小事争論 こじ

アジア服・南国よろず屋ままかのボス。まだときどきちゃぶ台をひっくり返したりするけどだいぶ穏かになりました。

伝わることを疑わない

 

いま私はいくつかのミッションを抱えている。自分のやりたいことをある型に入れようとすると実はそういう事でもないんだよなって思ったりするけど、社会性を持たせるためにはしれっと型に入れてやらなくっちゃ人の目からは見えなかったりするからやってみている。しかしそれは私には大した問題じゃなく思え面倒臭い。本質を見失いそうになったり、余計なことを考えたり、まるでロングプレイングゲームみたいに進んでいる。そしていつも最後に思うのは、まぁ出来ることをやるだけだねと。そしてそれは誰からのお願いでもなければ、なんと、やらねばならないことではない!あれ?ミッションじゃないじゃまいか。

 

やらなくていいことをして悩んだりしている。

暇なんだな。

 

そうそう、昨日ね。学校さぼってかなりハードなお出掛けをしたので、ご褒美に子どもらをらあめん亭に連れてったんですけど、隣のテーブルにはゴルフ帰りのザ・日本のおじさんが7人迫力の空間。会話が聞こえちゃうからいろいろと思う所はあるけど、日本のおじさんもまぁ静かな生き物だよね。お互いにお行儀よく座ってご飯食べたよ。

 

宴もたけなわの頃合いで、仕切り屋さんが「もしもし、わたし○○ちゃん、うん、今からね、7人行くから。セブンピーポー。うん、あなたはわたしをやるのよ。あなたはわたしをやるの。わかった?はいはい、はいはーいオッケーバーイ!」

これ電話の向こうは、タイ人のマッサージ屋さんなんだけど、たぶんそんなに日本語上手じゃないだろうにリピーターをしっかり掴まえて電話で対応してえらいなぁと思う。またこの仕切り屋さん!のびのびとさぁすごいよね。身振り手振りは英語しゃべってる風でさ、伝わることを信じ切ってる。セブンピーポーとオッケーバーイしか英語入ってないのにちゃんと予約できた。しかも友達連れて行くのに誰にも遠慮なく自分の要求を押し通す。こういうのって意外と真似できないですよ。サバイバル能力。ちゃんとしてる人にこうは出来ない。いやちゃんとしてる人もきっとちゃんと出来るようになるんだけど、おじさんみたいな人は、ちゃんとしようとかって回路がなくてよりもっとコアな部分にダイレクトで強いシナプス持ってるよね。自信。そういうおじさんとタイはとっても相性が良くて、いっぱいいる気がする。ちゃんとしてなくても生きられるタイランド。お金さえあれば、ちゃんとしてる人カテゴリーに入れてもらえる。

英語圏で英語が話せないととてもつらい思いをするという記事を見るたびに、ひとことタイ語話すだけでちやほやしてくれるタイは楽でいいなと思う。それはタイ人的にはお金置いてってくれればいいだけなんで、なんにもこっちに期待とかしてないからなんだろうけど、一定のテンションで優しくていい加減なのほんとそれでいいと思う。空気読む国民性だしファミレス的、マニュアル接客なんて意味も考えず覚えてわりと得意なんだろうなと思うよね。ああ、やってるのか。やってるけどだんだんやらなくなってまぁいいやってとこ辺りからのタイクオリティ。まさに好い加減だね。

 

その後 「とんがらし!姉ちゃんとんがらし!」って大きな声を出す人がいて、フロアリーダーみたいな女性が聞こえてるのに聞こえないふりして他の人に全部指示出した後、ゆっくりとその人に向かって「だいじょぶ、ちょっとまって」っていなしてたのが良かった。とんがらしの国に来て絶対七味とのたまう男に「そこに食べるラー油とかありますよ」って私が言いたくなったんだけど、お盆に乗せられうやうやしくちゃんと七味出て来ました。勝った!らあめん亭、やるな・・・日本のおじさんのニーズを理解して裏切らない。このタニヤで生き残って行く術を目撃した。

 

よーっし、チェックビーン!って席を立つ時「俺ここもつから」「いやいやいやいや」「いいよ俺払う。夜おごって」(爆笑)「夜おごって」(大事な事だから2回言いますね)よーっこらしょーって元気に出て行きました。タニヤの夜は長いぜ。

 

立ち去った後のやんちゃなテーブルを見てモカがひとこと

「ブルガリヤ忘れてる」

ほんとだ!ブルガリヤヨーグルトがワンパック置いてある!

