小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

ヌイさん、現る。

何を差し置いても、バンコクへ来て一番の後悔、心残りはヌイさんのことだった。(※過去こじ参照)

会社の経費節減で、ヌイさんがクビを切られると言う話が持ち上がった時、私はなんとかこのままヌイさんと過ごしていく方法はないだろうかと慌てて、とにかくヌイさんの給料が出るだけの仕事をままかで作っていこうと言った。好きなものしか買わない、売らない、作らない。作品としての評価が代価になる。そういうままかの考え方からすると本末転倒な発想だ。しかし何かを得る守るためには、相応のリスクを抱えるのは仕方がない。「ヌイさん、これからも一緒にがんばっていこう」ヌイさんも「最初は少しのサラリーでいいです」と握手を交わした。その日も、行き場をなくして嘆く同僚の側で彼は安心しきっていたと思う。一方、上村家では何度も今後の試算が行われていたがどうにもうまくない。ままかで増やそうと思っている仕事はもちろんまだ机上のもので金になるリアリティはまるでなかった。やりだせば走り出す、と私は自分に言い聞かせていた。その無理を夫は見抜いていたのかも知れない。先に調子のいいこと言っちゃって、引き止める方が迷惑かも知れない・・・にはそもそも一理あった。そんな状態の3日間。

そして、その日の夕方、ドライバーたちが召集され、移動と解雇の言い渡しがあった。

この会社での仕事は最後になる帰宅の車中で、ゆっくりと夫が話し始める。

「うちではヌイさんが求めている額の半分も払えない。思っていたよりも財政困難で、これからのことがわからない」

夫くんのことですから、優しく至極丁寧に話したに違いない。聞いていたヌイさんは最初「お金は少しでいいです。だんだん仕事が増えればだんだん」と笑顔で話していたらしいのだが、やがてそのニュアンスに気付いた。

夫の言葉ひとつひとつに「わかります。わかります。」と答えていたという。アパートメントに到着すると、急いで荷物をまとめ、最後に「これを」とキーを夫に渡し「ありがとうございました」と頭を下げた。

今日は会社のクビ言い渡しの日だと知っていた私は、きっと今夜は家にあがって今後の話し合いもするだろうと自作ガラムマサラのインドカレーをたっぷり作って待っていた。私は見切り発車女王なので、自分の足元の不安定さを感じながらもまだ清水の舞台袖に立ち続けていた。「ヌイさんは帰ったよ。今日はブッティパーティーなんだって」

そして「それから、これからの事を説明したよ。わかってくれたと思うけど」その意味をすぐに理解するも気持ちが受け入れられずに目眩がする。えー?ちょっと、待って・・・「すぐにはうちでヌイさんを雇えないから、仕事を探してくださいって言った。それで1ヶ月後に電話をくださいって。ヌイさんに仕事があるとかないとかままかの仕事が起動に乗ってるとか、1ヶ月後にまた話しましょうって」頭の中で全力で想像する。その最後の表情を・・・。「これからもお願いしたいことはあるから時々パートタイムで来てって言ったよ」夫は私とヌイさんを会わせることなく、このつらい役目を引き受け更に今後も縁が続くよう提案をしてくれたんだと思う。でも、ヌイさんはもう電話に出なかった。「明日迎えに来て」とSMSしたが読んだのかどうかもわからない。そして、翌日から我々は着信拒否されてしまった。

「わかります、わかります」と言う、ヌイさんの横顔が目に見えるようだった。

私たちは嫌われて、着信拒否されているのではないんだろう。きっとこれ以上関わると迷惑をかけてしまうと思って彼は自分を消したのだと思う。男っぽいヌイさんだから、ズルズル出来なかったんだろう。しかし着拒とは乙女だけどね!そう着拒はショック・・・今後のご縁は御免被りたいと言われているように思えて苦しかった。しばらくして会社がヌイさんを呼出す用があったのだが、「なんの用ですか?」と聞いてくれって電話ではなくドライバー仲間が夫のもとに現れ、本人は夫と会わないように用事を済ましたちまち消えてしまった。もしかして、本当は嫌われたのか・・・拗ねているのか?

