小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

坂爪圭吾 in ままかバー

だいぶご報告が遅れましたが、
さかつめくんいらっしゃいました。
 
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それが出来るのは彼が若いからだ、と夫タッキーが呟いていた。さらに言うなら若くてイケメンだからに違いありません。
そこらのおっさんがやっても成立しない。それも心理。

 
坂爪くんを一言で紹介するのには無理があります。
ブログすごく面白いので是非読んでみて下さい。

そもそも彼を連れて来たのは香織ちゃん。香織ちゃんは、十数年前にメキシコのドミトリーで出会ってそれからたま~に世界のどこからか連絡が来る人だったんだけれど、縁あって今はソンテオで3分のご近所で暮らしてる。彼女はある種の勘が働く人で、それまで少しブログを読んだくらいでたいして知りもしなかった坂爪くんがバンコクに降り立つことをその日開いたネットで知って、その瞬間に「あ、これ会わないと」と閃き、彼に声を掛けたらしいのです。それから私に「ねえ坂爪くんって知ってる?」って電話が来て、これまた私は「知ってるよ」と答える事になる。知ってたんですよ。そこそこちゃんとブログも読んでたんですよ。香織ちゃんここまで全部直感なわけすごい。そしてもちろん彼にふさわしい茶話会の場と言えば・・・ままかバーしかないよなぁ。いやでもちょっと待て、坂爪君が自宅に来るってことなんだけど?www でもままかバーが一番いいよなぁ・・・と、ままかバーをやる事になる。面白いではありませんか。こういうのが面白くてままかバーはgoogleマップにも看板出してるんですわなイヤソレワ。出会い偶然直感に感謝です。

この日は平日の夜と言うことで、レギュラーメンバーは皆さんお仕事。いつも子どもが寝てから帰ってくる夫タッキーだけがすごい勢いで帰ってたけど、後はその香織ちゃんと、移住仲間のさやかちゃん。それぞれ子どもを2人、3人、と連れて来て我が家と合わせて8人。子どもは安定の満卓あざーす。賑やかだけど、いつものままかバーにしては人数も少なめでお話しするにはいい塩梅。これまたたまたま偶然スピリチュアル度の高いメンツになりました。坂爪くんも「ぼくスピ系なんですって」って次の仕事がそっちの取材だと言ってました。

しかしですよ。まず反省しなくてはならないのは坂爪くんより私が喋っちゃった事です。あ~~~やっちゃったのねって思ったでしょう?いや違うのよ、坂爪くん、基本的におしゃべりな人ではないので、ついつい盛り上げようと思って。質問してたつもりが答えも言っちゃうみたいなね。はぅ恥ずかしい。はいすみません。それはともかく・・・・





私なりの解釈で彼の生活を説明すると・・・。呼ばれた場所へどうにかして向かう。エコノミックな事情でそれはほぼ徒歩で行われます。歩けば歩くほど幸せになるのだとか。お金はほとんど所持せず。おおよその移動プランはブログに掲載されていて、それを見た彼と会ってみたい人たちが行く先々でさっと粋な支援をしてくれます。遥か海の向こうから彼を呼んで下さる方もいる。坂爪くんに家はありません。しかしながら熱海の家をどうぞご自由にと提供してくださる方がいて、なのでそこに自分がいなくとも、誰でもご飯が食べられて泊れるようにと維持しています。その玄関にはわずかながらお金も置いてあり自由に使う事が出来るのですーーー。
 

「持つ者は豊」「持たずとも豊かに生きられる」のではなく
「持たざる者こそが豊か」


さて、私はいつも坂爪君を僧侶のようだと思っていました。その生活は、お坊さんの托鉢そのものだと。きっとその表現はすでに使い古されているのではないかと思っていたけど本人にもみんなにも「へー」と言われたので逆にちょっとびっくりです。

瞑想しながら歩き続けること、行く先々で人々から施しを受け、換わりに今日一日の安全と幸せを祈り授ける。それはまさに托鉢。「施し」と言う言葉もご本人に「わざと言ってます」と言いました。お布施の施です。アジアの人達は持つ者が持たざる者に施しをする。これは与える者の喜びであり与える者こそが受け取る者に感謝をする。今回も「一緒に行きませんか?」と彼と旅したいどなたかが彼の分のお席も用意しての来タイだったのだそうです。ブログを読んでいても、坂爪くんに「会いませんか?」と言う方々は皆さん一様におおらかで気風が良い。与える事に大きな喜びを感じている様に思います。

だけど私なんかは気が小さいから、呼ばれたら行くと言う修行をしている坂爪僧侶は、人を選ばないのではないかと思ったりする。つまり本当は行きたくないとか会いたくないとか、会ってみたけどくだらない、とか思ったりすることはないのかしら?今日はどうかしら私たちくだらなくないかしら?と不安にもなる。これは与える者としての資質に欠け修行が足りないのです!本人いわく「僕は基本からっぽです」と。僕自身がやりたい事とか、そういうのはう~んう~~んって悩んでました。そんな彼にギター持ってるってことはギターは弾きたいんだろう?と何曲も弾かせました私たち。


