小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

考えて感じて考えて感じて Spice of Life

私がままかを始めた頃18年位前かね。

ベトナムで日本語教師をしてる友達が、技能実習生を教えていた。当時有名な起業家が彼らを買い取るみたいにして極寒の避暑地にある建築現場に連れて行ってたけど、あまりの過酷さに多くの実習生が逃げ出した。彼らはこっそり公園で寝て、日雇いの仕事に出かけ、毎日1個のカップラーメンでたくさんの貯金をした。やがて故郷に旅行代理店やパソコンショップをオープンし日本人と結婚。えげつないとかいう人もいたけど、私はよくやった!しかなかったです。あの頃から日本はこんな感じ。

 

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当時なら泥水舐めてもお金稼げればという人が、数多くいたかも知れない。でも今の日本ではリターンがそれ程大きいと思えない。

「とにかく働ける人が減っていくのだから来てほしいが10円でも安く雇いたい」といったところだろう。


外国人雇用は「学ばせてやっている代わりに安く雇える」といったものでも「言葉が出来ないのを大目に見る分安く雇ってやる」ものでもない。契約のある対等な関係です。それを経営者が腹から理解しなければ、まず社会の中で外国人労働者のイメージレベルがあがっていかないんです。

まずは、きちんとした雇用契約に基づいた安全と給与の確保。それがあってこそ彼らへの人権意識は高まっていく。帯同の家族は熱が出れば病院へ、子どもたちは公立学校へ安心して通えるようになる。そして彼らは日本で有力な消費者にもなるのです。

しかし今のままだと日常で軋轢や差別が起きてしまうだろうね。


地方都市ではすでに定着し始めて、うまく機能しているところもある。そういう場所では外国人から明るい気持ちでサービスを受けられる。どうやってコミュニケーションをとっているのか、真似したいモデルケースだなぁといつも思ってみている。こういうのは、国にこうしてどうしてと言ったって目の前の事象には間に合わない。

目の前の外国人を支えるのは、関わりあう我々なのですよ。お上は、その我々を支えればいい。末端の顔が見える関係以外のところに問題を逃がすと、絶対ズレる。

 

さぁ大変。ゼロから学ばなくちゃならない意識改革。大きなレッテルで「外国人」を見るのではなく、目の前のこの人と穏やかに有意義に過ごそうと思うこと。互いの違いを面白がること。これは子どもたちの為に頑張らなくちゃですよ。

 

子どもの時から、いろんな人と知り合うことはとてもいい事で、「〇〇人」と聞いた時に、「あの子とおんなじだなぁ」って名前が浮かんだりすると、不安から生じる疎ましい気持ちはなくなると思う。本当に些細なことだけれど。

 

うちの子は6歳でこっちに来てすぐイスラムの学校に入ったんだけど、90%が褐色からブラックの肌色です。ぴっかぴかの可愛いチョコキッズがたくさん!南アジアからアラブ、アフリカの子どもたち。完全に黄色いうちの子は少数民族です。さてしかし子どもにとって重要なのは「僕に話しかけてくれる子」「えんぴつを拾ってくれた子」「背中をばんばん叩いてくる子」など、自分とどう関わって来るかということで、肌の色なんて気にしてる暇はないわけです。先生もインド、バングラデッシュあたりは、腹に響くような語気の荒い英語で、でもそんなのは生活と共に慣れていく。そこを離れた今もなお、肌の色を怖がって会話を避けたりはしません。むしろ得意です。

 

だから、肌の色なんてどうでもいいことだ!

というわけでは全然ない。

有色人種の定義を「自分も折り込みながら」デリカシーをもって理解していく。

考えたり、感じたり、考えたり、感じたりを繰り返していく。

 

いま日本で暮らしている子どもたちが、将来何処で誰と暮らしてもいいように、違いを認めて面白がりながら、考えて感じて考えて感じてをして欲しいなと思う。

いつの間にか、偶然スタートしたプチ留学の活動も、めっちゃ同じことです。「どうして人と違っていてはいけないの?」違いを面白がれない国でお互いの首を絞めている。その同調圧力をぶち切るには、思い切って一度ポーンと離れるのが一番いい。人の目を気にしないで自分と向き合う。他者と出会う。

そこから、誰かと生きていくために、考えて感じて考えて感じてがスタートするんですよ。

 

私ずっと在日問題をやってきているのでね、そういうのほんと夢だな。

長い長い在日との暮らしの中で、日本人は同化する事ばかりを求めてきた。個が違ったままマーブルの様に混じりあうことを避けてきた。どうして違うまま共に暮らせないのか。どうして同じでなければ不愉快なのか。

 

いろんな人をまるっと認めてしまえるしなやかさが、人生を豊かにする。

多様性は人生のスパイスです。とてもいい仕事をするって思ってます。

 

 

不器用な小鳥たち

自己肯定感が低い

友達がいない

 

プチ留学の中で絶えない話題ですw

 

気持ちを分かり合える人たちの中に入って、喜びさえずる小鳥のごとく、プチメンのみんなはDMで盛り上がっていました。

 

