小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

孤独な戦い

りんのすけはインフルエンザではなかった。

インフルエンザではなかったが、とてもつらそう!だいたい40℃近い発熱は

一晩くらいでピークを越え次第に下がっていくように思うのだが、今回はまだ

まだ続くらしく二日目の現在でまだ39.7℃。タミフル入れてないのに意味不明

のうわごとをつぶやきながら眠っている。ああ、こればっかりは替わってやれ

ない。ただただ頑張れと祈る母。

テレビではNZ地震のニュース。

胸が痛くて見ていられない。どの子もこうして熱を出しては大きくなって

自分の場所を探しに元気に笑顔で手を振って、家を出てったことだろう。

画面に流れる19歳達の写真と傍らで眠る息子の小さな顔を重ねては、悲しい。

小さな風邪も、転んだ擦り傷も、大災害も、どれも替わってやれないんだなあ。

どんな時もただただ願い祈る無力。強く祈り願う、大きな無力。

さっきりんのすけが病院で「これ読んで」と持って来た本は谷川俊太郎が

訳した「悲しい本」だった。りんのすけはたくさん並んだ本の中からいつも

すごく淋しそうな装丁の物を選ぶ。なんだか怖いとか悲しいとか、マイナー

な感情に興味があるんだろうか(笑 

主人公の深い悲しみは息子を失ったこと。叫びたくなる様な悲しみを時には

誰かに話したいと思う。例えばママに。でもママももうこの世にはいない。

息子を亡くした事と関係なく悲しくなることもある。なぜかはわからない。

時々誰とも話したくない。だって悲しみは僕のものだから。悲しみは誰にも

突然やってきて誰かを捕まえて離さない。つらくってあぁこれってもうこの

世からいなくなってしまいたいって事なんだなって思う。そんな時、僕は自分

がたくさんの「灯」を見てる事に気付く。町の灯、人々の灯。そして思い出す

雨の中のママ。それから道を歩く息子、それも笑い転げながら!お誕生日おめ

でとうから繋がる、たくさんのおめでとう。そうやっぱりろうそくがなくちゃ!

最後から二番目のページにはたくさんのホールケーキにたくさんの火の着い

たろうそくがささっている絵が描かれている。とても淋しそうででも悲しみ

を慈しむような温かな優しい絵。

誰もがお誕生日おめでとうからおめでとうが繋がって、そうして生きているのに、

時々人生はあまりにも過酷で、自分が誰かと繋がっている事を忘れてしまいそう

になる。生まれてきてくれてありがとう、親は勝手に幸せなんだ。とても幸せで

何をなげうってでも守ってやりたいと願っている。がしかし子供の人生の過酷を

替わってやる事はけして出来ない。そう替わってやれないと言う親の過酷。

ある日息子や娘を他国へ送り出した人達は、無意味と知っていて自分を責めて

泣きながら瓦礫に向かっているんだろう。その親達の親達はもうこの世にいない

雨の中のママかも知れない。けど私達は永遠にそのママに答えを聞こうとする。

おめでとうがおめでとうで繋がっているから。

繋がっている人すべてを暗闇から一日も早く出してあげて。

39.7℃の息子の小さな手のひらを包みながら、この子にいずれ起きる大きな不幸も

ただの風邪すら替わってやれない無力の私の、その未来に怯えている。