ヌイさんがいなくてもちっとも困らないことや、ヌイさんのダメなところとか、おバカなところとか、いろいろあげつらって彼が去ったことをこれで良かったと思えるよう努力もした。しかし自分の不甲斐なさ、着拒の衝撃が拭えなくて「どうしてるかな~」と思う度に悲しくなった。1ヶ月経ったら彼を探そう。良くも悪くももう一度だけ、ヌイさんと話したい。そんな気持ちで1ヶ月を過ごした。

長い1ヶ月が過ぎ、どうにかヌイさんと連絡取れないか忙しい夫が何日か思案していたら、たまたまヌイさんと一番仲良しのドライバーさんとばったり会った。そしてなんと、その場でヌイさんと電話をつないでくれたのだ。

神妙に静かな声で彼は「お元気ですか」と言ったらしい。日本語で。

オクサンが心配しているので、電話をしてやって欲しいと言うと「はい」と言ったそうなのだが、待てど暮らせど電話は来ない。たぶん、このままでは電話来ないんだろうと悟った私は急いでタイ語を組み立てて、こちらから掛けた。だってもうやきもきして暮らすのはまっぴらだったから!

ワンコールで出た。ヌイさんは待っていた。そして、「オクサン!」と言った。

「お元気ですか?」と練習していた変な日本語を話した。

恥ずかしながら思わず声が詰まってしまう。こちらも練習していた変なタイ語を話すと、はい、はい、と聞いてくれながらヌイさんの声もうわずっていた。お休みの日に、私の仕事を手伝ってもらえない?と聞くと「ダーイダーイ!(出来る出来る!)」と全力で答えてくれた。

なんで私たちこんなつらい思いをしていたのでしょう? ←着拒だよ着拒

それから2週間後、ついに私はヌイさんを呼び出した。

最初にどんな言葉をかけようか、この1ヶ月半をどこから話そうかと言葉を選んでいると、リビングから夫のものでない男の声が。約束よりずっと早く到着して上がり込み、子どもらと再会を果たしていた。少し小さくなったように感じた。

そして私とヌイさんは市場へ出た。まるでいつもの様に。ただ積もる話がしにくいのでオクサンは後部座席から助手席に移った。私はもうオクサンではないという立ち位置を象徴するようだった。しかし妙に恥ずかしいので、買い付けのあとはまた後部座席に乗ったけれど、やっぱり話しづらいのでまた助手席に移った・・・ってあたりが立ち位置を模索しているようだわ。

それからみんなで晩ご飯。ビーフ食べ放題。

ヌイさんはいま、うちで提示したお給料の3倍くらいもらって忙しく痩せちゃったのだそう。それでも、かわいい娘がいるのに路頭に迷うわけにはいかないし、まずはよかった。ヌイさんを引き抜けるようにままかも頑張るよ。

「ヌイさん、今日のパートタイムジョブだけど、いくらにする?オクサンお金ないからまけて!」と言うと

要らない要らないって手をぶんぶん振りながら「イムレーオ、イムレーオ」と言った。

その言葉を噛みしめた。「もうお腹いっぱいです」って。

ほんと、イムレーオ、またこんな日が来るなんて、お腹いっぱいの夜だ。

これでやっと私はニュートラルに、バンコクにいられる気がする。

なんだかね、だってそういう事を一番大事にして生きていこうと思っていた矢先に、たかがお金のために相思相愛の人と別れることになってしまったから。私はよく誰かを傷つけるらしいのだけれど、相手がそれで私を嫌えば追いようがない。今度ばかりはきっと相手もこちらを思って悲しくなっているって感じていたから、このままではいけないと思っていたのだ。顔を合せられたらそれでよかった。どれだけ安心したか知れない。心の安息を与えてくれた夫に深い感謝を。

まじ着信拒否はやめてよね乙女!

そしてお帰りなさい、我が家の寅さん。

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