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友達が出来ないこと。

それは本人に問題があるのでしょう?と言われそうです。いやそうかも知れません。でもなぜそれが問題なのでしょう。「友達がいないのは人として良くない」という思い込みは強固です。1年生になったら友達100人出来るかな?わくわくする歌だけど、人といるよりひとりの方がよほど孤独を感じずに済むものです。100人でおにぎりを食べる時、100人の中でひとりぼっちだったら、とても淋しい。そう思い込んでいる自分がいます。だけど、100人と一緒に山を登っても登っているのは自分自身です。風景を楽しみ、風を感じて、てっぺんでおにぎりを食べよう。一人の楽しみは失われていないはず。じっくりとトレッキングしようじゃないか。クラスメイトやご近所づきあいの中で、友達が出来ないのは当たり前です。たまたまそこに居合わせたご縁のある方たちだけど、気が合うとか価値観が合うかとかで集まったわけじゃないですから。程よい距離感で居心地の良い関係でいたらいい。この関係これはこれで、すごく自分を救ってくれることがあるもんです。私も屋台のおじちゃんとかのちょっとした声掛けでホックリすることはよくあります。クラスメイトも同じです。朝から晩までべたべた付き合わなくてもいいんです。学校は自分がツンケンしないで気分よく居心地よく過ごし、たくさん勉強してくればいい。誰にどう思われているかを気にしないですんだら、急に焦って友達つくらなくちゃとか溶け込まなくちゃとかに追われなくて済むようになります。もう我々は洗脳されちゃってるから、この解脱はなかなか難しいのですが、そうありたいものです。ひとりが楽しくなったら、どこへでも行けるようになる。誰とでもいられるようになる。

  

否定されるのではないかという畏れも大きいですよね。何度となしに否定されてきた経験。大事にしてもらえなかった経験がそうさせているのでしょう。自分が好きになれない、といっぱい聞きました。でもこの自己肯定感の低い人って、向き合ったこちらはとても話しやすいんですよ。自己低ジコテイ(新語)は謙虚だし穏やかな人が多いです。私はその人たちと向き合って話しながらワクワクしたし、いっぱい笑ってとてもチャーミングだな楽しいなと感じました。ひとりを楽しく過ごすなら自分と遊ばないといけないので、出来れば自分のこと好きな方がいいです。ぜひ自分の魅力を知って恥ずかしがってほしい。自己低(新語)なのに、「でもでも星人」な人は実は芯がとても強い。自分を認めない世の中が悪いとすら思っているのではないか。いいではないか。いいのだよ。ぜひ自分が強いってことに気づいてその強さを許して世界を許して、いやいや星人脱却出来たら楽だろうなと思います。もうどうにも自分が好きになれなければ、それはそれでいいと思ってしまうのも爽やかですよ。否定されることが怖くなくなったらいいわけね。それは完璧な自分をあきらめるってことなのかな。

 

仏教用語であきらめる、は明らめる

執着しない、とか、明らかにする、という意味だそうで

粋だなと思います。

どうせ死ぬわよ。楽しくしたい。そう思います。

 

プチ留学で集まった人たちの価値観は近いものがあります。私が募集をツイッターにこだわっているのもそれです。「こんなことを言ったら変な人だと思われる」毎日は知らず知らずに自分を抑圧していきます。「何を言ってもいい」世界があるとしたら、それがここです。私はそうあれと思っています。自己低だってなんだって、みんなそこそこいい年をした大人で結構な道のり苦労してきました。ちょっと変な人でもそれなりに受け止めて受け入れていきます。私は黙って見てますけど、さすが似た者同士のナイスフォローは見事。大事にしているものが近いってすごいことです。

プチ留学は、生き難さとか、不調和とか、思いわずらいとか、そんなことを感じたことがある人たちが多く集うので、その部分に関してはお互い受け入れようという姿勢を感じます。きっと多少抵抗あったりもするだろうけどまず受け入れようとしてる。昨日まで全然知らなかった人が、ほぼ無条件で否定せず話しが弾むのはすごい解放感をもたらします。どんどん楽しい気持ちになる。このままでいいんだよってお互いが言い合うことで、自分にも言い聞かしているのかも知れません。もちろん、そんなんキモいという人もいますでしょ。嫌な思いをすることもあるでしょう。手を広げている人もいる。でも飛び込んでいかない人もいる。それもまたプチ留学。近いってことは違うってことでもある。ひとりずつ人は違うことが当たり前、もう同じにならなくていいよってタイが、学校が教えてくれる日々ですもん。プチ留学の中では余計な圧力を感じずにいて欲しいものです。

 

理想的でしょ?だからプチ留学は非日常なんだよ。

だけど、これを腹にしまって日常に持って帰る。

そこからがはじまりなんだろうなぁ。

 

明らめて、受け入れて、許すこと。

手放して、丁寧すぎず、適当に。

人のせいにしない。

修行か!でも、基準は自分が楽しいかどうかで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その偽物は、本物ですか?