ラーメン屋のテーブルに忘れ去られたヨーグルト。

日本のおじさんは健康志向がツボってちょっとハッハ↑って笑ってしまったよ・・・ 

 

よし見習う。

わたしも伝わることを疑わずに迫力で押す。

 

 

 

冬プチが終わり、2017年が終わり。

 

まめに更新しながら冬プチの様子をお伝えしていこうと思っていたのに、書けない事だらけで、でも無事終了いたしました。

 

とにかく、まったく具体的でないかたちで後で何か書こうっとは思っています。ふふ・・・

 

今年はとにかくプチ留学がスタートした記念すべき年になりました。なんとなく始めた事だったのに、こんなにもどストライクだったのには始めた本人が一番驚いています。予想通り、と言う意味でストライクだけど、子ども達の大き過ぎる変化は想定外でした。傍らにいる子どもがみるみる変化していくそのドラマチックな様を見てうわ~っと嬉しさがこみ上げつつも「ヤバい。なにが始まっちゃったんだこれ」と思ったのは言うまでもありません。人に影響を与えると言う事は間接的であれ恐ろしいことです。わざわざ間接的と言うのも、私が何かをすることはないからです。いつもと違った環境に適応するために子ども達がする取捨選択がいつの間にか自分を変えている。またそこで助言をしたり慰めたりするのは同行する親御さんです。私は何もしない。

でも私がこちらに移住してきて感じたこと、インターナショナルスクールが教えてくれたことで一番大きな事が「問題が起きたらその物理的要因を遠ざけることで90%解決する」っていう魔法でした。この魔法は是非伝授したいんだよね。だってこれはだいたいの困難に使う事が出来ます。特にいじめには有効です。物理的要因を遠ざける、つまりクラスを変えちゃえばいいし、なんなら転校しちゃえばいい。日本だとどうしてこんなことになっちゃったんだ会議に出席させられて、やった方が反省を促され、やられた方は許すという行事をやらなくてはなりません。私自身「貸して」と言われたら「いいよ」と言わなければならない国に育ってだいぶ大きくなりまして、そうしなくてはいけない暗黙の了解から目が覚めることがまだまだあります。

 

誰だって誰かと暮らしていく為には、譲ったり我慢したりしなくてはいけません。でも出来ればそれが決まりだからなのではなくて、こんな時にどうされたらいいと思うかしらっていつもちょっと考えて、そんな話しも出来たらいいのですよね。自分勝手でいる為には、自分の心地よいスペースを作る努力がそれなりに必要だし、自分の心地よさってどういうものなのか結構な感性も必要です。そして自分を肯定してあげることも。

アユタヤへ電車で向かっている最中に、自分の席を譲って私たちの子ども達を座らせてくれた女性がいました。よーこさんが「この方にお席代を支払いたいんだけど、どうしたらいいかな」と言ってきました。でも、その座席はとても安くて支払っても座らせてくれている価値以上のものにはならないと思いました。タイ人のいいところはけして無理をしないというとこ。この女性にとって、子どもを立たせて自分が座っているということは耐えがたい苦痛なのかもしれません。そして後から乗り込んできた老夫婦がうちらの子どもらを横へぎゅーっと押しこんで、おばあちゃんを座らせ、膝に孫を乗せてじいさんが二カっと笑いました。そうして女性がせっかく買った座席指定はもうなんの意味もなくなったみたいになってゴトゴトと電車は行きます。座れた人立っている人、実は誰にとって心地良かったのか。それにしても彼女が多くの子ども達に譲った快適さはあまりにも大きく、深い深い感謝が湧きました。それはやっぱりお金でお礼出来ない事です。私たちがアユタヤで降りた時、じいさんはまたニカっと笑っていつまでも手を振っていました。席を譲ってくれた女性はいつ自分の席に座れるんだろうって我々は心配しましたが、それを決める事も諦める事も彼女次第で、じいさんはきっと彼女がいよいよ疲れたとあっては他の人とも相談しながらスペースを作る事でしょう。自分勝手とか適当とかって感覚が大事でけっこう奥が深いんだよなって思います。タイ人は自分勝手だから人の自分勝手にもそこそこ付き合うってとこありますよね。

 

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コ・チャーンから帰って来たのは昨日なんだけど、今日は花火を堪能する為にわざわざ家の近所のアジアティーク徒歩圏のホテルにお泊り。花火終わってからのカオスなタクシー乗り場を尻目にとぼとぼ歩いて帰ってバタンと寝ます。タクシーとかホテルとかって贅沢品は、そこで時間を買っているのだと思いますが、東南アジアはそれがとても安いので遊び方が自ずから変わってきますね。困ったらすぐ手を上げればどこからでも帰って来れてしまう生活に慣れてしまうと、たまに日本に帰った時、ええ!歩くの!?ガーンってなるw もう帰れないシクシクシク

 

ああ、でもちょっとお正月のキーンと水みたいな空気、青い澄んだ空が懐かしいな。

 

 

 

それでは来年もどうぞよろしくお願いします。

ぶんぶんぶんぶんブリブリブリブリ

 

 

 

 

 

 

 

見て見ぬふりは役に立つ

 

