小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

不器用な小鳥たち

自己肯定感が低い

友達がいない

 

プチ留学の中で絶えない話題ですw

 

気持ちを分かり合える人たちの中に入って、喜びさえずる小鳥のごとく、プチメンのみんなはDMで盛り上がっていました。

 

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友達が出来ないこと。

それは本人に問題があるのでしょう?と言われそうです。いやそうかも知れません。でもなぜそれが問題なのでしょう。「友達がいないのは人として良くない」という思い込みは強固です。1年生になったら友達100人出来るかな?わくわくする歌だけど、人といるよりひとりの方がよほど孤独を感じずに済むものです。100人でおにぎりを食べる時、100人の中でひとりぼっちだったら、とても淋しい。そう思い込んでいる自分がいます。だけど、100人と一緒に山を登っても登っているのは自分自身です。風景を楽しみ、風を感じて、てっぺんでおにぎりを食べよう。一人の楽しみは失われていないはず。じっくりとトレッキングしようじゃないか。クラスメイトやご近所づきあいの中で、友達が出来ないのは当たり前です。たまたまそこに居合わせたご縁のある方たちだけど、気が合うとか価値観が合うかとかで集まったわけじゃないですから。程よい距離感で居心地の良い関係でいたらいい。この関係これはこれで、すごく自分を救ってくれることがあるもんです。私も屋台のおじちゃんとかのちょっとした声掛けでホックリすることはよくあります。クラスメイトも同じです。朝から晩までべたべた付き合わなくてもいいんです。学校は自分がツンケンしないで気分よく居心地よく過ごし、たくさん勉強してくればいい。誰にどう思われているかを気にしないですんだら、急に焦って友達つくらなくちゃとか溶け込まなくちゃとかに追われなくて済むようになります。もう我々は洗脳されちゃってるから、この解脱はなかなか難しいのですが、そうありたいものです。ひとりが楽しくなったら、どこへでも行けるようになる。誰とでもいられるようになる。

  

否定されるのではないかという畏れも大きいですよね。何度となしに否定されてきた経験。大事にしてもらえなかった経験がそうさせているのでしょう。自分が好きになれない、といっぱい聞きました。でもこの自己肯定感の低い人って、向き合ったこちらはとても話しやすいんですよ。自己低ジコテイ(新語)は謙虚だし穏やかな人が多いです。私はその人たちと向き合って話しながらワクワクしたし、いっぱい笑ってとてもチャーミングだな楽しいなと感じました。ひとりを楽しく過ごすなら自分と遊ばないといけないので、出来れば自分のこと好きな方がいいです。ぜひ自分の魅力を知って恥ずかしがってほしい。自己低(新語)なのに、「でもでも星人」な人は実は芯がとても強い。自分を認めない世の中が悪いとすら思っているのではないか。いいではないか。いいのだよ。ぜひ自分が強いってことに気づいてその強さを許して世界を許して、いやいや星人脱却出来たら楽だろうなと思います。もうどうにも自分が好きになれなければ、それはそれでいいと思ってしまうのも爽やかですよ。否定されることが怖くなくなったらいいわけね。それは完璧な自分をあきらめるってことなのかな。

 

仏教用語であきらめる、は明らめる

執着しない、とか、明らかにする、という意味だそうで

粋だなと思います。

どうせ死ぬわよ。楽しくしたい。そう思います。

 

プチ留学で集まった人たちの価値観は近いものがあります。私が募集をツイッターにこだわっているのもそれです。「こんなことを言ったら変な人だと思われる」毎日は知らず知らずに自分を抑圧していきます。「何を言ってもいい」世界があるとしたら、それがここです。私はそうあれと思っています。自己低だってなんだって、みんなそこそこいい年をした大人で結構な道のり苦労してきました。ちょっと変な人でもそれなりに受け止めて受け入れていきます。私は黙って見てますけど、さすが似た者同士のナイスフォローは見事。大事にしているものが近いってすごいことです。

プチ留学は、生き難さとか、不調和とか、思いわずらいとか、そんなことを感じたことがある人たちが多く集うので、その部分に関してはお互い受け入れようという姿勢を感じます。きっと多少抵抗あったりもするだろうけどまず受け入れようとしてる。昨日まで全然知らなかった人が、ほぼ無条件で否定せず話しが弾むのはすごい解放感をもたらします。どんどん楽しい気持ちになる。このままでいいんだよってお互いが言い合うことで、自分にも言い聞かしているのかも知れません。もちろん、そんなんキモいという人もいますでしょ。嫌な思いをすることもあるでしょう。手を広げている人もいる。でも飛び込んでいかない人もいる。それもまたプチ留学。近いってことは違うってことでもある。ひとりずつ人は違うことが当たり前、もう同じにならなくていいよってタイが、学校が教えてくれる日々ですもん。プチ留学の中では余計な圧力を感じずにいて欲しいものです。

 

理想的でしょ?だからプチ留学は非日常なんだよ。

だけど、これを腹にしまって日常に持って帰る。

そこからがはじまりなんだろうなぁ。

 

明らめて、受け入れて、許すこと。

手放して、丁寧すぎず、適当に。

人のせいにしない。

修行か!でも、基準は自分が楽しいかどうかで。