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Sex Robbots and Us を観て。

 

私はロボットが好きだし、クオリティとかリアリティとかって話には目がないので、思わず引き込まれて最後まで観ました。終始、興味深く。

 

1.現実と妄想の区別もつかないのか。

2.こういうもので発散できなくなったら生身に手を出すぞ。

 

二次元表現に寛容な人々がよく口に出す言葉です。

 

1.区別くらいつくわカス。

2.お前の脳は梅干し大か。

と、即答してきました。

 

でもVTRを観ながら、そういう単純な問答では片付かない時代になってしまったのだなと思い知りました。 

 


Sex Robots and Us (Full Documentary)

 

 

まず、孤独がすごい。

世界中が孤独。

特別な関係の相手もおらず、思いを果たしたい人もいるだろう。なんらかの事情で、生身の人間と関われない人も。そして自分の嗜好を他者に向けることが出来ない人も。相手が必要なことは容易には叶わない。だから必要な物なのだ、というのもありなんでしょう。そして出来ればセックスをするのにそんな事情いっさい考えたくない。好きな時に好きなだけ。それを叶えてくれるのがロボット。すべての煩わしさからの解放だ。いつも同じ態度で優しく接してくれ、うるさいことを言わず、何でも受け止めてくれる。人間には求められない無茶な要求までも!

 

解ってくれる!

受け入れてくれる!

 

でもその無茶な要求は、人間に向けて沸いた欲望で、人間にやりたかったことじゃないのか。いつも同じ態度で優しく、うるさいことを言わないで、解ってほしいという欲望は、人に向けられたものではなかったか。

全ての煩わしさから解放されたかったのに、セックスというものそのものが、ヒトの気持ちを追求する行為だったのだと思い至る。

まるで鏡の世界だ。

 

人の欲は闇だ。

溢れんばかりの孤独がうずまく闇だ。

 

想像だけど、購入者はロボットに優しく接するのではないかと思う。

ドール愛好者はすでにメディアにも登場している。

ロボットに出来ないことは愛を返してくれることだが、皮肉なことに、永遠に愛で結ばれることの出来ないロボットだけが人の身勝手な愛に寛容だ。

 

 

プレゼンターが子どもサイズのロボットを見て涙を流したことを、すぐに共感できなかった人は多かったのではないかと思う。あらゆる欲望が手に入る東京やバンコクで、この手のものはもはや、人を売ってるわけじゃないからましな方。とも言えるだろう。しかしよくあることだからいいってわけじゃない。

幼いボディを発見した時のプレゼンターの感情をもう一度想像してほしい。

私はここでその感情をどうやって文章化しようかと小一時間悩んだけど、適切に表現できなかった。動揺、は感情じゃないけどやはり適していて、あれを見て「ああ!」と思うんだよ。あまりにも残酷でむごいことなのだよ。

 

例えばこれが自分の子どもにそっくりのロボットで、それが買われていったとしよう。本人じゃないのだからと、我慢が出来るだろうか。

あらゆるエロコンテンツに自身の性が多用されることに慣れすぎて、私自身が女であるのに、等身大の女の形にはまったく驚かなかった。人によっては首のない子どもの形でもピンと来ないだろう。でももし、それが自分の子どもの形をしていたら?

日本人はどの国の人よりも肉体にこだわる民族だと思っている。どんなに遠いところでも墜落事故があれば、故郷に肉体を持って帰ろうとする。死んだら魂になって故郷に帰れる国とは、違った概念があると思う。腕の重さとか、肌の質感とか、髪の匂いとか、日頃私たちが五感で感じている体の具現化。きっと日本人はすごいクオリティで作り上げるだろう。私たちはきっとロボットに心を寄せることが出来る。

あのスピルバーグのAIみたいに。 

 

フィクションとノンフィクションの境目はどこか。

妄想と現実の区別もつかないのか、と堂々と仰る方は、笑いながらロボットを殺すことが出来るのか?目の前にあるそれが偽の命だったとしても、そこからあらゆる感情が引き出される対象である以上、自分の感情はリアルなのだ。目に見えないが、現実としての情が発生する。

ボコボコに出来るロボット、サンドバックロボットも欲しいな、という意見も目にした。そんなことをいう奴はもう終わってるし、そんなやつのために便利なコンテンツとして暴力が産業化されていくのはまったくもって不快。命があるとかないとかどうでもいい。痛めつけられたり壊されたりする様を見たくはない。

同じように、その幼い体が引き裂かれる様を容認できない。現実の子どもと縁を切って冷静に見ることも出来ない。本体は痛みも感じず死にもしないからこそ安心して子どものロボットを買うという人もいるんだろう。しかしそれを買う人が本当に一番したいことは、生きた本物の子どもを愛し愛されたいということだし、永遠に叶わないその欲望を再認識することになる。だから犯罪が増えるかとか、ついに生身に手を出すかどうかは、個体差のあることだからわからない。ただ、すべての煩わしさから解放されるために命のないロボットと交わるのに、愛とまったく関係ない世界になんかいけない。

だいたい、愛と関係なくやりたいことが出来る人は、もともとロボットなんか要らないのです。もう人間でやってます。

 

胸糞の悪さや怒りというよりも、かなり悲しい。

孤独と欲の闇の深さが怖い。

そして、私たちのリアルの輪郭など、実に曖昧で壊れやすく頼りないことを知った。本物そっくりなフェイクがリアルを連れてくる。妄想と現実の境目などもともとなかったかのように。この市場はすごい。ますます求められ確実に大きくなるだろう。

人が人から逃げれば逃げるほど、求めていることを知ってしまうパラドックス。己の闇がますますむき出しになってしまうという不条理に痛んでいるうちはまだいい。今の私たちのようにいつか人は必ず慣れる。その時、どうなるんだろう。