いつも誰かに値踏みされているような感覚

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いつかの恥ずかしがり屋の女の子は、うまいこと学校にフィットして楽しくやっています。彼女は前回のプチ留学で大ままかバーへの一般参加を募集した時に手を上げてくれ、わざわざ日本からバンコクまで来てくれたんです。しかし大ままかバーの数日前にちょっと我が家でお会いした時に、うまく話が出来なかった、みんなに気を使わせてしまった、と落ち込んでしまい参加できませんでした。彼女はとてもきれいな女の子で、恥ずかしがる様だって可愛いの一言に尽きるし、実際うちの双子も同席していたんだけどちゃんとコミュニケーションが取れていました。もちろん、恥ずかしがり屋さんのコミュニケーションですが、それは受け取る相手にそう伝わればその様な距離で向き合うのでまったく問題ないわけです。「自分がどう見られているか」という呪縛は、日本人である私たちにすっかり浸食しています。認識することも難しいんですから、手放せと言ってもなお難しい。だいたい他人は他人の自我なんて興味なくて当たり前。消えたって居たって自分も他人も気にしなくていい。しかし監視社会で暮らしていると「他人からどう見られているか」を検証する為に自分が他人を監視してしまうんですね。もちろん、彼女の恥ずかしがり屋さんぶりがそこから来ているかどうかはわかりません。でも少なくとも、彼女そのものを歓迎し、したくないことはしなくてもいい、言いたい事は言ってもいい言わなくてもいい。実は居ても居なくてもどっちでもいい。どんな気持ちでいるかなんて自分にしかわからないし、それを咎めらるなんてナンセンス、と言う世界。彼女は恥ずかしがっていても恥ずかしがってることを考慮されないからこそ自由なんじゃないのかな。知らんけど。「~~じゃないのかな?知らんけど」がすごく大事。あなたの事考えるけど、あなたのことはあなたにしかわからない。あなたの事は誰にとっても知らんがな案件なんです。

 

守っている視界では見えないこと

それと同時に、親の監視、加護からの脱却にもトライです。

SISはいい加減なので、アレルギーの除去食などいたしません。一応、申込用紙にアレルギーの有無と品目を書いているけど、それを学校側があらかじめ考慮するということもありません。なんかあれ?て思った時に読んでな~ってつもりで書いてますけどね。

インターで学べることの中で「セルフマネージメント」これは大きなテーマだと思います。何をどれだけ食べていいのか、食べたいのか食べたくないのか、今迄日常の中でさんざん制限されてきている食について、お母さんの手を離れて自分で考える。まずは食べたくない物が出たら「No」とジェスチャーでいいから伝えること。SISは食べたくない物を食べろとは言いません。食べちゃいけない物だけど食べたい時はどうする?それ自分の体にとって食べ過ぎじゃない?お母さんの言いつけを守れるかどうかが大事なんじゃないのです。欲望に翻弄されながら美味しい物にウキウキしながら、今日は特別だ食べちゃおう!とかすればいいんだと思う。誰かに頼ったら生き延びられないの。それを食べたら自分がどうなるか観察して知ること。これは言葉にすると難しそうだけど、生きる為には「好き、嫌い」で小さいうちから自然にやっていることです。

食に限らず、やりたくないけどこれやるかやらないか。とか嫌いとか好きとかを言うとか言わないとか、そういうことももちろんです。先生はかわいい生徒でも大勢いればうっかり忘れる事もあるでしょう。毎回自分で言うんですよ。察してなんてくれません。「先生、わたし今日は体育したくありません」「また?」なんて言いません。だって先生はいちいちそんなこと覚えていないもん。本当は覚えているかも知れないけど、覚えてないと思っていて丁度いいんです。察してもらおうなんて相手のジャッジに自分をゆだねない。だってどうしても体育やりたくないのでしょう?そしたら毎回、自分で言う。「I don't do that」「I don't like it」

親子でどうしたらいいのか話し合ったり助け合ったりするのはいいことだけど、そうっとコントロールしようと暗示を与えないで、手放して遠くから見て見ぬふりすること。これは日本人の親にとって苦しい修行です。

 

うまくいくコツは、自分が遊びたくてしょうがないからとにかく学校へ子どもを送りだそう。そっちはそっちで楽しくやってくれ!と思う事に尽きます。母よ遊べ!

 

 

 

冬プチがスタートしました。

いつの間にか、またプチ留学がスタートしています!

いつの間にかっていのは、私はお迎えもしませんし、初日の登校に付き合ったりもしないからです。そんなことえばって言うな~ですけど、なんでも自分でやるコース(妖怪ジブンデコース)はそんなもんです。でも夏プチを経て、やはりそれは間違ってないどころかなかなかいいと思っています。試行錯誤、トライ&エラーこそが旅の醍醐味。

 

今朝、とっても恥ずかしがり屋の女の子が、眉毛もじゃもじゃまつ毛くるくるのワイワイインド子ども達と一緒にバスに乗って行きました。お母さんも心配でしょうが、このよそのおばちゃんも心配して学校に連絡しまくりです。ご飯は食べられたかな~とか、おトイレ困っていないかな~とか。小学1年生の初登校のような心配ですが、ほんとにそう。新しい世界に足を踏み入れる時は、何歳でも1年生。

 

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大根とにんじんが水から出て来る料理ってなんなんだ。

最近ラフィーザが作ってるらしいんだよね。どんなだ。

 

そして迎え入れるSISの子ども達も、新しいお友達に興味しんしんです。

 