それにしても、施される者の寛容さと言うのはいかばかりか。お前は持つ者か持たざる者か、選べと問われれば、多くの者が持つって言う程のものでもないものを捨てることに悩むだろう。何も持たない者は人を脅かすことなく、人を飾らせることなく、人を解放する。一緒に暮らしていた彼女と別れて部屋を出た彼が、これから家を持たずに生きてみようと思って早3年。人に迷惑をかけるような生き方だけはするなと言われて育った私たち昭和には、どうしても突き付けられてしまう「これは正解なのか?」という疑問。それでいてたぶん、人に迷惑を掛けないように生きる事の難しさと、人に迷惑を掛けない人生の厳しさを知っている昭和としては、彼が受け取る援助(双方笑顔での)を目の当たりにして、幸せを「迷惑」で推し量る事の矛盾に気付き、少し新鮮な気分にもなる。自分が同じ様に生きる事は出来ないけれど、またそうしたいと思っているわけでもないけれど、この人をどこまでも飛ばしてみたい。きっと多くの人がそう思うのではないでしょうか。


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世界や人間は「信頼に値する」のだということを強く実感する。


日本で子育てする事をやめた3家族が、揃ってその日本社会の生き難さを超えた狂気を口々に話し始めた時、ずっとご飯を食べ続けていた坂爪くんが言ったんですよね。
「僕は、日本の人はみんな優しいと思いますよ。誰かに何かしてあげたいと思っていても出口が見つからないんじゃないですかね。そうやって誰かを助けてもいいんだよって言う、何か「許可」のようなものがあれば、いくらだって優しい人はいるんじゃないでしょうか」

その許可のひとつがこの人そのものなのでしょう。
僕はいま何も持っていません!という啓示。


彼は日本中歩き回って、彼を知る人からも彼を知らない人からも、たくさんの愛を受けて生きている。だからこそ言える、日本の人は優しいはずって。彼は哲学じみたことを一言も言わない。起きた事、思ったこと、事実を述べているだけだ。そうだ確かに。日本人って優しかったかも。て言うか、日本人が優しいってことを日本人は忘れちゃってるんだな。その優しさってのは欺瞞だの建前だの淋しさだのどうのこうので、その愛ってのはどうのこうので、っていくらでも難しい事は言えるだろうけど、優しさや愛の中身をぐちゃぐちゃ掻き回したりせず「ありがとうございます!」ってスパッと受け取る彼のすごさ。

ただなんとなく、やはり世界の終焉も感じてしまいます。彼と言う存在がそこに在り、求める人が後を絶たないこと。「許可」「許し」を求めて彷徨っている人の群れが愛を持て余している。愛はたくさんある。なのに私たちはなぜ隣人に愛を施せないのか?こんなにも優しいし面白い事が大好きなのになぜ隣の人と一緒に笑えないのか?坂爪くんは、失われてしまう世界の最期の愛を、表わす為に歩かされている様にも思えます。不吉な事を言いました。でももし彼に「会いませんか」と言えたなら、それからはずっと自分で自分に「許し」を与える続けることが出来るようになるのかも知れません。そして、これまた凄いのが、彼と会う為のハードルは意外と非常に低く設定されています。求められたら極力応える。彼の愛です。会えるかどうかは会いたい人の気分次第なのです。

「普通」や「常識」を鮮やかにひっくり返しながら歩いていく彼がこれからもずっとずっと遠くまで歩いて行けますように。少なくともその間は、間違いなく世界はぎりぎり繋がっているはずです。
もちろん彼はそんな狙いなどなく、考え、会い、繋がり、渡し、ただ歩いて行く。




子ども達に「坂爪くんと言う人が来る」というお知らせをする時にした話。
前述の暮らしぶりに併せて「もし、人生が一度で、一日の時間に限りがあると知っているのに、朝6時から仕事に行って真夜中に帰ってくる日が毎日だったらどうだろう。一生懸命働く事は素晴らしい事だしそれがやりたい事ならいいけれど、あんまり好きな時間じゃなかったら?そしたら思い切って全部それを止めて、全部自分の好きな事をする時間にする。だけどお金はありません。お家もありません。だけど自分の心に誠実に生きてみる。それがとても魅力的で是非彼と会いたい、彼の助けになりたいと思う人が後を絶たないのです。という、おとぎ話の様な人がままかバーに来ます。どうですか?と言いました。鼻息を荒げて興味を持ってました。
実際、彼らの父親タッキーは日本では当然午前様。ここタイにおいても平日に晩ご飯を一緒食べる事なんてまずないくらい働いています。ある程度自由な生活をしている人はきっとそこだけをみて「普通の日本人のけな気な生活」と見て取るかもしれません。でも実のとこタッキーはこの仕事に20年、飽きることなくいつも新鮮な感動と充実感を持って向き合っています。自分の花の咲かせ方はいろいろあって、どれもこれもよいものなのだと、私は子ども達に知ってほいしいと思っています。
とにかく、楽しくないのがいちばんよろしくない。


坂爪くんは多忙を極め、この日も21時にはドンムアンに向かい、翌朝はそのスピ系の取材でした。こういうタイプの修行僧にはもう会えないのかなと思ったら、呼びさえすれば来るそうですw。再会のハードルも低く設定してくれているようです。実際タイには結構お呼ばれされるのだそうです。ままかバーには特に企画があるわけでもないので来いと言うのは憚られますが、もし来たら毎回寄ってって欲しい。帰りのタクシー代は出すからね。また一緒に遊べる日を楽しみにしています。次はしゃべりすぎないようにする!

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産み過ぎですね


今回のわたり菓子はこれ。坂爪くんの向こうにいるどなたか、ありがとうございます。私は代わりに風邪に良く効く生姜茶をお渡ししました。誰の手に渡るかな!

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それではまた。