 

ロボット大好きなんですよ。

便利とかすでに死んでるとか思わないで、ロボットも大事にして下さい。

これね、ないがしろにしていい都合のいいものを求める下劣さなのですよ。それがちまたに溢れかえってて、これはその一部。

結局、人が人を大事に思えるかどうか、そこを問われているのではないかな。

だから、超危ういと思っている。

 

いま湧いたんだけど、あの小さなサイズのボディを見つけた彼にシンクロするとね「戦場の死体の山から子どもを発見してしまった時」の「ああ!」にとても近い。どうしてこんなことにと。あってはならない事実、償いきれない懺悔、贖罪。

さらに、脳裏をよぎったのはクローン羊や人豚ハイブリッドなど。欲望を弄くり回すことは、別の命で人の命を補ったりする事と同じ。神の領域への踏襲だ。命も欲望も、なりふり構わず全てをコントロールしようとする今、私達はどうやって産んだり育んだりしていくんだろう。

私は自由な表現を好むし倫理的な人間でもない。でも胸に一瞬の痛みが走ったことをよく覚えておきたいと思う。たかが空っぽの体の事だが、そこには何かがぎっしり詰まっている。

 

つながり

朝一番に見かけたツイートが、すごく不快だった。

 

ざっくり言うと、「かわいいわね」って赤子に近づいてきたけど、「でも触っちゃいけないのよね。娘にも言われているわ」って爽やかに去っていった人にとても気の利いたBBAだったと。

その行為を褒めて、ぶら下がってるリプも「ほっこりしますね」「いいBBAだ」と、たくさんRTいいねされていた。

「足の先っちょくらい触らせてあげてもよかったかもねw」って。私には何がほっこりなのかさっぱりわからない。

小さな赤ちゃんを育ててるお母さんが、病気や暴力を恐れて人に触らせないように過ごしているのはよくわかっています。

でもさ、自分に都合よい行動をしてくれた人を

ナイスBBAって。

私ももうBBAだし従ってわたしの母もBBAじゃない?こんな言い方されるんだなぁ。

ほっこりいい話にしてる20代の若いお母さん達みんなが違和感なさそうなのに衝撃うけました。

もう言われなくても人の子どもなんか触りません(真顔)

 

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このツイートを読んでいたら、昔公園で会った

ステキなおばあちゃんを思い出しました。

そのおばあちゃんとうちのグレイトな娘のお話です。8年前の記事ですが再掲します。

 

つながり

久々にうららかな春の陽気。
近所の公園で思い切り双子を走らせる。

いつもは防寒フリースぐるぐる巻きでバギーに押し込められているモカさんもこの日は抱っこされベンチに腰掛けてひよひよの毛を風にそよがせていた。


彪が走ったとたんに転倒して地中から飛び出していた木の根っこで鼻を強打。マンガで絆創膏が張られる位置へキレーにスマッシュ流血し鼻がぶーっと膨れて腫れた。

モカを抱いたまま惨状を見守っていたが、どうやら病院へは行かずに済みそうだ。

その時、私の腰掛けていたベンチを諦めようと方向を変えかけたおばあちゃんがいた。彪を気にしつつも「あ、どうぞどうぞ空いています」と私の隣を指差しお引止めした。「いいんですか?ありがとうございます」とおばあちゃん。

「あらあらあらかわいらしい」と我が家の朝青龍に目を細めて下さる。

遊んでいる双子を見て興味津々<双子について不思議に思っていた素朴な疑問>をいろいろと尋ねて来られる。「年子とどっちが大変か」とか「同じ物を欲しがるか」「どうやって授乳したか」とかいつも聞かれる他愛のないそんな話だ。

だけど私は機嫌よく饒舌に答える自分に気付き、このおばあちゃんなんかとても気持が良いな~と感心したのだ。

「この人のおばあちゃんはまだ70前ですけど、私のおばあちゃんはもうすぐ90になるんですよ。私の母つまりこの人のおばあちゃんが面倒を見に行ってますけど、2歳の双子とまったく同じく、日に何度も同じ話をしなくちゃならない食べる物も柔らかくって塩分控えめでまったく同じ。でも同じ話をせがまれてもなんでも子供はかわいくってしょうがないのに自分の母親にゃ腹が立つのよしょうがないわね~って言ってますよ」なんて言うと笑って

「どうですか。90歳ってどんな風ですか?」

「どうって言いますと?」

「何処までみてもらってますか?どうなりますか?」

「いえ全然寝たきりとかではないです。ただ本当に日に何度も同じ事を言うってだけで」

「それはまぁお幸せなことですねぇ。90で生きるってどんな風でしょうね」と。

日常会話より少し踏み込んでる感じがあるのでちゃんとテーマを話し合ってる実感があるのだな。受け答えも反応も早くて的確。本当に見かけはごくごく普通の梅干系ばあちゃんなんだけど、いったいどんな人生歩んで来られたのかな。

 