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これからどーっと入ってくるのでまた様相は変わるでしょうが、今日の所はみんな彼女にくぎ付けで、顔を覗きこまれたり触られたり、ついて来られたりと大変だった模様。

日本人村同様、イスラム世界も広くないので、新しい風に大興奮です。

 

いま、我が家は子らが通うタイのローカル私立にいろいろ悩まされているですけどwちゃんと出来ない癖にいわゆる全体主義的な事をしおってからに、日本的な教育を目指しているのを感じます。つまりなにかあってもだいたい対応は想像がつく。

ところがですよ。インターナショナルと言うだけでずいぶんと価値観が違うのに、輪を掛けてイスラム世界なわけです。もうわけかわめです。それがすごく、いいんですよね~。今日の第1号も、何かを恥ずかしがったり自分がどう見られてるかってこと以上に、「ええええええ!なんじゃこりゃあああ!!!」が勝ってしまってると思います。

お家に帰ってお母さんとお腹抱えて笑ってね。

 

良いスタートになりましたw

 

お父さんのためのプチ留学

 

 

 

私の移住を阻むもの~♪ が、ジッタリンジンのプレゼントで歌えますね!とたくさんのお声かけありがとうございました。

 

ついでに作ってみましょう

 

私の移住を阻むもの~

ペットと夫とPTA

相談したけれど~ 英語あかんやろて~

相談したけれど~ そんな金ないで~

バイバイお父さん、こっそり申し込むわ ててててん

 

 

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「プチ留学の話になると機嫌が悪くなる」

「ことさら治安の悪さなどをほのめかしてくる」「衛生面での不安をかきたててくる」「食文化の違いを強調してくる」など、お父さんたちの拗ねぶりが話題です。大人げない!と妻たちは言う。しかし、逆の立場になって考えてごらんなさい。自分を置いて何週間も常夏の国へ行くという嬉々とした母子。家族の一員として淋しくならないわけがないではないか。

 

「自分の人生のが大事なのね」と6年言われ続けているお父さんですが、そんなことはない。子どもにはすくすく育ってほしいと思っていますよ。ただ、お父さんが現実(金)を担当している場合に、家族を路頭に迷わせるわけにもいかず、どうしてもつまらない大人の判断と発言になります。そしてもうひとつ忘れがちなのが、お父さん自身が、別の土地で輝いて生きていけるのか。これはとても大事なことです。お父さんにはお父さんの人生があるというのも真実です。

 

お父さんの人生を考える

子どもの将来を考えた。そしたら自分たちの人生についても考える。

ツイートでも何回か言いましたけど、お父さんが今お給料をたっぷり貰えていて良いポジションで、移住などとうてい考えられない充実っぷりだったらそれが最高に良いと思います。ただ私が思うに、母子がこれだけの生き難さを抱えている社会でお父さんだけが悠々としているわけない。これからお給料が上がって行くという期待もないし、むしろ日々矢面に立ち風を受け、考えるのも面倒臭いボロボロぶりではないかと想像します。お父さんこそ、プチ留学が必要。いつだってプチ留学の主役は子どもじゃなくて大人になっちゃうのどうなの?って思いますけど、実際、親が幸せじゃなきゃ子どもはちっとも楽しくないんですよ。

 

お父さんに、プレゼンするならそこです。あれから6年もこのまま生きてきて、もう脅迫は通用しないんです。もしお父さんがもう少し子どもと過ごす時間があったらなとか、仕事以外にも楽しみを持ちたいとか、自分は今よりずっと評価されていいはずだと思っているなら、そういう道を一緒に探してみてはどうでしょうか。どこで暮らそうと仕事は必要です。バンコクにそれがあるかどうかはわかりません。でもここじゃなくてもジャカルタでもハノイでもペナンでも、その土地には求められている仕事の傾向というものがあります。今よりもずっと充実した人生を送る為のキラキラ移住。海外に赴任出来る人を募集してる人材派遣会社もあります。日本から駐在で来るのが一番お給料がいいのでお勧めです。日曜日にゴロゴロしながら検索してみるといいと思います。

 

「じゃあお前やってみろよ。成功したら俺も行くから」

それには私が即答します。

「じゃあお前も日本で成功しろよ」

まずさ成功ってなに?外国でなん人も子ども抱えて働いて成功出来るなら、あんたが日本で成功する方が早くないすか?

 

でも実はこのセリフ結構聞ききますよ。

それを言うお父さんは「俺が子どもみてるから好きなだけ暴れて来い!」って言ってるわけないじゃない。そんなに行きたきゃ、俺に迷惑かけず、子ども抱えて仕事して順調に生活してみろよって言ってる。出来る訳ないと思ってるから言ってる。でも実はアジアならもしかしたら、出来るかもしれないんだよね~。お手伝いさんが子育てと家事をサポートしてくれたら、お母さんは全力で仕事に打ち込めます。「お子さん熱出したら休むんですよねぇ」なんてイヤミにも真っ向「お手伝いさんがいるので大丈夫です」とキリッと爽やかに答えられる。そんなところに後からお父さんがやって来るって言われてもねぇ、ご飯の文句言う人が増えるだけなんですよ。いっかい生活が固まったら、残念ながらもうお父さんを歓迎できませんよ? まぁ来ないんだろうと思いますが。違うのよ、なんでそんなこと言うのっての。奥さん真剣だよ?本当は行かないと思っているからそんな意地悪を言うなら、私奥さんの背中押しちゃいますよw

