小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

裁判員裁判

今ここで腹いっぱいおやつを食べてしまってからダイエットを 思い出している様な私も、誰かの命をどうにかするかも知れない 可能性が出てきました。ある日突然、誰かの人生を左右する立場 にさせられるかもしれない。 まったくもって恐ろしい。 まったくもってごめんだ。 裁判員制度なんて絶対反対の私。です。が。 今日、耳かき事件の判決がありましたね。 無期懲役に少しほっとしてしまったのは、私だけではないでしょう。 もちろんご遺族にとっては腹立たしいに違いなく、軽率な事は言え ませんが、一般庶民の単純な感想としては「そんな恐ろしい事私が 決められないよね」と言う軟弱な感覚が「保留」としての「無期懲 役」を心で選択したものでしかなく、裁判に参加していなかった 以上なんの根拠もない理由なのです。本当に申し訳ない。 一般庶民の感覚を裁判に盛り込んでいこうと言う意図ではあるが 私は逆に、誰かの人生をジャッジするシステムに参加することで 一般庶民の方に今までと違う目線を持たせることにはなるのでは ないかと言う気がします。なかなか犯罪者を家族やお友達に持って いる方は少ないかと思います。やっちゃった側のストーリーは全て マスコミが持ってくるのが我々の日常です。でも、例えばお友達 の中で「どうしようもない」と言われている奴がいて、でも改めて そいつの話を聞いてみると「なるほどそう言う事ならわからんでも ないが」ってのと同じ様に、実際に実の犯人から話を聞くと想像 していたものと全く違った事件背景や歴史や人格が見えてくるだ ろうと思うのです。新聞やテレビの前で「こんなやつ死刑死刑!」 と言ってたお父さんも、ぐっと黙ってしまう事実を裁判所で聞いて しまうでしょう。 それは、かなり衝撃的だし、大事だと思うのです。 事件はどれも特別な人が起こしたものでなく、まったくもって普通 の人間が起こすのだと言う、恐ろしく、驚ろしく、そして悲しい事 実を、私達は知ろうともしないで生きてき過ぎてしまったのでは ないでしょうかね。 しかしそれだけなら、裁判を見学する義務を庶民に負わせるだけで 良いのかも知れません。そこで見た事聞いたことを教訓に生きてい きましょうって。気が楽な分、面白かったよねーで済む。 残念ながらそうはいかない。 その食卓で朝刊を読みながら死刑宣告していたお父さんの様な家庭 内裁判官が、どうどうと裁判所にて裁判員となり、公の議論に参加 することになりました。 裁かれる人には当然、裁く人にも、双方において人生忘れえぬ日に なるに違いありません。忘れられるはずがありません。 そのお父さんは、わたし。そしてあなた。 きっといい面もありますよねーなんて言っていたのも束の間 明日、召集があるかもしれないのです。 ちょっと待って!まだ心の準備が・・・! この人死刑にしますかしませんか会議。 ああ、恐ろしい。 本当に恐ろしい。