そのうちモカが目を覚ました。

おばあちゃんに手をさし出している。

「わーうれしい。でもおばあちゃん手が汚いから触れないよ。シワシワでばっちっち」と。「最近のお母さんは皆さんウイルスやら何やらとても心配されているでしょう?私も容易に触ってはいけないと気をつけています。シワシワでやーね」とモカを見て笑う。思わずそう吹き込んだ誰かに、キュっと腹が立つ「そんな事ない。優しい手ってよ。ねモカちゃん触ってもらいなさい」とモカの手をおばあちゃんの手に近づけていった。「いいんですか?」と言うが早いかしっかりとモカはおばあちゃんの手を握った。そしてまさに破顔の笑み「ナイスモカ!」と私は心で叫んでいた。

だってその瞬間のおばあちゃんの笑顔はそのモカの100倍くらい輝いて本当に本当に嬉しそうだったから。

「あったかい。柔らかい。こんなに小さい人に触れるなんて、なんて久しぶりだろう」

モカの手はいつも恐ろしく冷たいのだがそれを温かく感じるなんておばあちゃんの手はもっと冷たいんだ。その90になる私のおばあちゃんも、モカを初めて見せた時同じ事を言って、ずーっと抱いていた。子供をたくさん育ててもっとも子供の側にいた人生を送ってきた人達が、年老いてその小さな塊と一番遠くに暮らしている。

孫でなくても誰の子だってそういうのはもうぜんぜん関係なく、きっと大きな命の流れを小さな手のひらから感じ取っているんだろうな。年寄りと赤ん坊は一番遠いものじゃなく隣同士なもののはずなのに、そうなれない世の中ってとても寂しい。こんなにきちんとしたおばあちゃんですら疎まれて仕方ないと思っているなんて。


その時、私の友人が現れておばあちゃんはさっと席を外し彼女に譲って、これまた遠慮させない絶妙のタイミングで帰って行った。

 

老いた者に学ぶべき事だとか相互扶助とか、そんな狙い済ましたつまらない事でなく、普通に年寄りと赤ん坊が気楽に暮らせるふっくらと豊かな世の中は、素晴らしく贅沢で健全なのに、そう出来ないでいる。

そうさせない世の中を作っているのは他でもない赤ん坊と年寄りの真ん中にいる私達だ。その人の孫でありその子の母である私達だ。

 

なんてセンスがないんだろう。

なんて面白くないんだろうね。

 

 

 

 

プチ留学2018<冬の陣>募集します。

■開催期間■ 11月中ごろ~12月21日

まずノンビザでタイに滞在できるのは29泊30日です。

22日から学校がお休みです。New Years Holiday(12月22日~2019年1月6日)

12月5日、10日は祝日です。8~10日に小旅行へ出られるとよいでしょう。

15日に大ままかバーを予定しています(参加は任意)。

この辺りをちらっと念頭に入れて予定を組んで頂けますと幸いです。

ビザが切れなければクリスマス休暇をタイで過ごすのもいいですね!

 

■最低参加期間■ 上記期間内において1週間以上

2週間以上の滞在をおすすめしています。

可能な限り、暮らすような滞在を心がけてください。たくさんの時間を使ってゆったりと先生やお友達と関わってみて下さい。

冬プチは日本の学校のお休みと重ならないので、二の足を踏まれている方が多いようです。そこで短期も募集します。まずはご希望の日数をお聞きして応相談ということで。その場合学費は日割りですが、短い方ばかりだと先生のお給料が捻出出来ず開催出来ないってこともありえます。ご了承ください。

 

■参加年齢■ 3歳~13歳■

現在SISはYear5まであります。Year5はおおよそ11歳が就学しますが、英語がまったく話せない子は学年を下げて対応しますので13歳くらいまで受け入れられます。

 

■参加費用■ 3歳~9歳 THB13800 ご兄弟お一人につき7500

      10歳~   THB14800 ご兄弟お一人につき8500

 

①上記参加費には1か月の授業料とままグロ家族年会費、プチ留学攻略ガイドブック(PDF配信)、施設費などが含まれます。

②ままグロ家族年会費はワンファミリー制。ご兄弟分は不要です(∩´∀`)∩ワーイ

③日割りは9日以下から、兄弟分や諸経費と合わせてお見積もりをお送りします。

④すでに家族年会費をお支払い済みの場合は差し引かれてのご請求となります。

⑤バンコクまでの交通費、滞在費、スクールバス代、各アクティビティの食費・交通費は別途必要です。

参加が決定された方へは正式な請求書をお送りさせて頂きます。

 

【募集期間】集まり次第終了。

ツイッターからのみ募集します。質問もツイッターで。

長期の募集が落ち着いた後で、まだ空きがあれば短期を二次募集します。

@mamaka_boss

 

 

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それでさ、昨日の続きだけど。

 

■学校で何をするのか→ただ生きてればよし。

英語がわからないのは当たり前。それを恥ずかしく思うことはないです。SISはイスラムの子どもたちが多く通っていますが、彼らの母国語も英語ではないのですよ。インド、パキスタン、バングラデシュ、アフリカ、サウジアラビア、シリア、イラン、イラク、モロッコ、タイランド。なので、英語が出来るようになるまでの大変さはみんなが知っています。そして話が出来なくても、人は身振り手振りや表情などのありったけを使って何かを伝えようとします。そしてちゃんと伝わることを知りましょう。小さい子は泣いたり怒ったりバタバタしたり雄弁です。でも大きくなるとなかなかそうはいきません。そして自分が英語で問題が解けないことを恥ずかしく思うこともあります。例えば10歳なら10歳の、13歳なら13歳のプライドで、きっと悲しくなることもあるでしょう。それはとても素敵なことだしうんと悔しがってください。でもよく見てみて。先生や友達は言葉ではないサインを送って何かを伝えようとしていますよ。とにかくどこかにヒントがあります。ああ!って思うことが増えてくると、悔しい気持ちはだんだん穏やかになっていきます。時々ボケーっとしたりしてとにかくそこで生きていましょう。