一番大変な子育て期間を、どんな風に家族で支えあえるのか、こっちの方が大事な問題なんですよ。そして万が一、奥さんが子ども連れて出てったら、お父さんがどんなサポートしてくれるかで人生が大きく変わるんです。

 

家族とこれからどうやって生きて行くか。

子ども達が巣立った後に、ふたりでどうやって生きて行くか。

移住を果たすことは不可能かもしれないけれど、もしかしたら別の場所で家族みんなが輝いて生きられるかもしれないってことについて一緒に考えてみる。

自分で高く設定したハードルを下げてみる。

プチ留学は別に保養でも養育でもないけど、予想を遥かに超えて子ども達に影響を与えているみたいです。自分の子がどんな顔で自分と世界をつかまえようとするのか、目の当たりにしてみたいと思いませんか?

子ども達が学校に行ってる間に妻とデートをしよう。バンコクはタイ料理だけじゃなくて、イタリアンだってメキシカンだってすごいレベルです。お父さんがいれば、ちょっと遠くにも旅行出来るし。

お父さん、一緒に行こう!って、あたしじゃなくてお子が言う。言いなさい子。

それがお父さんのプチ留学

 

お父さんを動かすものも、やはり楽しさそして「解放」

  

 

 

 

もし下見を兼ねるなら、絶対夫婦で来た方がいいです。街の空気、音、人、匂い、そんな初めてを是非、一緒に体感して欲しいなと思います。移住しないのにもったいないなんてケチケチしないで。もし二人揃ってピンときたら素敵です!

私たちはいつだって探している。

ここではない何処かへ。

 

 

選ばれし子ども達 ヒカルとしゅうや(3)

期を同じくして、我が家の双子兄・凛之助も不登校していました。

 

人と言うのは勝手なもので、こうして正義の味方ヅラしていても「自分の子は別」「うちの子はそんなに酷くない」などという言葉が一瞬頭をかすめるのです。しかし、学校に行かないに「別」も「酷い」もないわけですよ。凛之助がうまく表現できない違和感を、私は折に触れしゅうややヒカルの口から聞き、息子に重ねていました。

 

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「学校に行かない」という選択。「学校に行けない」という苦しみ。

簡単に自分の状況を肯定できない彼らは、凛之助の気持ちを想像してはなんとも言えない気分でいたと思う。簡単に行くのやめろとも戻った方がいいとも違う。「なんで。どうしてこんなことになっちゃったんだろう」という一言に尽きる。すべての障害物を取り除いてやるのは違うと思うけど、異変と思われる事態に気付いた時、親は前に立ちはだからなくてはならない。kaorucoちゃんは、これを毎日やってる。私も襟を正して向き合わなくてはと思う。凛之助はクラス担任と合わなかった。ここに細かくは書かないけれど、親のひいき目を7割引きにしても、凛之助は悪くなかったと思っている。転校も視野に入れての話し合いへ向った。「クラスを替えて下さい。双子を同じクラスにして下さい」要求はひとつ。そりゃずいぶん甘いなと思われるかも知れません。しかし離れていた双子が突然世界を共有する事もまたひとつの苦悩を生むんですよ。彼はらつねに比べられる。しかし「先生をコントロールする」VS「双子の問題を我が家の問題として対応する」で、我が家は得意な方を選択しました。他人様をコントロールするなんて出来ないうえに、その状況自体がすでに幸せではないからです。

 

 

 

そろそろプチ留学も終わりに近づいて、おおよそのメンバーが帰ってしまった週末。とるなん家とkaoruco家とままか家でプール遊びをしました。遅れて私がプールサイドに行くと、なにやら揉めていて、しゅうやが大泣きしている。どうやらヒカルがしゅうやの思い通りにならないということか。一生懸命対応しているヒカルが気の毒だけど、一度泣きだすと止まらないしゅうや。大人達はちょいちょい合いの手を入れつつの距離を取ると言う体制。「プリン買ってきたよ」と時々言ってみたりして。

 

でもね、その大声で言ってる罵詈雑言をよく聞いて欲しいの。「せっかく最高の日だったのに、お前のせいでクッソー!」「最高だったんだよ。せっかく最高に楽しかったのに」「最後なのになんでだよ!クッソー」もう楽しくてしょうがなかった。淋しくってしょうがいって言ってるだけだよこれ。「これからだよ~、まだ時間あるよ。プリン食べようプリン」プリンプリン言いながらなんとかプールからしゅうやを上げて、部屋の前で絶叫したりしつつも部屋に入るとちょっとホッとしたのかしゅうやがプリンを食べた。ヒカルは笑顔でみんなを部屋に案内したけど、実は結構やられてて部屋にこもって寝てしまった。甘過ぎて苦いプリン。今もしゅうやとリンクする。

