小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

ヌイさんが、いなくなる。かもしれない。

ヌイさんが、いなくなる。かもしれない。

悲しくて、ヌイさんの前歯抜けの笑顔が直視出来ない。

このことをヌイさんはいつ知るんだろうか。

会社がリーマンショック以上の業績悪化で、現地採用組の福利厚生に手を入れ始めた。

社内の消灯、オーバータイムの削減、タクシー代カットなど言いだしたので嫌な予感はしていたのだが、ドライバーさんの雇用をいとも容易く打ち切るなんて、しかも5月1日からとばっさりあっさり。

社内でももっとも私達夫婦が信用している人がこの経費削減案をまとめた。その中に何かを代わりに差し出しても今まで通りにヌイさんと過ごせる術はなかった。ドライバーさん救済案らしき内容も含まれてはいるが、それが会議で採択されるとは限らない。要は、これは駐在の福利厚生ではなく現地採用組の福利厚生だからというのもあるだろう。厳しい直面に立たされればまずどうでも良くなるのがタイ人十派ひとからげで現地採用。

ヌイさんを失った後の不便さは相当なものだろうけれど、きっとそれにもいずれ慣れる。

私が悲しいのは、大好きなヌイさんと会えなくなることだ。

彼はこの4ヶ月、毎日一緒にいて、家族の全てを目撃し、察し、動いてくれた。

私の今後の予定では、もっと我々がタイ語を喋れるようになり車内は更に更に賑やかになり、子ども達が大きくなり、私達は白髪交じりになって、夫引退の日が近づき「ヌイさんをどうしようか」と言う日が来たら、ままかはビルが建つくらいになってるから、こちらで私の専任になってもらおうとかいう、楽しい妄想する時間がこれからまだまだたっぷりある、と言う←イマココだったのです。

現地の避難友に「あつこさんはセレブだからなー」とヌイさんを指して言われたことがある。

「いやいや、会社が勝手にやってることだし、それなりに自腹の経費もかかるしねー大変だよ」と

言いながら、ヌイさんを紹介するにこの言葉はものすごくしっくりこなかった。続けて

「とは言え、タイ人の感覚で日常の事を教えてもらえたり、タイ語はもちろん、子ども達にタイ人らしい優しさで接してもらえてね。気に掛けてくれる地元の人が毎日側にいてくれると言うのは、かけがえがないよ。」と口が動いた。「そうだよね。わかる。それは大事」と言ってもらえた。

かけがえのない。

大袈裟だけれど、本当にぴったりした。食卓は囲まないけど家族の一員なんですよ。

たくさん働くって事に意味を見いだせなくなって3年。大きく私のプライオリティを変えた3年前からこっちの出来事は、私から戦意を大いに奪っていったのです。今こちらに来て、余程贅沢しまくらない限りはさほど困りはしないだろうし、働く意味はますます希薄。しかしこの一件で私は目が覚めた。

誰かが与えてくれたものは、泡と一緒。簡単に消えてしまうもの。

もし私が何かをとても気に入っていて、失いたくないなら自分の力でそれを持ってないと。

そう、それこそはヌイさん!って事ではなく、ヌイさんと言うメタファーを通して見えたことだ。

私は今お母ちゃんを専業している。専業の割に何もしていないからクレームが来るかもしれないけど私に不満は何もない。ただ自由ではない。この一件で、去年までの私なら「では、私がヌイさんを!」と挙手する男気があったのではないかと思う。今の私は勝手に自由でなくかっこよくない。

お金にリッチでなくても、やはり人生はリッチテイストでなければならない。私は私の豊かな生活の為の戦意を失っていたけれど、大事な人も含めみんなでリッチになるにはやはり私が働かねば。だって見回しても働いてないのは私だけですから。

私は日本に大事なものをたくさん捨ててきたし、置いても来た。二度と手に戻らないし、二度と会えない人もいる。

そしてどんなに大事にしててもいとも簡単に日常なんて吹き飛んでしまう事も知ってる。

だからってあんまりおっとりしてると、今の大事なものが明日なくなっちゃうんだってよ。

幻想の様なものを与えられて豊かになった気分にさせられて、簡単に奪われて「早く慣れてください」なんて、ふざけるなよ。もう企業なんてモンスターから貰うバルーンなんかでいい気になんかなるもんか。出会っているのは「人」と「人」で交わされているのは「情」なんだ。しっかり勝手にやっていこう。顔を叩くパンパン!!!

ひとまず今日はまず寝て、明日からソンクラーンでコ・チャンに行くけどね。

↑ヌイさんの運転で・・・

ヌイさんと一緒に電話して大騒ぎして取ったホテルに泊って

「オクサン、帰りパタヤ寄りましょう!」なんて盛り上がってるんですけど