SISのお友達は、時々日本人の子ども達が遊びに来てくれるのを楽しみにしています。恥ずかしがり屋さんなので、なかなか目を合わせられないかもしれないけど、目の横が下がって嬉恥ずかしそうにしてるのも見逃さないでw

私の知ってるある子は英語がまったく出来ず中学生でバンコクへきて、今はタイで大学生です。日本にいると髪型がどうだとか、服がどうだとか、小さなことが違っているととても気になります。彼は眉毛がつながっていて、日本の学校ではそれをすごくからかわれていていやだったんだって。でもこっちに来たらインド人もアフリカ人も目の周りはもじゃもじゃで、全然目立たない。と、いうか誰もそんなこと気にしてない!もともと人間はみんな違うじゃない。人種によって骨格も肌の色も違うし、それぞれが何をかっこいいと思っているかも違うんだもん。違うことを前提に、一緒にやっていくにはどうやって許しあったらいいのか。そこだよね。小さいことに縛られていたら進まないw きっと、あなたはみんなと同じじゃないと落ち着かないっていうどうでもいいことから解放されるでしょう。それからお友達の顔をよく見せてもらってください。長くてくるっとした睫毛や(眉毛はつながっている)、漆黒の美しい肌、細くて長い手足。どれも私たちが持っていない美しさ。そしてきっとお友達は日本の子の美しさをみつけてくれます。食べるもの、着るもの、お祭り、そして神様。顔と同じように文化もルールも違うのです。お互いがそれ素敵だねって思って暮らせたらいいなと思います。いろんな人がいること、世界は広くて自分はちっちゃいこと。ちっちゃいけどひとりしかいなくて特別なこと。そして意外と強くてどこでもやっていけるってこと。

きっと実感できると思うよ。

 

■お父さんとお母さんへ

本当の主役はご両親、とくにお母さんだと私は思っています。

とにかく、がんばらないで生きてください。

基準は楽しいか楽しないか、やりたいかやりたくないかで。

タイは家事の代行も安く、けしてお母さんの仕事ではありません。

お父さんも人生の棚卸だと思って。↓これよく読んで。

mamakaboss.hatenablog.com

 

 

 

怪しいままグロ。会員権販売に迫る1

分かりづらいって言われている。

ふざけて書きすぎて真意が伝わりませんね!

①これからも繋がっていくプチ経験者

またはプチ未経験者で、

いろいろ相談を受けたい人、情報が欲しい人「家族年会費」買う。

すべてのお楽しみ(ままかバー、チャット、遠足、お茶会、一時帰国の時の出張ままかバー参加など)ほぼ永久オールインワンになっています。

次年度の年会費は1千円だから。

 

②その他は寄付に近いものですから、支援者の方々お願いします。

 

しかしどれもこれも寄付としても買えますので、組み合わせていっぱい買ってくださってもオッケーです。

 

ご購入はこちら↓

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私はTwitterでしかプチの参加者を募集しません。

ここ2年プチ留学についてつぶやいてきて、その誕生、変遷を見つつ「いつか参加したいな」と思ってくれている方と時間を共にしたいからです。

メンバーにもFBにあげてもいいですか?とかブログで紹介させてもらっていいですか?とか聞かれるんですけど断っています。広く知ってもらい多くの人に参加してほしいと思ってないからです。これからもよりレアでコアな存在でありたいと思っていますw。

それが授業の質を下げないことにつながるし、子どもたちを守ることになります。なので、参加を悩むとき「お友達も誘って」とか思わないで、自分で来ましょう。大丈夫です菩薩の手のひらでキャッチ!お~っとっとごめんねてへぺろ(●´ω`●)ゞ

日頃、私もいわゆる日本人の集まりなんて聞いただけでわずらわしいです。でもそれって「日本人」としてくくられただけのお付き合いだからだと思うのですよね。日本人と日本語でおしゃべりするのは大好き。話してて心弾む人とは喜んで会います。プチ留学ってそれだよねって思うの。

 

Twitterのいいところをうまく使って具現化した集合体。

第一回、Team August。奇跡のメンバーと呼ぶにふさわしいおっちょこちょいが、後先見ずに参加しました。ご縁とか選ばれし者そのタイミングは神様しかわからない。しかし結構いいマッチングにして送り込んでくるから神もやるよね。ここに集う人たちはいわば同じワードで検索かけちゃう隣にいない同志なのです。やるせない気持ちを分かち合うツイ廃。その輩と一緒に手探りで半年をかけいろんな準備をしました。余計な話もたくさんして「あとやってないのは顔見るだけ」w 会ったらエネルギーがスパークしてすごかったっす。ほんと。

 

