみたいなんだけれど、実はとても良く働いている。楽しそうに勉強したってやればる程楽になったっていいんだよね、本当は。ちなみにメキシコは世界で一番自殺者が少ないんだよね。やはりそれは楽しく生きる為の哲学が受け継がれていくからだと思う。悲しい歴史も苦しい生活もまた哲学を作る。

今の受験のシステムはもう良い人材を生まないと誰もが思ってるのに続いていて今の子は気の毒だ。就職出来ないなら、なんかカレー屋でもやってみっかとか、チャンスだ旅に出よう!とかって思ったらいいのにって思うんだけど、ブリンカー付けて視野を狭めてそれしか見ないで頑張って勉強して大学入るんだもん、そりゃ他の事考えられないよ。たかだか就職なんか出来なくたって死ぬほどの事じゃない頑張れって言われてしまったら人生全否定なんだよね。

だから、受験なんてなくなっちゃえばいいのにと思うのだ。

中学高校一貫義務教育でいいではないか。3年基礎が終わったら好きな事を探してばっかりの3年間を経て卒業。出れば個性的な大学がいっぱいあって好きな所に入れて誰でも学べる。いいではないか。でもそこで、ちゃーんと勉強しなくちゃなりたいものになれない。頑張ればなれるのになれないって事は実に厳しいことだ。自由は辛い。しばらくはアホばかりの世の中になるかもしれないが、結局自由をうまく使いこなせなければもろいままだ。死ぬより楽しいし。

人生は一度しかないのに、受験とかいじめとかそんなくだらない悩みに自分の子供を突き落としたくないと思うのですよ。深刻だけれどやはりくらだらないのですよ。僕らの人生は僕らの掌の中にありその充実と共に楽しくって仕方なくって笑って笑って生きて欲しい。こんなんじゃあまりに可能性が、選択肢が少なすぎる。山に篭れとお思いか?いやこの南行徳に住みながらそれが出来ないかと模索してるんでございますよ。

大人も真剣に笑って笑って生きないと元気に生きる手本になれない。

子供を吊るし上げて再発防止してるようじゃまず問題外!

と、だんだん声が大きくなりましたか?悪しからず!