 

気を取り直して、みんなの大好きなピザを食べに行った。とるなん家はサトゥープラディットのカオマンガイを食べに行くってバイバイしたんだけど、後日談になりますがここで彼らカオマンガイじゃなくて空港に行くべきでした!w

 

響き合う声

凛之助がしゅうやの隣に座っていた。凛之助がたぶん学校の話をしていたんだろうね。凛之助は話が長くてまどろっこしいので、いつも大人は悪意なく話をフェイドアウトさせてしまう。その時も最初の方は覚えているけど、いつの間にか違う話になってて、だけど凛之助は話し続けていた。そこに聞き手がいたから。それはなんとしゅうやだ。しゅうやは凛之助のストーリーをどこまで把握してるか分からないけど「悪口」とか「嫌な奴」とかしゅうやコードに引っ掛かるワードに反応してずっと真剣に聞き耳を立てている。そのうち「それで、そいつどうしたの?」「それでお前なんて言ったんだよ」「ひでえな」「どうして?」と話しかけながら、自然に凛之助の肩を抱いた。ものすごい近くに顔を寄せてじっと見てる。凛之助もとくに驚くでもなく「て、言うかさ、そんなこと言えたらこんなんなってねえって」「そうだよな!」「とにかく最低」「さいっていだな」

なんてこと。盛り上がっているではないか。若いサラリーマンの酔っ払いみたいだ。

 

面白い。凛之助としゅうやの周波数。過去を知らないのは当然で、同じ風景を見てるのでもなく、感情の波立ちも違うのだけど、ただそれはハーモニーみたいに、違う音を出しながら心地よくお互いが響き合ってる。気持ちが良さそうなんだ。人は誰かに解かってもらいたいとか思い過ぎなのかもしれないな。こうやって心地良さの中でお互いがいい奴だなって思えたらそれでいいのかもしれない。

 

コンドの前でバイバイした時は、もう全然しゅうやはお別れも平気になってて、凛之助に「またな!」って言ってた。しゅうやの周りにはサポートしてくれる人がたくさんいて、きっと別れ際には「しゅうやくんまたね!」って優しい大人が言ってくれているんだろう。だけど「またな!」「じゃあな!」「うん!」って同じ年頃の友達ってやつに、それを言えるってなんだかとっても素敵じゃないか。

 

凛之助もしゅうやも傷ついた分、誰かの気持ちがわかる子だ。それをお役目とするならだいぶ厳しい人生だけど、こういう子って確かにいつも貧乏くじを引くもんなんだ。双子の凛之助と彪之助。同じ遺伝子の一卵性双生児。だけど、いつも誰かに疎まれたりいじめられたりするのは凛之助。そういうと、凛之助にも悪い所があるんじゃないかって、昭和の親(我々)もちらっと思うんだけど、実はそうじゃないなって思う。例えばイライラをぶつけやすいのだとしたら、やはりそれはいい所と悪い所の表裏一体で、彼はきっと受け入れる顔をしているのだと思う。優しくておっとりしているんだ。そのいい所をキリッとしろ甘くみられるなと言うのはなんだかなと思う。でも傷ついて欲しくないから、ビクビクするなとは言う。人の目ばかりが気になると、小さい事に気を取られて大事なことを見失いがちだから。対してしゅうやには人の目ってものがあまりない。自分の世界で暮らしていて、しゅうやがアクセスして来ないとこっちからは入っていけない。そのしゅうやが凛之助の言葉に興味を持って凛之助が満足するまで話を聞いてくれた。そして凛之助の不器用さが、しゅうやのシグナルを発信させた。きっと今後もふたりともいい選ばれ方しないんだろうけど、ただその度に、人って捨てたもんじゃないなって思える結果になるように、関わりの中で少しずつ自分のことを理解していって欲しい。やがては世界に柔らかい親和感を持ってるようになってほしいと思う。まずしゅうやにとっては、同世代に気の置けない友達がいるっていう経験が世界に通じる鍵になるはずだ。そんな経験がこれからも出来ますように。新しく開く扉の先に恐怖しかなかった彼が、期待を持って扉の前に立てるようになりますように。

 

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プチ留学には、たくさんの子ども達が来ました。どの子もどの子も特別で大事な宝物です。そのひとりずつに物語がありました。kaorucoちゃんのお許しを頂いて、ヒカルとしゅうやのことを書いてみましたが、なんというか、彼らの変化には目を見張るものがありました。タイと言う土地のトリートメント力、環境を変えるだけで生活や価値観の変わる様、居心地の良さからいい気分が生まれること。目の前で起きる数々のミラクル。ここには書ききれなかったしゅうやの神の啓示のような言葉。そんなすごいもんをたくさん見ました。2月から8月までの半年を費やした準備期間、みんなで問題を乗り越えて、なんとかここまでこれてよかったな~と心底思っています。

 