今後、ますます出し惜しみする。

一方、ブログからくる人のほとんどは私が誰だか知りません。

タイの暮らしのことや、社会問題について書いているときにには感じなかったことです。私の話を楽しみに読んでくれる人たちがいて文章を書いているときにはなかった感触。

声かけてくる人は、値段しか見てない。

いやご本人は悪気ないのわかりますよ。子の為に必死に良い学校を探しているだけ。そして私にアポだけとらせて去っていく。学校ぼろくて人数少ないし先生も生徒も白人種少ないですからね。思っていたインターと違うんでしょうね。あまりいい顔もされません。だから学校見学って本当に大事だよね。あの学校の良い所って目に見えないんだって。目に見えないところにしか良いところがないとも言うよ?だけど値段だけ見て行った人は安いってこういうことかって思うんだよ。で、そう思ったらやっぱり行かない方がいいよ。でも日頃からラフィーザネタや学校のトピックを聞きかじってるツイッタラーは最初っから変な期待はしてないし、むしろダメなところも含めてニヤニヤしてくれる感じ。学校と価値観が近くないと幸せじゃないので、大好き!って言ってもらえそうな人になるべくご紹介したいなと思うのです。

学校の存続が危ぶまれた時には、なんとかしなくちゃって気の合わない人とも会いました。思い出してもゲンナリです。だからそれはもうしないのです。

会費は護身のお札です。

 

発端

最初は日本に帰国してしまった友の子を夏休みだけでもインターに戻らせてやりたいなと思ってあちらからオファーもないのに「行ってもいい?」って同志ラフィーザに相談したのです。そしたら2秒も考えないでOKだったので、調子に乗ってもう数名いけんじゃない?とジムで走りながらツイートしてみたら、なかなかの好感触。慌てて「何人まで大丈夫?」って聞き直したら「え?何人集めるつもり?w いやうちはいくら来てもいいよ。ただ実はさ、もし可能なら逆に20人以上集めてくれない?そうすると臨時で人を増やせるの」と。なるほど、中途半端じゃかえって迷惑なのか。ということで、25名きっちり集めて1度きりのつもりでプチ留学を開催しました。Team August。夏の終わりにふさわしい、爽やかな人たちそして惜しまれての解散でした。(いま嫌なことを忘れてしまっている)

 

不測の事態からの現在

しかし疲れも癒えぬ間にラフィーザが

「12月12日の査定に、生徒が50人いないと来年度がない」と言い出しました。

「どうするつもり!?」

「マーケティングしてる。それからお祈り」

お祈り・・・(´;ω;`)

神は私に人を集めよとラフィーザ経由で言っておる?

そうして集まったのがチームDecember。

査定12日の当日にお腹が痛くなっちゃう奴が出るのを見越して総勢35名。

ワイワイ来ました。

そして来る12日。なぜか査定の人は来なかった。どうして?って聞いたら、

「え?ああ、あれ書類で終わったんだよ。それってだいぶ前だよ」って。

「結果は?」

「祈って~」

どうやらマーケティングとお祈りで苦難は乗り越えられたようです。お祈りって聞いて「スっ」って笑った私にやはり神は微笑まないね。祈りの勝ちです。

 

この段階で2回しかやってないの?っていうくらい、本番まで長いんですよ。ほんっとにここに書けない事情がひとりずつにあります。もちろん私がその問題解決に乗り出すことはありませんが、ただそこから引っ張り出す方法は一緒に考えますけどもよさ。

 

 

そして覚悟をもって臨んだTeam August Season 2。終わってホカホカです。

映画化の噂があります。本当ですか?

私の役はキョンキョンか杉本彩がやるって(噂はDM内)

→今ここ

 

もとい

プチ留学は2週間以上の期間をつかって、バンコクのインターナショナルスクールと生活体験をする企画です。移住のシュミレーションも兼ねているので、航空券やホテルの予約、SIMの購入なども自分でやります。「何でも自分でやるコース」一択です。

大きな組織ではないので、その実際はフレキシブル。

合わせてカスタマイズも可能です。つーか、いろいろ聞いてるうちにカスタマイズされていっちゃうんですが、なるべくやりたくないなと思っています。忘れちゃうとやだからさ。

 

毎年同じ話を繰り返しますが、私がご紹介させていただいている学校は、熱心に教育移住を検討されているご家庭向きではないです。ここはケンブリッジ式のインターですがまだA-levelなども整っていませんしビザは外注でものすごく高いから、学校に頼れません。そしてタイでは永住権が取れませんので最終目的が永住権というご家庭は、もう迂回せずまっすぐカナダかNZに向かった方がいいと思います。ここは出来ないことが多いので安いけど他の学校は年々学費が高騰して、うっかりすると最終目的地に着く前にお金を使い果たしてしまうでしょう。

 

