小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

お家、売れました。

私、昨日45歳になりましたよ。

そしてそんな肌寒い日に、お家が売れました。←実際は肌寒くありませんでしたが。

土日にオープンハウスをしたのですが、売主が横で見てるとゲストも

やりづらかろうという事で、上村家は実家へ避難して百伽のお誕生会をしていました。

まぁとにかくひどい雨だったので、さぞ不動産屋さんは暇で寒かろうと思っていたら

意外にも大盛況だったらしい。雨の日に来るのは本気のお客さん。

2日続けて見に来てくれた2組の家族の、素早く決断された方が新しい家主になられました。

かわいくて小さい女の子2人が、ここへ住むそうです。

リビングの天井から吊るしたブランコ、気に入ってくれたかな?

そう、私達はこの築37年のおばあちゃんなお家をいろいろいじくって楽しんできました。

外壁ぶち壊して窓にしてピンクに塗っちゃったし。

フランスのアバンギャルドなリビングを目指したけれど、子どもが生まれて生活感

たっぷりになったら、なんかそれが昭和レトロな感じになってそれもよかった(笑

何をしても私達の我儘を大きな懐で許してくれて、どんな変化にもいい味で応えてくれた。

もともとここは売り地でお家はゼロ円。ボロボロのゴキブリだらけだったのですよ。

だけど一軒家にして躯体は軽量鉄骨だし、基礎が物凄く頑丈。

買い手がなくほったらかしのお家だったけれど、見れば見るほど素敵だった!

出会ってから今日まで、私達は私たちのお家が大大大好きでした。

本当にありがとうねー

放射能は危険です。

しかし実は、今この場所が将来健康被害でどうにもならなくなるかとかは

ないかもな、と思っているのです。なって欲しくないから希望的観測かも

知れないけど。きっと親の工夫と努力で子どもも暮らせる場所だと思っています。

何が起きるかは、どの土地へ行ってもリスクが変化するだけで同じ。

バンコクの目下の問題は、PM10(11PMではない)農薬、遺伝子組み換え

放射線照射食品etc...

逆にどこへ行っても何かのリスクを負わねばならないとすれば、私は自分で

選びたいと思うのです。メニュー表を見ながらね。

日本が抱えるリスクは原発・放射能ではあるけれど、それ以前に

日本が今の日本であることなんだと思うんですよ。

やはり私の中で3.11以降、価値観が大きく変わっていって

このままこの日本の中で自分の子どもを最大限に労わり健やかに育てることは

無理、と思ったのです。私は今この日本が子どもに強いる無理を人生に必要な

ことだよ、と我が子に押し付けられません。

私がここを去る理由は、総称「日本」からの離脱です。

避難ではなく、離脱、もしくは脱却ね。

私は何かに追われてここを去るのではなく、主体的にNoを体現します。

ご近所に「日本のシステムからの離脱!」なんて大声で言えませんので

パントマイムでしますよ。

そして避難ではなく、永住するんだから、もう片っ端から楽しまなくちゃ。

ビビってる自分もまた楽しい。バンコクはある意味慣れているけど

暮らすとなったらまた話は別。きっとこれから長いお付き合いになる出会いが

あったり、びっくりするような出来事に笑ったり怒ったりするんです。

子どもの初めても大人の初めても、同じレベルで。

しっかり働いていっぱい遊んで、親自身が楽しそうにしてる姿を見せる事、

これがこの先の一番の仕事になると思う。

そして日本では難しかったことをしよう。

子どもの子ども時代、たった5年か10年かだもの。彼らとたっぷりと遊ぼう。

それから、私のことを誰も知らないその場所で私は私とも遊ぼう。

やがて何もかもが終わったら、夫と2人で気楽にビーチでタイマッサー。

ピカピカの新築でローンががっつり残っていたら今の生活にしがみついて

いたかもしれない。このおばあちゃんなお家だからまた私を自由にしてくれて

身勝手を許してくれて「いってらっしゃい」と背中を押してくれたんだね。

本当に本当にありがとうねー

今日は、ここに10年暮らして初めて隣のお母さんが遊びに来てくれた。

お互い忙しくてゆっくりお茶を飲む時間もなかったから、ピンポンしてくれて

嬉しかったな。ままかのバッグやアクセサリーも買ってくれました。

ご近所も丁度いい距離感でいつも笑顔で挨拶できて、穏やかな日々を過ごさせて

貰いました。1人変態がいるだけだって地獄なのにねー。

何よりもプライスレスで宝物だったのだと思います。感謝です。

そしてまたここでキリッとね。

淋しくなるのはでっかい山が片付いてからにしましょう!

断捨離、得意ですから