たかだか、ひと月で解かる事なんかあるもんか。一週間、一年、どの期間をそこにはめてもやはり同じことを言われるかも知れません。だけど、それを見つめている目はあなたのものではなく、子どもの目です。一瞬でなにかをつかまえる子もいるでしょう。その子がどれだけのお土産を持って帰れるかわかりませんが、とにかく覚えていてほしいのです。少し淋しくて怖かったけれど、なんだか優しい空間だったこと。そこはただそこにいることを否定されず、役に立たない事を責められない。君は君のいるいまその場所で、この空間を作る事も出来るかもしれないよ。だってそれを知ってるから。

それでもダメならまた来ればいい。

君の生きられる場所は世界に、君の中に、無限にあるんだから。

 

 

 

 

 ヒカルとしゅうやーーー終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法のことば ヒカルとしゅうや(2)

 

プチ留学の総括も終わらないうちに、学校の危機がやってくると言う・・・神が私に与えた試練だったとしたら巻きこんでごめんね学校←うぬぼれやさん

私、あなたのなんなのよ。

あまりにも関係者っぽいんで何さまなのよと私自身思います。すみません。私的には「わたしはあなたのなんなの?!」って学校に対して思わずにはいられない今日この頃ですが、わたしが分かる範囲で事情を説明すると、どうやらわたしとSISのコーディネイトしているT.ラフィーザが友達ってことですね。わたしったらSISの父兄ですらない。この人は以前、うちの娘が通うインターで科学の教師でした。そして娘ちゃんとうちの娘がクラスメイトですごく仲良しだったのですよ。で去年、彼女は新しい学校を作るプロジェクトに参画することになり、わたしはその途方もない夢を遠くから応援しているよという感じだったのですが・・・いつの間にかずるずるとこの様な関係になってしまいました。

バンコクの長い長い夏休み、デジタルデバイスに溺れる息子達を通学させてもらったり(イスラムの学校とタイの学校は夏休み時期が違います)今は学校をやめてプー太郎の娘が、次の受験までの日々だらだら過ごすことなかれで通わせてもらってます。時間が短いから休み中に通っても不満にならないし、友達いるし、インドの先生の算数がめちゃくちゃ面白くて最高です。うちの場合タイ語を習得するというミッションがあるので現地バイリンガル校に通っていますが、なにかあったら最後はここに戻ればいいと思えるからこそ思い切ってチャレンジが出来ます。いつも笑って「好きにせよ」という彼女の、そういう場づくりにいつも助けらています。

ムスリムは、争いを好まない優しさとアンフェアを嫌うストイックさ、他はなんでもだいたいでオッケーな寛容さを持ち合わせていて、地味ですがすごくなんか落ち着くんです。バンコクの中でもけして多くないイスラム教系の学校で在タイの日本人からするとかなり変わった選択と思われると思いますが、おおらかな彼らだからこそプチ留学を引き受けられたのだと思います。あ~文句言おうと思ったのに誉めて着地w

許しの土地タイにおいて更に許される場所です。もうだらだらです。

 

 

ヒカルとしゅうや(2)

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大家さんに荷物を受け取ってもらえず、荷物を抱えて立ち往生のスタートとなったkaoruco一家。とりあえず、荷物は私の家へ運びこむとしてタクシーに乗ったはいいが、運転手の様子がおかしいらしい。「お酒臭い」とメッセージが来て心配してると、ドライバーから電話が掛ってきた。何度道を説明しても通じた様子がなく長らくどっか行っちゃって、ぐるぐる周ってどうにか到着。命からがら車から転げ出て来たkaorucoちゃんと再会のハグをした。よくやった。遠かったね。ドライバーは悪い人じゃなさそうだけど、やはり酒臭かった。交渉600バーツで来たと言う。

「お母さん。メーターがあるのに金額言ってくるのは違法なんじゃないの?」ティーンエイジャーはしゃべらない、と言う私の定説を覆すヒカル。よくしゃべる。「うん違法だね。でもさ、タクシーはちょいちょい価格交渉してくるんだよ。渋滞だから定額の方がお得だよとか、並ばず乗れるよ、とか観光に連れて行くよとか言って。お客さんも選択肢として考える人がいるわけ。もちろん嫌なら断ればいいの。ルールよりも損得とか相互了解がだいじってことかな」と、かく言う私も酒臭いのに600取られたのはちょっと納得いかないわけだけど、ヒカルはそれでふうんともう言い返しては来なかった。

その日わたしは午前中に野暮用があってすぐに出掛けなくてはならなくて、しかし彼らを置いて行くわけにもいかないので、では観光がてらスクンビットまでご一緒して頂きましょう。しかしこの渋滞では間に合わない。バンコク初日にしてモトサイ体験です。

