小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

子どもの被爆検査

事故から2年も経ってしまって、今更だしたぶん問題ないんだけれど

いま滞在しているマンションから徒歩圏内に被爆の権威的病院があるのです。

これ行っとかないと。

奇しくも3月11日に母(わしじゃ)がお試し検査。

「いいですか?40代女性で甲状腺になんかあったからってそりゃあるわって年齢

なのでね、いちいちガタガタしないの。わかった?」と言われ

ヨウ素がどの位入ったとかもうわからない。今分かるのは今の状態そのものなの。

福島由来であるかもこれではわからない。スクリーニングは定期的に継続して

数字の推移を見ることに意味があるのね。と、いうことでどうしますか?

やりますか?

はーい。やりまーす。

血液検査を甲状腺エコーをしてもらった。

3mmの嚢胞が出ましたよ。ええ、先に釘を刺されているのでガタガタしませんよ。

その数字の本当の意味を理解もしていないのに、ただガタガタはしない。

そう、ただそれだけの事!

そして、本日はいよいよ上村三兄妹の出番です。

まずは「行動表」を書くところからスタート。

爆発やベントした日など、やばかった日のタイムテーブルが並んでいて時間と

居場所を書き込んでいく。実際はほとんど覚えていないのだが、うちの場合は

21日に雨に濡れていてその日の事は忘れていなかった。細かい記憶はモカの

日誌やこじなんかを繋ぎ合わせて埋めていった。なんだか嫌な予感のする雨だ

ったのだ。だけれども、福島からは300キロくらいあるし、危険だとも言われて

いないのに恐れるのはおかしな事なのかな・・・と気持ちを振り切って保育園へ

子供たちを迎えに行ったのだ。レインコート着せ傘さしかけ、濡れないように心

がけながら歩いた。帰ってすぐに入浴もしたが、まだその頃は危機管理が出来て

なくってレインコートもベビーカーも傘も全部濡れたまま玄関に放置していた。

あの日の濃度の放射線物質が玄関にだだっとあったのだ。

と、ここまで書いあら眠くなってきて。にっちもさっちもいかなくなり

・・・今日はここまで。