この学校の役割 

だけど、例えば放射能移住をうまく果たせず今に至ってしまったお子さんや、いま居場所を失ってしまっているお子さんにはお勧めです。どのインターもサマースクールなら外部からも参加を認めていますが、レギュラーの授業風景を見られるのは希少です。しかも短中期の体験が可能。英語が全く出来なくても友達とは遊べること、意思を伝えるのは言葉ではなく伝えたいと思う瞬発的な気持ちだと知ることはとても大きな財産になるでしょう。今日うまくいかなくても明日があります。しばらく休んでまた行ってもいい。なにがダメなのか自分を観察して、打開策を考えてみよう。絶対に行かなくちゃいけない所じゃない。そして絶対に行かなくちゃいけないという幻想から放たれた時、行きたくなったりするんだよwでもそれはたまたまの結果で、道筋は作戦でもなんでもないので親子して期待はしない。なるようにしかならない!また英語が出来ない子どもたちにとって、この学校が小さいってのがとてもいい。目が行き届きます。そりゃもちろんアウェイ感はありますよ。けど少人数だと変な威圧感は少ないと思います。

 

その学校で何をするのか

つづく

 

今だからこそ

 

私は今まさに12月のプチ留学の募集準備をしていました。

ガイドブックもめどが立ったところで販売と会員も募集します。

忙しくそのページ作りに追われていました。

 

そんな最中に、ジャパンが。

なんですか、週一で天災に見舞われています。

 

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こんな時にかなり調子に乗ったおふざけページを作っていてそれも金の話だなんて、あまりに不謹慎だからしばらく出せないかな・・・と思ったんですが、いやそうじゃないよね。今だからこそ、今すぐに外へ出たいって人、今回のでつくづく日本から出たい気持ちが固まった人がいるんじゃないかなって思ったんです。

さらに、帰ったばかりの夏2メンバーが素晴らしい。DMで被災してるメンバーを支えながらみんなで話してるのは、これからのビジョンや日本の行方。逃げるならどこがいいかと。たぶんプチに来る前までは、なるべくその場で頑張ってなんとかやり過ごそうとしてたと思う。でも今の彼女ら自分たちの避難時を見極められると思うし、いよいよとなればひるむことなくパスポートひとつに子どもの手を引いて、そこを離れることが出来るでしょう。だってつい最近だもの。空港でSIMを買い、ひとりでタクシーに乗り、指差しでご飯を食べていたのは。そのすべてが楽しかった。それが彼女たちの自信になってる。ちゃんと生きて帰りました。

 

自分には行くところがある。

難しいこと出来なくってもなんとかなる。

旅立ちにはときめきしかない。

大丈夫!

マイペンライ!


大空港2か所を破壊され停電も続いている中で、実際国外避難は現実的ではないかも知れません。でもいつか必ず落ち着く時が来ます。そのタイミングを頭に入れておいてください。電気や交通網が復旧しても、心はクタクタなはずです。

心を打ち砕くものからは速やかに距離を取ること。
ガラリと変わってしまった景色だけでも、人はとても強いストレスを感じます。いま海外旅行だなんて非常識と思われようが、自分だけよければいいのかとか言われようが、知ったこっちゃありません。そこから離れることであなたは、あなたのお子さんは、息を吹き返します。元の生活へ戻っていくパワーは、自分が元気になってからでもいいんじゃないですか。

在タイのくせして、熊本地震の本震を体験しました。その翌日私たちは家族で福岡空港からバンコクへ戻る予定で、地震明けの早朝タクシーに乗ったんです。
タクシーの運転手さんが言ってました。

「どうぞどっからでもタクシー、呼んで下さい」って。

私がお話したのはMKタクシーさんでした。お話がありがたくあまりに心強くてその場でツイートしましたっけ。比較的タクシーの出番が多い福岡などは、迎車が無料だったり他県の空港から福岡までの空港間送迎のパックがあったりします。ほんの1時間、2時間車を走らせるだけで、目にするのは圧倒的な日常です。人々は足早に道を行き、デパートはきらめき、あっけなくレストランは営業中です。タクシーの運転手さんは悪路にも詳しくて、パニック気味の自力避難より安心なのもいいです。


今回の被災地は広域でタクシーは走っていないかもしれません。でも、Twitterを追ってるだけでも、まだらに電気は復旧しつつありそこへ動いている方も少なくありません。避難所はどうしても動けない方々にお譲りして、自分は自分のストレスが軽減できる土地へ動く。お勧めです。旅行に出ちゃうなんて最高にお勧め。

 

と、いうことで、プチ留学攻略ガイドブックをいよいよ販売いたします。

これは今回、様々な会員特典や寄付のセットとなっています。

私以外みんなプロだからそりゃそうなのかも知れないけど、想像以上の出来栄えです。

夏メンはこれ一冊で乗り切ったとw思います。

 

↓販売ページはこちら

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 ままかグローバル

 

私、いま夏プチが終わってしばしの充電中でして大風呂敷でやる自信はないのですけど、もし今すぐバンコクへ避難されたい方がいらっしゃればお手伝いをさせて頂きますよ。私が出来る事はいつも同じですが。

航空券を買い、ホテルを準備するのは皆さんご自身です。

「なんでも自分でやってみようコース」一択。

もしそれでもよろしければいつでも飛んできてください。お子さんはこの機会にインターナショナルスクールに体験入学をしてみませんか?SISで大切にお預かりします。お父さんとお母さんはホテルでゆっくり休んでください。

タイはビザなしで29泊30日滞在可能です。

何組か集まるようならセットアップします。 

気軽に声かけてくださいね。

 

並行して、12月のプチ留学も来週月曜日10日に募集要項を発表します。

すべてTwitterで(@mamaka_boss)

 行いますゆえ。よろしくお願いします。