 

kaorucoちゃんとしゅうや、わたし、ヒカルと三台に分乗。2台を見送ってから出発し途中しゅうやを追い抜く。きっとかなり予想外だからだろうけど、抵抗することなくドライバーの兄ちゃんにしっかりつかまっているようだ。3kmほど走行すると、先着のヒカルが目的地で出迎えてくれた。なんともその顔は、タクシーを降りた時とうって変わって明るく輝いてる。「俺バイク乗るの生まれて初めてなんすよ。めっちゃ面白い。バイク乗る人の気持ちめっちゃわかる!すごい!」もう2歳も若けりゃ(現在13歳)ピョンピョン飛んでたんじゃないかくらいご機嫌。そこへしゅうやが到着。降り際になにやら話している。どうやら怖がったしゅうやが思わずしがみついた所がバイクの兄ちゃんのくすぐったいポイントだったらしく、ごめんなさいしていたのだが、同じ様にテンション上がったしゅうやのその様子とkaorucoちゃんのぺこぺこ頭を下げるのが可笑しかったのかかわいかったのか、いつもむっつりしてる兄ちゃんがうっかり相好を崩してしまったのを私は見逃さなかったw。モトサイは、どんな乗り物より素早くお客様を目的地へお届けするのが使命。数珠つなぎの車の間をすり抜け、歩道を逆走し、ビルの中を突っ切る。たかだか30バーツ程度の料金でそんな無茶するからお客さん共々死んじゃう事も多いんだけど、これぞまさにルールよりもニーズ。乗る人は絶えない。タイ人気質たっぷりの職業だと思う。

日頃、規則最優先で暮らす日本の子に、適当とか気分がいいとか、臨機応変で出来あがってる世の中を説明するって難しい。でもこの時ヒカルの体の中に、その心地よさが入った気がする。やっぱり体でわかるのが一番いい。

 

ヒカルは映画が大好きで、家に引きこもって1日に何本も映画を観ている。我が家もかなりの量の映画を観るので、何が好き?ってずいぶん盛り上がった。若干13歳の映画の趣味はかなり渋くてわたしの青春時代のマニアックなタイトルが出てきて笑ったりして。でも、なんだろう。昔ならきっと文学少年。本に溺れていたんだろうな。彼のここではないどこかへ行きたい気持ちが、映画を観ることをやめさせないんだろうと思う。なにしろ、様々な映画の芯がわかっているような事を言う13歳。うちではレオンを真剣に観ていました。朝昼が逆転しがちで、お日様にもあたらず、友達もおらず、それを箇条書きにすると物凄く何か言いたくなる。もちろん言ってもいいと思うけど。しかし実際に目の前に実物がいると、その有り様は意外にも健全だ。

 

彼にも言い分はあるさ。そう思える。そんな大人びた彼なのに、しゅうやが体調不良で学校を休むと言ったら「俺も」と休む。便乗と言えば聞こえはいいけど、ヒカルにとってしゅうやはそこに自分が要るべき理由になってしまっているようで気になった。ヒカルはしゅうやの支えだし、ヒカルはしゅうやを大事に思っているけど、ヒカルはしゅうやのオマケじゃないし保護者でもない。ヒカルは自分が「特別な子」だと知っている。「特別な存在」だと信じている。だけど、それは誰にも分からないことで、ことさら分かってもらおうなんて思っちゃいけない。傷つくだけだから。ちょっと上にはみ出した感じのその彼のスペシャルはことごとく否定されてきた。誰とでもしゃべれる社交性の中には、自分を大きく見せようとか馬鹿にされないようにしようとする意識がかいま見えて少しせつない。本当の彼の殻はまだまだ固く固く他を寄せ付けない気がした。学校でも賑やかにやっていて、まったく世を拗ねる様子もない。超楽しそうだよってモカも言ってた。だけど彼は拗ねています。

 

世をすねず、自分を信じて生きていくのが難しいなら、なにかひとつ特別な自分になるためのおまじないを用意しよう。ヒカルもし英語が喋れるようになったら、どうだい?英語を日本語字幕なしで俳優が放つセリフをさダイレクトに耳に入れられるようになったらよくないかい?英語はただのツールだよ。だけどわりとあちこちで使えるツールで、君を疎ましく思うやつらから遠く離れることが出来る。自分で自分を誉めてあげたらいいよ。お前はすごいぜスペシャルだぜって。なぜって自分で自分を救ったからさ。自分を大事にしない人から自分を救いだしてやったからさ。

 

 

今日は昨日よりまし。

すぐにやめないで7回は行ってみる、って約束があるから行ってる。

しゅうやが行くなら行ってやってもいい。

つまんない。でも今日は昨日よりまし。

 

そんな感じで、彼らはなんと誰よりも通学しました。

もともとが真面目なんだなぁと思わずにはいられないwww

 

kaorucoちゃんの日報から

 

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ヒカルはいつも、パーカーと迷彩のパンツ、まぶかにかぶったキャップそしてイヤフォンをしている。電脳系お洒落男子のパターンだ。このくっそ暑いのに。お洒落で無理してるってわけじゃなくて、これは彼にとっての鎧。プロテクターだ。

 

それを、脱いで「お母さん、これ洗って」って言ったのだ。

彼はTシャツ1枚で風に吹かれていた。

 

固まるわたし。やだこれ、すごいことが起きてるじゃまいか! 

 

その何日か後に、「あつこさん、またヒカルがパーカーを着て行きました」と連絡が。いいではないかいいではないか。3歩進んで2歩下がる。いいんですよ。

 

てか、いいことばっかりだよね。ほんとに。

 

 

 つづく