つながり
朝一番に見かけたツイートが、すごく不快だった。
ざっくり言うと、「かわいいわね」って赤子に近づいてきたけど、「でも触っちゃいけないのよね。娘にも言われているわ」って爽やかに去っていった人にとても気の利いたBBAだったと。
その行為を褒めて、ぶら下がってるリプも「ほっこりしますね」「いいBBAだ」と、たくさんRTいいねされていた。
「足の先っちょくらい触らせてあげてもよかったかもねw」って。私には何がほっこりなのかさっぱりわからない。
小さな赤ちゃんを育ててるお母さんが、病気や暴力を恐れて人に触らせないように過ごしているのはよくわかっています。
でもさ、自分に都合よい行動をしてくれた人を
ナイスBBAって。
私ももうBBAだし従ってわたしの母もBBAじゃない?こんな言い方されるんだなぁ。
ほっこりいい話にしてる20代の若いお母さん達みんなが違和感なさそうなのに衝撃うけました。
もう言われなくても人の子どもなんか触りません(真顔)
このツイートを読んでいたら、昔公園で会った
ステキなおばあちゃんを思い出しました。
そのおばあちゃんとうちのグレイトな娘のお話です。8年前の記事ですが再掲します。
つながり
久々にうららかな春の陽気。
近所の公園で思い切り双子を走らせる。
いつもは防寒フリースぐるぐる巻きでバギーに押し込められているモカさんもこの日は抱っこされベンチに腰掛けてひよひよの毛を風にそよがせていた。
彪が走ったとたんに転倒して地中から飛び出していた木の根っこで鼻を強打。マンガで絆創膏が張られる位置へキレーにスマッシュ流血し鼻がぶーっと膨れて腫れた。
モカを抱いたまま惨状を見守っていたが、どうやら病院へは行かずに済みそうだ。
その時、私の腰掛けていたベンチを諦めようと方向を変えかけたおばあちゃんがいた。彪を気にしつつも「あ、どうぞどうぞ空いています」と私の隣を指差しお引止めした。「いいんですか?ありがとうございます」とおばあちゃん。
「あらあらあらかわいらしい」と我が家の朝青龍に目を細めて下さる。
遊んでいる双子を見て興味津々<双子について不思議に思っていた素朴な疑問>をいろいろと尋ねて来られる。「年子とどっちが大変か」とか「同じ物を欲しがるか」「どうやって授乳したか」とかいつも聞かれる他愛のないそんな話だ。
だけど私は機嫌よく饒舌に答える自分に気付き、このおばあちゃんなんかとても気持が良いな~と感心したのだ。
「この人のおばあちゃんはまだ70前ですけど、私のおばあちゃんはもうすぐ90になるんですよ。私の母つまりこの人のおばあちゃんが面倒を見に行ってますけど、2歳の双子とまったく同じく、日に何度も同じ話をしなくちゃならない食べる物も柔らかくって塩分控えめでまったく同じ。でも同じ話をせがまれてもなんでも子供はかわいくってしょうがないのに自分の母親にゃ腹が立つのよしょうがないわね~って言ってますよ」なんて言うと笑って
「どうですか。90歳ってどんな風ですか?」
「どうって言いますと?」
「何処までみてもらってますか?どうなりますか?」
「いえ全然寝たきりとかではないです。ただ本当に日に何度も同じ事を言うってだけで」
「それはまぁお幸せなことですねぇ。90で生きるってどんな風でしょうね」と。
日常会話より少し踏み込んでる感じがあるのでちゃんとテーマを話し合ってる実感があるのだな。受け答えも反応も早くて的確。本当に見かけはごくごく普通の梅干系ばあちゃんなんだけど、いったいどんな人生歩んで来られたのかな。
そのうちモカが目を覚ました。
おばあちゃんに手をさし出している。
「わーうれしい。でもおばあちゃん手が汚いから触れないよ。シワシワでばっちっち」と。「最近のお母さんは皆さんウイルスやら何やらとても心配されているでしょう?私も容易に触ってはいけないと気をつけています。シワシワでやーね」とモカを見て笑う。思わずそう吹き込んだ誰かに、キュっと腹が立つ「そんな事ない。優しい手ってよ。ねモカちゃん触ってもらいなさい」とモカの手をおばあちゃんの手に近づけていった。「いいんですか?」と言うが早いかしっかりとモカはおばあちゃんの手を握った。そしてまさに破顔の笑み「ナイスモカ!」と私は心で叫んでいた。
だってその瞬間のおばあちゃんの笑顔はそのモカの100倍くらい輝いて本当に本当に嬉しそうだったから。
「あったかい。柔らかい。こんなに小さい人に触れるなんて、なんて久しぶりだろう」
モカの手はいつも恐ろしく冷たいのだがそれを温かく感じるなんておばあちゃんの手はもっと冷たいんだ。その90になる私のおばあちゃんも、モカを初めて見せた時同じ事を言って、ずーっと抱いていた。子供をたくさん育ててもっとも子供の側にいた人生を送ってきた人達が、年老いてその小さな塊と一番遠くに暮らしている。
孫でなくても誰の子だってそういうのはもうぜんぜん関係なく、きっと大きな命の流れを小さな手のひらから感じ取っているんだろうな。年寄りと赤ん坊は一番遠いものじゃなく隣同士なもののはずなのに、そうなれない世の中ってとても寂しい。こんなにきちんとしたおばあちゃんですら疎まれて仕方ないと思っているなんて。
その時、私の友人が現れておばあちゃんはさっと席を外し彼女に譲って、これまた遠慮させない絶妙のタイミングで帰って行った。
老いた者に学ぶべき事だとか相互扶助とか、そんな狙い済ましたつまらない事でなく、普通に年寄りと赤ん坊が気楽に暮らせるふっくらと豊かな世の中は、素晴らしく贅沢で健全なのに、そう出来ないでいる。
そうさせない世の中を作っているのは他でもない赤ん坊と年寄りの真ん中にいる私達だ。その人の孫でありその子の母である私達だ。
なんてセンスがないんだろう。
なんて面白くないんだろうね。