小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

つながり

久々にうららかな春の陽気。 近所の公園で思い切り双子を走らせる。いつもは防寒フリースぐる ぐる巻きでバギーに押し込められているモカさんもこの日は抱っこ されベンチに腰掛けてひよひよの毛に風を受けていた。 彪が走ったとたんに転倒して地中から飛び出していた木の根っこで 鼻を強打。マンガで絆創膏が張られる位置へキレーにスマッシュ流 血し鼻がぶーっと腫れて膨れた。モカモカを抱いたまま惨状を見守 っていたが、どうやら病院へは行かずに済みそうだった。 その時、私の腰掛けていたベンチを諦めようと方向を変えかけた おばあちゃんがいた。彪を気にしつつも「あ、どうぞどうぞ空いて います」と私の隣を指差しお引止めした。「いいんですか?ありが とうございます」とおばあちゃん。「あらあらあらかわいらしい」 と我が家の朝青龍に目を細めて下さる。遊んでいる双子を見て興味 津々<双子について不思議に思っていた素朴な疑問>をいろいろと 尋ねて来られる。「年子とどっちが大変か」とか「同じ物を欲しが るか」「どうやって授乳したか」とかいつも聞かれる他愛のない そんな話だ。だけど私は機嫌よく饒舌に答える自分に気付き、この おばあちゃんなんかとても気持が良いな~と感心したのだ。 「この人のおばあちゃんはまだ70前ですけど、私のおばあちゃんは もうすぐ90になるんですよ。私の母つまりこの人のおばあちゃんが 面倒を見に行ってますけど、2歳の双子とまったく同じく日に何度 も同じ話をしなくちゃならない食べる物も柔らかくって塩分控え めでまったく同じ。でも同じ話をせがまれてもなんでも子供はかわ いくってしょうがないのに自分の母親にゃ腹が立つのよしょうが ないわね~って言ってますよ」なんて言うと笑って「どうですか 。90歳ってどんな風ですか?」「どうって言いますと?」「何処 までみてもらってますか?どうなりますか?」「いえ全然寝たき りとかではないです。ただ本当に日に何度も同じ事を言うってだ けで」「それはまぁお幸せなことですねぇ。90で生きるってどん な風でしょうね」と。日常会話より少し踏み込んでる感じがある のでちゃんとテーマを話し合ってる実感があるのだな。受け答え も反応も早くて的確。本当に見かけはごくごく普通の梅干系ばあ ちゃんなんだけど、いったいどんな人生歩んで来られたのかな。 そのうちモカが目を覚ました。おばあちゃんに手を指し出してい る。「わーうれしい。でもおばあちゃん手が汚いから触れないよ。 シワシワでばっちっち」と。「最近のお母さんは皆さんウイルス やら何やらとても心配されているでしょう?私も容易に触っては いけないと気をつけています。シワシワでやーね」とモカを見て 笑う。思わずその誰かにキュっと腹が立つ「そんな事ない。優し い手ってよ。ねモカちゃん触ってもらいなさい」とモカの手をお ばあちゃんの手に近づけていった。「いいんですか?」と言うが 早いかしっかりとモカはおばあちゃんの手を握った。そしてまさ に破顔の笑み「ナイスモカ!」と私は心で叫んでいた。だってそ の瞬間のおばあちゃんの笑顔はそのモカの100倍くらい輝いて本当 に本当に嬉しそうだったから。「あったかい。柔らかい。こんなに 小さい人に触れるなんて、なんて久しぶりだろう」モカの手はいつ も恐ろしく冷たいのだがそれを温かく感じるなんておばあちゃん の手はもっと冷たいんだ。その90になる私のおばあちゃんも、モカ を初めて見せた時同じ事を言って、ずーっと抱いていた。子供を たくさん育ててもっとも子供の側にいた人生を送ってきた人達が、 年老いてその小さな塊と一番遠くに暮らしている。孫でなくても 誰の子だってそういうのはもうぜんぜん関係なく、きっと大きな 命の流れを小さな手のひらから感じ取っているんだろうな。年寄り と赤ん坊は一番遠いものじゃなく隣同士もののはずなのに、そうな れない世の中ってとても寂しい。こんなにきちんとしたおばあちゃ んですら疎まれて仕方ないと思っているなんて。 その時、私の友人が現れておばあちゃんはさっと席を外し彼女に譲って、 これまた遠慮させない絶妙のタイミングで帰って行った。 老いた者に学ぶべき事だとか相互扶助とか、そんな狙い済ましたつ まらない事でなく、普通に年寄りと赤ん坊が気楽に暮らせるふっく らと豊かな世の中は、素晴らしく贅沢で健康なのにそう出来ないで いる。そうしない世の中を作っているのは他でもない赤ん坊と年寄 りの真ん中にいる私達だ。その人の孫でありその子の母である私達 だ。 なんてセンスがないんだろう。 なんて面白くないんだろうね。